56、商業の街スピカ 〜元護衛のメルツを説得
「ヴァン、ただの農家じゃねぇな」
「僕には『農家』のスキルはありません。家の手伝いの中で習得した技能と、『薬師』の技能を使いました」
「うひゃ、ジョブ『薬師』か」
「いえ、ジョブは『ソムリエ』です。だから妖精の声が聞こえます」
「珍しいな。ソムリエがこんな所で子守りか? もっといい仕事がいくらでもあるだろう? しかも、こんな……」
そう言いかけて、メルツさんは話を止めた。話してはいけないというより、話せないような辛そうな顔だ。
「メルツさんは、サラ奥様をご存知なのですか」
「当たり前だろ。俺は、最初はサラ様の護衛として雇われていたんだからな。なのに、俺が怪我で休みをもらったその日にあんなことに……」
メルツさんは、自分を責めている。バトラーさんもそうだった。サラ様をずっと守っていたんだ。
「フロリス様とは、話されますか」
「おまえ、何かを探っているのか? 短期の派遣執事なら、内情は知らされていないはずだ」
「だいたいのことは聞かされています。フラン様から何とかしろと命じられていますし」
すると、メルツさんは少し驚いた顔をしている。
「フラン様が、こんな坊やを?」
どういう意味かな。役不足ってこと?
僕が変な顔をしたのだろう。彼はそれをすぐに察したようだ。少し気まずそうにコホンと咳払いをした。
「あぁ、悪い。フラン様がこれまで連れて来たのは、名のある者ばかりだったからな。ヴァンには、特殊能力があるのか? あ、上級薬師か」
超級だとは言わない方がいいよな。
「薬師なんだから何とかしなさい! と言われています」
「だが、王都から超級の薬師様を連れてきても無理だったんだ。しかし、もう時間がないな。フロリス様は、いつ屋敷から追い出されるかわからない」
メルツさんも、神官様と同じ気持ちなんだな。妹のマーサさんも、もう一人のメイドも、きっと同じだ。フロリス様を治したいんだ。
「僕には、貴族の常識がわかりません。でも、思いつくことをすべてやってみたいんです。メルツさん、協力してもらえませんか? 僕も、フロリス様を治したい」
「なぜそこまで?」
「僕には、フロリス様と歳の近い妹がいます。だから、あんなお嬢様は、かわいそうすぎて見ていられません」
メルツさんは、僕を探るような目をしている。
『はぁ、やっとマシになってきたわ〜』
『ほんと、ひどい黒服もいるのよね』
突然、妖精さん達の声が聞こえた。
上を見上げると、ゆっくりと上空から降りてくるたくさんの妖精が見えた。昨日よりも数が多い。上空で集まっていたのか。
『へぇ、この子が、ぶどうの妖精の下僕?』
『ぶどうの妖精の下僕なら、私達の下僕でもいいよね』
自由な人ばかりだな。でも、わりと大人っぽい人が多い気がする。リースリングの妖精さんなんて、少女のような人が多いし、ガメイの妖精さんは、生意気な男の子だもんな。
『大人っぽいんだって、私〜』
『俺のことじゃないのかな』
あはは、バッチリ、頭の中を覗かれている。
「ヴァン、なんだか、すごいことになっているようだが、気づいているか?」
「えっと、何でしょうか?」
メルツさんは、なぜか焦ったような表情をしている。
「声が聞こえるんじゃないのか? ありえない数の声が集まって来ている」
僕は、まわりを見回した。うん、確かに。
「数えられないくらい居ますね。種類も多種ですが、大人っぽい妖精さんが多いですね〜」
「見えるのか? 俺が見えるのは、自分の支配精霊、一種類だけなんだが」
メルツさんは精霊使いだと言っていたけど、級は上位ではないみたいだな。
「僕は、ぶどうの妖精さん以外は、透けてみえるので、似たようなものです。昨日より多いので、僕も驚いていますけど」
「妖精が……精霊が怒っているのか」
「そうですね。ひどい黒服がいると、怒っていますね」
「俺の支配精霊が、ヴァンは妖精達みんなの下僕だと言っているが」
「えっ? ぶどうの妖精さん達が、ソムリエは自分達の下僕だと考えているからだと思います」
「そうか……。妖精がこれだけヴァンの話ばかりをするということは、信用しても良いか。邪念のある者には、妖精は近寄らない」
メルツさんはポツリと呟き、そして目を閉じて何かを考えているようだ。
