538、ボックス山脈 〜薬草の群生地に
キャンプ場のテントで眠った翌朝、なにやら騒がしい声で目が覚めた。
同じテントで眠っていたマルクの姿は、既にない。フロリスちゃんとチビっ子二人は、まだ夢の中だ。
僕は、スキル『道化師』の着せかえを使って服を着替え、テントの外に出てみた。朝の少し寒い澄んだ空気に眠気も吹き飛ぶ。
キャンプ場の空きスペースの地面は、草原に変わっていた。朝露がキラリと光って美しい光景だ。
「ヴァン、起きたか」
マルクは、片手に使い捨ての魔法袋を持ち、目を輝かせていた。朝から元気だね。
「おはよう。まだ早いでしょ? たくさんの人が……何してんの?」
そう尋ねると、マルクは変な顔をした。うん? 何?
「ヴァン、寝ぼけてるのか? この光景を見て、驚かないのか?」
「うん? なぜか草原になってるね。昨夜はすぐに寝ちゃったから、今日は神矢を探しに行きたいんだけど……キャンプ場の外も、草原だね。神矢が見つかりにくくなりそうだな」
ここは、ボックス山脈だ。突然地形が変わることだって珍しくない。土しかない地面が、一夜にして草原に変わったからって、別に騒ぐことじゃないだろ。
「ヴァン、やっぱ、寝ぼけてるだろ。生えてるのは薬草だよ? 見たことのない草もあるから、全部が薬草かはわからないけど」
マルクにそう言われて、地面をよく見てみると確かに、ボックス山脈にたくさん自生している薬草だ。
これは、少し揉むだけで傷薬になるから、薬師のスキルのない冒険者が必ず魔法袋に常備している。このまま食べれば、少し苦いけど身体の毒を排出する効果もある。
「あぁ、ボックス山脈に自生する薬草だな」
「薬師から見れば、ただの薬草でも、ボックス山脈に出入りする冒険者から見れば、これは万能薬草だよ。たまに、こんな風に群生地が現れるんだよな」
なるほど。だから早朝から、こんなにたくさんの人が地面に這いつくばってるのか。
「キャンプ場の外まで続いてるな」
「えっ? そうなのか? キャンプ場の外は魔物が集まってると、誰かが言ってたけど」
「うん、この薬草は、魔物も食べるからね。体内に毒素が溜まっている個体は、これを食べて体外に排出するんだよ」
僕がそう説明すると、マルクは驚いた顔をしている。あぁ、そっか。肉食系の魔物が草を食べるなんて、知らないよね。
「ヴァン! それなら、これを家畜に食わせたら安全な食肉が得られるんじゃないか?」
「そうだね。人間も魔物も動物も、身体から毒素を排出することができるよ。ただ、かなりの腹痛が起こるけどね〜」
「ちょ、早く教えてよ。俺、気合い入れて摘んでくる! いや、ヴァンの技能で、一気に摘める?」
マルクは、商人の顔になっていた。確かに、たまに食肉用の家畜の肉で事故が起こる。毒素を含む血のせいなんだけど、それで死人が出ることもあるくらいだ。家畜の餌に、この薬草を混ぜれば、解決できそうだな。
「もともとの群生地じゃないから、まだあまり根が広がってないよ。農家の技能を使うと、根を植え直しても、生えてこないかもしれない」
「じゃあ、手で摘むよ。せっかくの宝の群生地だからな」
マルクは、また薬草摘み作業に戻った。僕達の話は、近くにいた冒険者が、次々と広めていく。みんな必死になって、薬草を摘み始めた。
「あ、あの! ヴァンさん!」
キャンプ場の管理人かな? 慌てて駆け寄ってくる男性に声をかけられた。ここは、冒険者ギルドが直営しているキャンプ場だから、彼も冒険者かな。
「はい、おはようございます」
「あ、おはようございます。あの、この薬草が今、万能薬だと聞いたんですけど」
いや、それは大げさだ。
「薬にするには、平凡な薬草ですよ。ただ、このまま食べると身体の毒素を排出できるだけで……」
「これは、傷薬ですよね? 食べてもいいのですか」
あれ? それを知らないのか。冒険者のほとんどが知ってるはずだけど。
「少し苦いけど食べても大丈夫ですよ。お腹が痛くなりますが、体内の毒素が排出されます。さすがに猛毒には効かないですけど」
僕がそう説明すると、彼はみるみるうちに目を輝かせた。
「それなら、このキャンプ場は、宿泊以外にも立ち寄る人が増えますね。これは神からの贈り物だ! 忙しくなるぞ」
なんだかすごいテンションで、その男性は戻っていった。まぁ、確かに、訪れる冒険者は増えるだろうな。
「にいに〜、おなかすいた」
「私も〜」
振り返ると、フロリスちゃんが、チビっ子二人と同じような顔をして、ボーっと立っていた。眠そうだな。
「ふふっ、じゃあ、何か作りましょうか」
「うん、みんな何をしているの? 地面にへばりついて……あれ? 草が生えてる。あぁ、昨夜のヴァンの技能のせいね」
はい? 僕のせい? ワインを創造したから?
