55、商業の街スピカ 〜目撃、そして畑の異変
フロリスちゃんは、昼食も食べなかったようだ。
僕がルーシー奥様の席から戻ると、メイドは少女を抱きかかえて、食事の間を出ていった。僕は、慌てて食器を片付け、後を追った。
部屋に戻ると、フロリスちゃんは机に向かった。昼食後は、文字の勉強をするようだ。
しばらくすると、メイドがミルクティをいれて、テーブルに置いた。見覚えのあるお菓子も並んでいる。
「フロリス様、昨夜、フラン様が持って来られたお菓子がありますよ。どれにしましょうか」
僕がお会計をさせられたんだけどね。
フロリスちゃんは、チラッと見て、クッキーの箱を指差した。お皿にクッキーが並べられると、少女はミルクティを飲み、クッキーを一枚つまんだ。そして、そのまま眠ってしまった。
「よかった。今日は食べてくださったわね」
「フラン様のお土産だからだわ」
僕がお会計をさせられたんだけどね!
そして夕食の時間になると、メイドは二人で、少女を連れて部屋を出た。僕は、ただ、ひたすら様子を見ているだけだ。
これで、丸一日だな。昨日は、夕食の給仕をするところから始まった。まさか、こんなことが毎日続く……のだろうな。はぁ、これではダメだ。
夕食の給仕をしても、フロリスちゃんは昨日と同じ状態だった。こんなことは、苦痛でしかないだろう。
少女がこんな状態なのは、母親の死ということだけが原因ではないような気がしてきた。おそらく、孤独のせいだ。
席につくと、他の子達が母親と一緒に食事をする様子が見える。こちらを指差して、あざ笑っている子もいる。これは、まさしく強烈なイジメじゃないか。
僕は、どうすればいいのかわからない。
どうすれば……。
部屋に戻るとすぐに、メイドがフロリスちゃんを入浴させた。その後は、昨夜のように、床にべちゃっと寝転んでいる。昨夜と違うのは、神官様がいないことだ。今日、少女が食べた物はあまりにも少ない。
「あの、フロリス様の食事は、大丈夫なのでしょうか」
僕は、思わずメイドの二人に尋ねた。
「昼間のミルクティには、フラン様から頂いた栄養剤を入れてありますが……。もう限界です」
「えっ? 限界?」
「いえ、忘れてください」
メイドの二人の精神状態のことだろうか。もしくは、フロリスちゃんの様子か……いや、両方だよね。
その夜は、少女はそのまま眠った。僕も与えられた部屋に移動した。はぁ、二日目が終わった。なんとかしなければ。
翌朝、妙な声で目が覚めた。
窓の外を見ると、透明なふわふわしたものが浮かんでいた。妖精さんかな?
窓を開けようと近づいて……サーッと血の気がひいた。窓の外、黒い服を着た人が二人見えて……その、倒れる瞬間を見てしまったのだ。僕は、とっさにしゃがみ込んだ。
何があったんだ? いま、黒い服を着た二人が、門番の制服を着た人達に、斬られたように見えた。こんな庭で? 外はもう明るいのに?
僕の心臓は、壊れそうなくらいバクバクしている。
ドンドンドン!
「おい! 誰か居るんだろう?」
庭への扉は、一応、鍵は閉めてある。でも、木の鍵だから、簡単に破壊されそうだ。
ドンドン!
見られたのか!? どうしよう。
僕は、頭が真っ白になった。
「何をしている? そこはフロリス様の部屋の一部だ」
外から、別の声が聞こえた。
「いや、人影が見えたような気がしたので」
「そこは、物置部屋のはずだぞ。あー、もしかしたら、サラ奥様がいらっしゃるのかもしれないな。ここで、よく花の世話をされていた」
「恐ろしいことを言わないでくれ」
「人影が見えたから、何なのだ?」
「何でもありません」
足音が遠ざかっていった。よかった……助かった。
僕は、ソーっと窓から外を……うわっ!! 驚きのあまり、僕は床に倒れた。窓には、知らないオジサンの顔がへばりついていたんだ。
コンコン!
