53、商業の街スピカ 〜庭に集まっていた妖精が
僕に与えられた部屋は、土の匂いのする、庭へ通じる小部屋だった。大きな窓から朝日が差し込み、僕は早い時間に目が覚めた。
クローゼット内の服を、すべて魔法袋に入れておいてよかった。まさか、こんなことになるとは……。
服を着替えながら窓の外を見ると、バトラーさんから案内された建物の近くだとわかった。この部屋は、屋敷の一部だが、主人から最も遠い場所にあるのかもしれない。
だけどそれは、フロリスちゃんを守るためだと感じた。奥様同士の権力争いが激しいようだから、部屋の場所ひとつでさえ、争いの火種になりそうだもんな。
庭に出てみると、どこからか声が聞こえてきた。声のする方へと歩いていくと、そこには小さな野菜畑があった。
うっわぁ、たくさんいる!
見たことのない透明な何かが、ふわふわと浮かんでいた。驚いたな、何かの妖精だよね。
『ちょっと、何、あの黒服?』
『新入りね。畑の収穫かしら? カゴを忘れたの?』
声の感じも違う。頭に直接響いてくるようだ。
「おはようございます。昨日から派遣執事として来ているヴァンです」
『えっ? 何、あの子? 聞こえてるの?』
『こっちを見ているよ』
「はっきりとは聞こえないです。姿も、ふわふわとした透明な何かにしか見えません」
『えーっ!! 見えてるじゃない。何者?』
「僕は、ソムリエなので、ぶどうの妖精さんが見えるんです。他の妖精さんは、注意していないと気づかないんですけど、この距離なら、なんとか聞こえてます」
『ソムリエ? ぶどうの妖精の下僕なのね』
「えっと、下僕というわけでもないんですけど」
『やだやだ、ここで愚痴ってるのを聞かれちゃった?』
「近寄らないと聞こえないです。いろいろな妖精さんがいますね。この畑の妖精さんですか?」
『違うよ。ここで集まってるだけ。誰も見えないから』
『下僕なら、内緒にしなさいよ?』
あはは、なんだか慌てているみたいだ。はっきりとは見えない人の方が多い。この街の妖精さんなのかな。
『薬草園や果樹園で寝てるの』
えっ? 心の中を覗かれてる。やはり、妖精さんの能力ってすごいな。
『ほら、勝手に返事をするから、黒服が驚いてる』
「大丈夫ですよ。ぶどうの妖精さんも、勝手に僕の頭の中を覗いて、騒いでますから」
『へぇ、この付近には、ぶどうの妖精はいないのよね』
あっ、妖精さん達が、なぜか慌てて上空へとあがっていった。どうしたんだろう?
「おまえ、こんな場所で何をしている!? 畑に毒でも撒きに来たか」
ふいに背後から鋭い声がした。うわぁ、マズイ。僕は、慌てて、スキル『道化師』のポーカーフェイスを使った。
ゆっくりと振り返ると、門番の制服を着た人が二人いた。ビビってはいけない。下手をすると容赦なく殺される。
早朝から畑にいたんだ。不審者として消されても、不思議ではない。生き延びるには……どうすれば?
僕は、頭をフル回転させた。戦闘力では敵うわけがない。ナイトの貴族の警備の人達なんだ。それなら……。
彼らが、近くに来るのを待って、口を開いた。彼らの手は、腰の剣に添えられている。
「おはようございます」
僕は、やわらかな笑みを浮かべた。
「ここで何をしていた!?」
「はい、妖精さん達と話していました」
「は? 妖精、さ、ん?」
予想しない返答だったのか。彼らは一瞬、呆気に取られたような表情になった。
「そうです。僕は、ジョブ『ソムリエ』なので、妖精さんの声が聞こえるんです。ぶどうの妖精以外は、姿はハッキリとは見えないんですけど」
僕は、内心バクバクだったけど、落ち着いた声で話を続けた。ポーカーフェイス、最高だよー。
「近寄らないと何を言っているかわからなくて、声に引き寄せられるように、ここまで来たんです」
「庭に妖精がいるなんて、聞いたことはないぞ」
僕は、上空を見上げた。うん、僕達の様子を窺っているみたいだ。でも、これだけ離れると全く声は聞こえない。
「今も上空にいますよ。さっきは、僕の頭あたりの高さにいたんです。突然舞い上がったと思ったら、お二人がいらっしゃったんですよ。咎められると思ったのかもしれませんね」
「は? 適当なことを言っても、ごまかされないぞ」
