58、商業の街スピカ 〜アランとフロリス
「兄様、そんな脅しには……それに、なぜここに?」
「脅しではない、事実だ。おまえが無知なだけだぞ、恥ずかしい。俺がここにいてはおかしいのか? 今頃は死んでいるとでも思ったか?」
「いえ……くそっ」
コールと呼ばれた少年は、僕を睨みつけ、そそくさと逃げるように離れ、端の個室に入っていった。わざわざここまで、フロリスちゃんを傷つけるために出てきたのか。
助かった、のかな?
だが、フロリスちゃんはまだ表情が戻らない。まるで人形のようだ。ここでうまくフォローできなければ、さらに沈んでしまうのか。どうしたら……。
「フロリス、サラダのグリーンレタスは、おまえが作ったと聞いたぞ。シャキシャキしていて、新鮮で美味いな」
僕と同じ歳くらいの少年がそう言うと、フロリスちゃんは彼の方を向いた。そして、僕の方も見て、ポツリと呟いた。
「ヴァンが魔法を失敗して、畑から転がり落ちたの」
「へぇ、ヴァンは魔法が苦手なのか?」
「コロコロって落ちちゃうの」
「フロリスは、その魔法を習っているのか?」
少女はうつむき、戸惑ったような不安げな顔をしている。少し怯えているのかもしれない。
「あぅ……種を撒いたの」
「そうか。では、ヴァンにその魔法を習って、フロリスがやってみればいい。フロリスは器用だから、上手くできるんじゃないか?」
少女は、パッと顔を上げた。
「でも明日は、お花なの」
「花は食べられないな」
「アラン兄様は、グリーンレタスがいいの?」
えっ? この少年がアラン様? 顔の腫れが消えているから、わからなかった。
「花でもいいが……あぁ、花なら、俺の所に持ってきてくれるか? 来週、俺は十三歳の誕生日を迎える」
「お誕生日……うんっ!」
少女に笑顔が戻った。さっきの妙なハイテンションではない。畑で見せた可愛らしい笑顔だ。
「アラン様だとは気づきませんでした。失礼致しました」
「顔が全然違うだろう? 逆に気づかれると複雑だぜ。ヴァンのおかげで、随分と楽になった。ありがとう」
「いえ、薬が効いてよかったです。まだ完治していませんね。薬は足りていますか?」
「あぁ、大丈夫だ。あの後、弟達の秘密基地の大量の汚染水から、鉱物性の珍しい毒が検出された。致死率は100%だという、闇取引でしか扱っていない特殊な毒だとわかったよ」
「そう、でしたか」
「俺を殺そうと、誰かが故意に仕掛けたようだ」
アラン様は、その部分を特に大きな声で話した。まるで他の使用人達を威嚇するかのようだ。
なるほど、これが逆に防衛になるんだな。
「ヴァン、恩を返したい」
「いえ、そんな、僕はたいしたことはしていませんよ」
「致死率100%の毒を解毒できる薬師なんて、滅多にいない。この縁を逃したくないんだよ」
そう言うと彼は、悪戯っ子のように笑った。
「えーっと、では、フロリス様と仲良くしてあげてくださいませんか」
「ふっ、そう言うだろうと思ったよ。ヴァン、そんな欲のないことばかりを言っていると、ソムリエなんてやっていけないぜ。俺達のような貴族に利用されるぞ」
「よく言われます……」
僕がそう言うと、彼はケラケラと笑った。
「じゃあ、またな、フロリス。花を待っているぞ」
「うん」
アラン様は、満足げに微笑み、食事の間から出ていった。
昼食は、フロリスちゃんはサラダだけを食べた。メイドもホッとしている。だけど、こちらを睨む目が気になるようになった。食事中の子供や奥様だけではない。黒服や料理人などの使用人からも、敵意の目を向けられた。
これまでは、僕のことは見えていないかのようだった。それが、アラン様と話したことで、ガラリと変わった。わずかに、好意的な視線もあるのが救いかな。
メイドは、常にこんな視線を浴びているから警戒し、すべてを睨み返しているのかな。弱いと思われたくないからか。だけど、僕は……。
そういえばアラン様は、超級薬師は、ここにいる全員を即座に殺せるんだと、坊ちゃんを脅していた。
確かに、飾られている花を使って毒薬に変えて空気中に散布すれば……それも可能だな。やはり、僕がここで示すことができる力は、薬師のスキルか。
きっと、アラン様との会話は、おおげさに誇張された噂となって、すぐに広がるだろう。僕が超級薬師のスキルを持つことが、屋敷中に知れ渡る。