オジサンは、窓を叩いた。
「もう、アイツらは去ったぞ」
僕がいることがわかっていて、かばってくれたんだ。戸惑いながらも僕は、窓を開けた。
「ありがとうございます。かばってくださって」
「いや、たいしたことねぇよ。それより、見ない顔だな? フロリス様の新しい世話係か?」
「はい、ヴァンと申します。今日で三日目なのですが、二週間の契約で来ています」
「そうかい。で、物置部屋で寝泊りか。まぁ、宿舎にいるよりは安全だろうな。しかし、そんな土臭い部屋で眠れるのか?」
「僕の家は農家なので、土の匂いがする方が落ち着きます」
僕がそう言うと、オジサンは目を輝かせたように見えた。な、なんだろう? 彼は何者なのかな。黒服でもなく、門番でもない。普通の軽装だ。
「農家か、ちょうどいい。ちょっと畑を見てくれ」
「えっ? いえ、あの……勝手に庭に出るなと言われてまして」
「俺がいれば、ひょろっとした門番なんて蹴散らしてやるよ。そうか、農家か。だから、妖精が集まって来ているんだな」
「貴方は、妖精さんが見えるのですか」
「あぁ、自己紹介をしていなかったな。俺は近くで果樹園をやっているメルツだ。旦那様の依頼で、この部屋の裏側に小さな野菜畑を作っている者だ」
「ジョブ『農家』なんですね」
「いや、違うんだ。俺はちょっと言えないジョブなんだよ。だが、精霊使いのスキルがあるから、なんとかな」
「農家じゃないのに果樹園を?」
「あぁ、親から譲り受けたから仕方ないんだ。基本的には、冒険者メルツで通ってる。うげっ、うるさいヤツに気づかれた」
うるさいヤツ?
オジサンの視線を追って振り返ると、メイドの一人が、怪訝な顔をして立っていた。騒がしかったのかな。
「早朝から、大きな声で何ですか!」
「おまえの方が、キャンキャンうるさいぞ。俺は、この少年を助けてやったんだからな」
彼女の冷たい視線が突き刺さる。
「ヴァン、また、庭に出たの?」
「いや、この少年は、運悪く黒服が消えるところでも見たんじゃねぇか? 門番が、人影が見えたと言って、この扉をドンドン叩いていたからな」
「さっきの音は、その音だったのね。兄さんが騒いでいるのかと思ったわ」
メイドは、そう言うと、ハッとして僕の顔を見た。兄妹なのか。知られたくないのかな。
「くくっ、マーサ、それは自爆だぜ? 俺はおまえが妹だなんて言ってないからな」
「ヴァン、聞かなかったことにしてください」
「は、はい」
「マーサ、別にいいじゃねぇか。俺は、あくまでも、旦那様に依頼されて、畑の世話をしている果樹園のオーナーだ。そんなことより、ヴァンをちょっと借りるぞ」
「私はもう交代するのに」
「じゃ、もう一人に言っておけよ。俺の方は急ぎなんだ。畑の異変が、俺にはどうにもならない状態でな。フロリス様にも関わることだぜ」
すると、メイドのマーサさんは、ため息をついた。
「また、何か仕掛けられたのね」
そんな囁き声が聞こえた。僕は、嫌な予感がした。
「僕、畑を見に行きますね」
「ヴァン、言っておくけど、目立つことをすると標的になるわよ。フロリス様を消したがっている方が多数派なんだから」
「はい。ですが、このままだとフロリス様がかわいそうです。食事の間へ行くのも、あんなのは拷問じゃないですか」
「あの部屋で食事をすることは、この家の決まりごとだから、逆らうことはできません。あれは安全のためなのですよ」
部屋に食事を運ぶと、毒でも混ぜられるということなのか? 信じられないことだけど……アラン様の件から考えても、よくあることなのかもしれない。ほんとに戦場だな。
庭に出て、裏側の畑へと移動した。
「うわっ、どうしたんですか、これ」
畑の土は、あちこち変色している。
「昨日の夕方に来たときは、異常はなかったから、夜だろうな。畑は全滅だ。普段なら朝には来ないんだが、妖精が騒がしくてな」
「昨日の朝、妖精さんと話していたとき、門番の制服を着た人達に、毒でも撒くつもりかと言われました。以前にもあったんですね」
「あぁ、妖精達は、この場所を気に入っているから大騒ぎだよ。黒服が毒を撒いたと言っているが、この屋敷には百人以上の黒服がいるからな」
えっ? そんなにいるのか。
「なんとかできないか? このままだと毒沼になる」
「野菜は無理ですが、土壌の汚染はなんとかできます。メルツさん、火魔法か何かで野菜の焼却はできますか?」
「アイテムでよければ、ファイアボールがある。だが燃やすと、空気が毒で汚染されるぞ」
「毒消しをしますから、大丈夫です。お願いします」
メルツさんが、畑を火で包んだ。
僕は魔力を放ち、汚染された土壌や空気中の毒を分解、反転させた。