「僕は、事実しか話していません。彼らは、上空からこの様子を窺っていますから。まさか、妖精の存在を否定するおつもりですか? 妖精が立ち寄る庭だということは、誇るべきことですよ」
「い、いや、そんなつもりではないが」
「立ち寄ると言ったか? どこに生息する妖精だ?」
一人は焦ってる。こわい妖精もいるからな。もう一人は、疑っているようだ。
「彼らがどこを守護しているかは聞いていません。眠る場所は、薬草園や果樹園だと言っていましたが」
「ふん、確かに、薬草園や果樹園には、妖精はいるだろうが……。まぁ、いい。さっさと持ち場に戻れ」
ダメだな。
これでは、誰かが畑に毒を撒いたら、僕のせいにされそうだ。この騒ぎを、遠くから見ている黒服がいる。ここは、何とかしないと。毒を撒こうとする者が現れたら、妖精さんが知らせてくれないかな。
僕は上空を見上げた。この距離でも、心の中を覗けるのかな? あっ、ふわふわと円を描くように飛んでる。わかるんだね。すごい能力だな。
すると、一人がスーッと降りて来た。
『私の声が、聞こえないの?』
「えっ? 遠すぎて聞こえなかったです。何ですか?」
僕が突然話し始めたから、彼らは怪訝な顔をした。演技だと思ったのか。だけど気にせず彼らに、手でちょっと待ての合図をした。
『毒なら、もう撒かれているよ』
「えっ? ここにですか?」
『違うよ。毒が撒かれた場所で、のんびりできるわけないでしょう。ついて来なさい』
僕が頷くと、妖精さんはふわふわと進み始めた。
「あの、警備の方、妖精さんがついて来いって言ってるので、一緒に来てもらえますか」
「は? 何の芝居だ?」
「芝居じゃありません! 毒が撒かれているって言ってます」
「何?」
「こっちです」
半信半疑のようだけど、二人は僕の後ろをついて来た。妖精さんが示した場所へは、途中から通れなくなってしまった。
『黒服、通れないの?』
「通れないんで、別の所からまわります。場所を教えてください」
『ツンツンがたくさんある水場よ』
僕は、二人にそのままの言葉を伝えた。
「ツンツンってなんだ?」
「まさか、ルーシー奥様の庭の噴水か? 尖った柵で囲われているぞ」
「大変だ! その水を使って、毎日、坊ちゃんが水浴びをされているぞ」
「ルーシー奥様の坊ちゃんの誰かが、熱を出して寝込んでいるんじゃなかったか? おととい、薬師を案内したぜ」
まさか、毒で?
「おまえは、もういい。持ち場に戻れ。あ、いや、ちょっと待て。担当は?」
「僕は、フロリス様の子守りの契約で、昨日から来ています」
僕がそう答えると、彼らは微妙な顔をしている。フロリス様の状況は、門番でも知っているんだな。
「何かあれば知らせる。持ち場に戻れ」
そう言うと、彼らは慌てて、屋敷の中へ入っていった。
フロリスちゃんの部屋に戻ると、メイドの一人に鬼の形相で睨まれた。持ち場を離れたことを怒っているのかと思ったら、僕が庭に出たことがマズかったらしい。
「ほとんどの使用人は、庭で消えるのです。軽率な行動は控えてください」
心配してくれていたのか。
「すみません。早く目覚めたものですから。あの、もう一人の方は?」
「朝は、私が担当します。マーサは夜勤のため、今は寝ています」
「交代で、常にどちらかが付き添われているんですね」
「ええ、いつ何があるか、わかりませんからね」
時間になったのか、フロリスちゃんを起こし、彼女は少女を抱きかかえて部屋を出た。僕は、慌てて後を追った。
彼女の腕の中で、フロリスちゃんはジッとしている。だが、どんどん人形のように無表情になっていった。嫌なんだな、きっと。
でも、食事場所は決まっているのだろう。無表情で時間が過ぎ去るのを待つのか。楽しいはずの食事時間なのに。
結局、朝食を運んでも、全く食べずに時間だけが過ぎた。メイドは、ずっとピリピリと神経を張り詰めている。こんなの、おかしいよ。
部屋に戻ると、フロリスちゃんは再び眠った。
そして目覚めたのは、昼食時間だ。もう一人のメイドも起きてきた。交代して、今起きた彼女が、フロリスちゃんを昼食のために食事の間へ運ぶようだ。
ずっと、これの繰り返し?
食事の間に入ると、見知らぬ黒服の人が近寄ってきた。
「今朝の件で話がある。給仕を済ませたら、ルーシー様の席へ来い」