「ボックス山脈では、朝起きたら景色が変わっていることなんて、珍しくないですよ。たまたま、冒険者が使いやすい薬草が生えてるから、みんな摘んでるんです」
「昨夜、ヴァンが精霊師の技能を使ったじゃない。この付近で邪霊が一気にマナに分解されたからだよ。戦闘があった後に、精霊系のスキルを使うと、神の祝福の効果が備わるよ」
あっ、そうか。ここにこんな薬草が生えたのは、浄化作用だ。ラフレアの根もかなりやられたんだったな。ということは……。
「フロリス様、さすが神矢ハンターですね。食事が終わったら、周辺の調査をしましょうか」
「あっ、ヴァンもハンターの神矢を拾っておけって、ゼクトさんが言ってたよね。私、頑張るよっ!」
ふんすと鼻息荒くガッツポーズをキメるお嬢様。
「にいに、あたちも、がんばるよっ」
『我が王、我々もお手伝いします』
「ふふっ、ありがとうございます。チビちゃもありがとう。うん? 我々も?」
マネコンブは、コクリと頷いた。なるほど、近くにマネコンブ達が来ているのかな。
僕は、宿泊施設の調理場を借りることにした。宿泊していた冒険者達だけでなく、ここで働くほとんどの人が薬草摘みに夢中なためだ。外で調理なんてできそうにない。
「宿泊している人の朝食は、まだですよね?」
僕がそう尋ねると、調理場に残っていた人達が、困ったような表情を浮かべつつ頷いた。
「じゃあ、僕が作りますね。外でテントを張っていた人達にも、この食堂を開放してもらえますか」
「おぉ、助かります。料理人のスキル持ちも、みな外に出てしまったので、困っていました。材料は、たくさんあるから自由に使ってください」
「宿泊施設のお客さんは何人ですか? あと、スタッフの人達の人数も……」
「宿泊施設の利用者は45人です。スタッフは11人います。私達以外は、外で遊んでますけど」
この人は、なぜこんなにみんなが夢中になっているか、理解できないみたいだな。
「では、外にいる人達に、朝食の案内をお願いします。テントの人達への利用許可は、管理人さんに確認いただく方がいいのかな」
「彼は遊んでいるので、無視で結構です。朝食のアナウンスをしてきますね」
ちょっと辛辣な言葉にも聞こえたが、まぁ、いっか。僕は、調理場の方へと入っていった。
「ヴァン、私も手伝おうか?」
「にいに、あたちも」
フロリスちゃんの申し出は、忙しい時にはありがた迷惑なんだけど、チビっ子二人も、力強く頷いている。仕事を頼まないと、逆効果か。
「では、フロリス様は、お客さんが来たら、席への誘導をお願いします。チビちゃ達は、食べ終わったお客さんが席を立った後、テーブルの片付けをしてくれる?」
「うん、わかったわ!」
「にいに、わかったの」
『我が王、かしこまりました』
くぅ〜っと、誰かのお腹の悲鳴が聞こえた。ふふっ、まずは、それが最優先だな。
「その前に、三人とも、カウンター席に座ってください。適当に朝食を作ってみるから、味見をお願いします」
「わかったわ! カウンター席のテーブルが汚れているわよ。その掃除からすればいいわね?」
フロリスちゃんは綺麗好きだよな。
「はい、これでお願いします」
布巾をキュッと絞って渡す。あっ、チビっ子達の分もいるのか。チビちゃも、手を出している。マネコンブも真似してるんだよな。
二人の手にも布巾を渡すと、フロリスちゃんの真似をして、拭き掃除を始めた。めちゃくちゃピカピカになりそうだな。
僕は、調理場で、簡単な朝食を作っていく。大きな鍋に野菜スープ、そして、キッシュのような卵料理。パンはたくさんあるから、少し温めた。
紅茶を大容量のポットに作った頃には、三人は、カウンター席に、仲良く並んで座っていた。