沈黙の時間が流れた。
ふわふわとした綿毛のような妖精さんが、彼のまわりを回っている。あの時、窓の外にいた妖精さんかな。メルツさんの支配精霊なのか。
「わかったよ、協力してやる。俺も、フロリス様を笑顔にしたいからな。何をすればいい?」
よかった。僕への疑いが晴れたのかな。
「ありがとうございます。あの、この畑は、再び野菜を植えるんですか?」
「あぁ、土壌が大丈夫なら、また一から畑を作る。ここはサラ様の花畑だった場所なんだ。フロリス様が生まれたときに、新鮮な野菜を食べさせたいとおっしゃって、野菜畑に変えたんだ」
そっか、ここはメルツさんにとって、大切な畑なんだ。
「ここの野菜は、フロリス様が召し上がっていたんですか」
「あぁ、そうだよ。子供用の食事に提供していたから、他の子も食べているがな。だがフロリス様は、あれ以来、何も食べなくなったと聞いている」
「サラ奥様が亡くなられてから、ですか」
そう尋ねると、メルツさんは小さく頷いた。
「じゃあフロリス様に、この畑の仕事のお手伝いをしていただきましょう」
「は? ヴァン、何を言っているんだ? そんな使用人のようなことを、お嬢様にさせられないぞ」
「フロリス様は、花のような形のクリームに興味を持たれました。サラ様に似て、花がお好きなのではないでしょうか」
「いや、だが……手伝わせるなんて……俺もおまえも、旦那様に斬られるぞ」
それが、貴族のプライドなのか。
「大丈夫です。遊びの一環としての畑仕事ですから」
「……わかった。いつからだ?」
「昼食後は勉強されるようですので、朝食後にいかがでしょう? 野菜の種を用意しておいてくださいませんか」
「そうだな、わかった。なんとかする」
部屋に戻ると、まだマーサさんが起きていた。もう一人のメイドが、フロリス様の髪をとかしている。
「ヴァン、畑は?」
「はい、土壌は整えましたが、育っていた野菜は、メルツさんに処分してもらいました」
「マーサ、何かあったの?」
「また、いつもの嫌がらせよ。見回りを強化してもらわないと」
「だけど、それには無理があるわ」
うーん、また、重苦しい空気だな。きっと、これもフロリスちゃんには悪影響だ。
「いま、メルツさんにお願いをしてきました。フロリス様の朝食後に、畑を作り直します」
「えっ? 私は寝るわよ」
マーサさんは、お兄さんが心配なのか眉間にシワを寄せた。
「大丈夫です。メルツさんは護衛をされていたんですよね?」
「そういう心配はしていないわ。朝食後なら、日が暮れるまでは庭は安全だもの」
「では、フロリス様にも、畑仕事の見学をしていただこうと思うのですが、大丈夫ですよね?」
二人は絶句している。
「何か、キッカケをつかみたいんです。初日に、花に興味を持たれたような気がするので……」
僕がそう言うと、二人は、しぶしぶ頷いた。よかった。
「フロリス様、朝食後に庭に出ます。だから、朝食はスープを少し召し上がっておいてください。まだ日差しが強いので、何も食べていないと倒れてしまいますから」
僕がそう言うと、フロリスちゃんは首を傾げた。反応してくれた。いい傾向だね。
そして朝食のために、食事の間へ移動した。僕が朝食をテーブルに置くと、メイドがスープをすくって、少女の口に運んだ。
パクッ
「あっ、食べた! す、すみません。失礼致しました」
僕は、思わず大きな声を出してしまった。メイドは、笑っている。彼女が笑った顔は初めて見た。
結局、フロリスちゃんは、スープを半分くらい食べた。首を傾げていたのに、きちんと理解できている。
そして部屋に戻ると、少女は寝室へ行ってしまった。あぁ、ダメか。まぁ仕方ない。スープを食べてくれただけでもいいか。
「ヴァン、フロリス様がスープをあんなにも食べてくれたわ!」
「はい、よかったです。でも、眠ってしまわれたみたいですね」
「そうかしら? 何かゴソゴソと音がしているけど……まぁっ!! フロリス様!」
フロリスちゃんは、服を着替えていた。自分で着替えられるんだな。五歳だから当たり前かもしれないけど、メイドは驚いている。
「よくお似合いですよ、フロリス様」
僕がそう言うと、少女は頷いた。ちょっと小さめの可愛いズボン姿だ。思い出の服、かな。