もはや隠すよりも、開き直るしかないか。
だけど、この屋敷の人達の多くは、超級薬師に何ができるかを知らないようだ。僕を利用しようと近寄ってくる人がいないのが、超級薬師のスキルを知らない証拠だと感じる。
武術系の貴族だから、だよな。彼らは、物理戦闘力は圧倒的に強いけど、それ以外のことには、あまり興味がないのかもしれない。
魔導学校の友達には、貴族が多いけど、みんな弱小貴族だ。マルクみたいな魔術系も少しいるけど、武術系の貴族はいないと思う。
まずは、超級薬師の力を知らせる必要がありそうだ。
僕に対する印象が変われば、僕が世話をするフロリスちゃんへの直接的な暴言は、減るはずだ。
こんな人達と親しくなりたいとは思わない。だけど彼らに、僕に媚びたいと思わせることができれば、立場は大きく逆転する。
部屋に戻ると、フロリスちゃんは机に向かった。昨日と同じだな。だけど、すぐに勉強をやめてしまった。
「ヴァン、お花が育つ魔法を教えてほしいの」
「フロリス様、今は、お勉強の時間ではないのですか?」
「でも、兄様がお花を待ってるの」
「お誕生日は、来週なんですよね?」
「でも……」
少女は、不安そうな顔をしている。
そうか、声をかけてもらった期待に応えようとしているんだな。そうしないと、見限られると思っているのかもしれない。
こんなに小さな身体で、受け止めきれない程の苦痛を抱えて、不安で心細くてどうにもならないんだ。
僕は、ズキリと心が痛んだ。
しかし、アラン様が突然、少女にこんな提案をしたのはなぜだろう? 魔法を使うには体力を消耗する。こんなにやせ細った身体では、マナの循環なんて……。
あっ、そういうことか。
「フロリス様、魔法を使うには、身体の中でマナを操る力が必要なんです。まずは、体力をつけましょう」
「えっ?」
「アラン様は、きっとそれが言いたかったんですよ」
フロリスちゃんは首を傾げた。でも世話をするメイドは、その意味がわかったようだ。
「今のフロリス様には、魔力を制御する力はありません。魔力値は、お歳のわりに高いのですが」
いつの間にか起きていたもう一人のメイド、マーサさんがそう教えてくれた。僕は、自分の魔力値さえ知らないけど、貴族に生まれた子は、計測しているんだな。
あっ、僕もギルドで計測したけど……結果を聞いてない。
「そうですか。じゃあフロリス様には、夕食をしっかり食べていただかないといけませんね」
「でも……」
「食べやすいものからで大丈夫ですよ。僕は、ちょっと食事の間の厨房へ行ってきます」
「ヴァン、何をするつもり? アラン様と話したことで、貴方、敵を増やしているわよ」
このメイドは、マーサさんよりも慎重派なんだよな。それだけ、大変なことが続いているのだろうけど。名前、聞いてないな。
「はい、それは感じていました。だから、ちょっと行ってきます」
「何をするの?」
「そうですね……敵視する人を減らしてきます。うまくいけば、フロリス様に対する暴言も減らせるかもしれません」
二人は、意味がわからないのか、きょとんとしている。フロリスちゃんは、昼寝の時間かな。うとうとする少女をメイドが寝室に運んでいった。
僕は、そっと部屋から出て、食事の間へと向かった。
この時間は、奥様達のティータイムのようだ。食事の間は、見たことのない顔ばかりだった。それに黒服も、奥様に仕えている人達は雰囲気が違う。
だけど僕のことは、もう噂になっているようだった。あの子だと、やたらと興味深そうな視線が突き刺さる。
子供の世話をする黒服とは違って、あからさまな敵意は見せない。僕は、ポーカーフェイスの技能を使った。これがないと、まともに話せないよ。
僕が厨房へと向かうと、一人の黒服に声をかけられた。
「キミが、フラン様が連れてきた少年かな?」
「はい」
「こんな時間に何の用だ?」
「フロリス様の夕食の相談に来ました」
「あの子は、食べないだろう? 怖れているから」
「えっ? 毒でも混入されたのですか」
まさかと思って尋ねると……その黒服は、意味深な笑みを浮かべた。嘘だろ? 安全のために、ここで食事をさせられているんじゃないのか?




