497、北の海 〜海を駆けるゴム玉
「なぜ、海を走るんですか」
僕は、ゼクトさんに腕を掴まれ、引きずられるようにして、遠浅の海を沖へと走っている。まだ膝下くらいの水深だが、そのうち走れなくなるだろう。
「ククッ、足を動かせ! そろそろ浮かぶぜ。ルファス、その先から浮遊だ」
「俺にも見えてます!」
マルクもゼクトさんに腕を掴まれて走っている。見えてるって、何? なぜマルクも走ってるんだよ? 魔法が使えないのか?
ゼクトさんとマルクが同時に魔力を放つ。すると、身体がふわりと浮かび、水面を駆けるようにして進んでいく。
僕達の前を走る3人も、同じ場所の辺りから、海面に浮かんだ。オールスさんが他の二人の腕を掴み、引き連れているようだ。
「なぜ、沖に向かって走るんですか」
僕が再び尋ねても、ゼクトさんはニヤッと笑うだけだ。余裕がないのかもしれない。
「ヴァン、スキル『道化師』の玉を発動する準備をしておけ。ルファスは、何もするな。反射的にバリアを張ると死ぬぞ」
えっ? ゼクトさんは何を言ってるんだ?
前方を走るオールスさん達が、透明な玉を纏った。
「ヴァン、今だ!」
「は、はい」
僕も、同じように、3人を割れない透明なゴム玉で覆った。
「よし、完璧だ。ルファス、何もするなよ?」
「はい!」
ゼクトさんは、何を……。
「うわぁっ!」
背後からは、強い風が吹いてきた。海風ではない。その風に吹き飛ばされて、ぐるぐると玉が海を転がっていく。目が回る……。
ふいに、回転が止まった。いや、玉は海の上をすごい勢いで転がっていく。ゼクトさんが僕の玉の中にもうひとつのゴム玉を作ったんだ。
「ルファス、よく我慢したな」
「手を掴まれてなかったら、反射的に何かやりそうでしたよ。凄まじいですね。ただの咆哮で、これか」
咆哮? ゲナードの?
「あぁ、音無き咆哮だな。俺達を切り裂こうとした衝撃波だろう。次は、どうくるかな。もう歩くだけでいいぜ。ただし、止まるなよ。咄嗟に身体が動かないと、死ぬぞ」
そう言いつつ、ゼクトさんは歩みを止めた。後方を確認し、そして、微妙に玉が転がる向きを変えているようだ。
「はぁぁ、嫌な汗が出てきた」
マルクは、ゼクトさんと繋いでいない方の手で、額をぬぐっている。僕は空いている片手で、魔法袋からりんごのエリクサーを取り出した。
「ゼクトさん、口を開けてください」
「ククッ、たいして減ってねぇぜ」
「ゼクトさんが好きな甘い方ですよ?」
僕は、ゼクトさんの口に、りんごのエリクサーを放り込んだ。
「ヴァン、おまえ、俺のことをガキ扱いしてねぇか?」
「してませんよ〜」
僕は返しを失敗したのだろうか。ゼクトさんは、フッと優しい笑みを浮かべた。これが、国王様なら、もっと上手く言い返せたんだろうな。
北の大陸が見えてきた。まだ、ゴム玉は回転を続けている。
「アイツら、失敗しやがったな。玉は二重にしろと言ったのに、二重の意味がわかってねぇ。ピッタリくっつけて強化したつもりか」
ゼクトさんは、前を転がっていくオールスさん達の方を見て、ため息をついた。だけど、彼らも玉の中で回転していないけど?
「あれは、重力魔法ですか」
マルクがそう尋ねると、ゼクトさんは頷いた。重力魔法で玉の中を安定させているのか。でも、それって、やばくないか?
「ゼクトさん、圧力が変わると、割れますよね」
以前、海底をゼクトさんと歩いたことを思い出した。重力魔法を使っていたから、水中は大丈夫だったけど、外に出た瞬間、ゴム玉は弾けたんだ。
「ヴァン、気圧はそんなに変わらないと思う」
「あ、そっか」
「いや、この先にいるのは、氷の神獣だからな。背後のバカが第二波を撃ってきたら……来るぞ」
ゼクトさんは、手にチカラが入っている。神獣となったゲナードの衝撃波を恐れているのか。
「うわっ」
ドンと追突されたかのような、強い風圧を感じた。
「チッ、やはりな。ルファス、前の玉が止まったら、これを止めろ」
「重力魔法でしか止められないですよ」
「構わない。どうせ、ゴム玉は作り直しだ。ヴァン、いつでも発動できるように準備をしろ」
「は、はい」
海面を飛び跳ねて、ゴム玉が進んでいく。
僕は、進行方向に視線を移して驚いた。北の大陸の海岸沿いに見えていた小屋らしきものが、すべて吹き飛んでいた。
「北の大陸が……」
「あぁ、ゲナードは、俺達を狩るフリをして、広範囲に衝撃波を放ちやがった。となれば、当然……」
えっ? 青い光が見えた瞬間、海が凍った。そして、玉が止まった。マルクが止めたみたいだ。
前を転がっていた玉が見えない。
「ルファス、維持しろ。ヴァンは発動準備はできているな?」
「は、はい」
僕達の玉が、左側へ曲がって、来た道を戻り始めた。氷に捕われた3人を助けに行くんだ。彼らのゴム玉は、完全に氷の塊になっている!
3人の元にたどり着いた瞬間、ゼクトさんは、僕達のゴム玉を解除した。僕のゴム玉はいつの間にか割れて消えていたのか。
うひゃ、ありえないくらい寒い。この氷は異常だ。風が吹くだけでも凍死してしまいそうだな。
「ヴァン! 早くしろ!」
ゼクトさんが、3人を覆う氷を壊した。
「あ、はい!」
僕は、僕達を含む6人を、透明なゴム玉で包み込んだ。海を凍らせている氷からの冷気は遮断できたが、まだまだ寒い。
ゼクトさんは、すぐにオールスさんと国王様に、何かの術を使った。グリンフォードさんは、寒さに強いらしく平気な顔をしていたが、この世界の人間に、この寒さは無理だ。
僕も薬師の目を使う。ゼクトさんの回復魔法は、ちょっと特殊なものみたいだ。聖魔法系か。優しく二人の体温を元に戻していく。
「くはぁ、焦ったぜ」
オールスさんが明るい声を出した。国王様も、頭を押さえているけど、無事だ。
「おまえら、ゴム玉を失敗するからこうなるんだ。打ち合わせ通りにやれよ!」
ゼクトさんは、めちゃくちゃキレていた。打ち合わせって、僕は何も聞いてない。魚釣りをしていたときのことだな。
「しかし、コレ、やべーな」
「氷の神獣は、檻の中にいても、ここまでの力があるってことだ。間抜けなオールス、神獣を舐めすぎだ」
ゼクトさんは、そう言いつつ、ホッとした表情を浮かべた。しかし、なぜ、こんな場所で……。
「ゼクトさん、なぜ……」
「しっ! やはり、出てきたぞ」
ゼクトさんの視線の先には、こちらに歩いてくる何かが見える。だけど、神獣ではない。人間だ。いや、人間か?
青い髪に白すぎる肌の、10歳くらいに見える少女だ。
『おまえ達、なぜ、破壊と共に現れた?』
頭の中に直接響く声だ。少女の口は動いていない。それどころか、時々、光の加減で透き通って見える。幽霊なのか?
幽霊嫌いなマルクにチラッと視線を移す。マルクは、少女を真っ直ぐに睨み、警戒し緊張しているように見える。
「俺達は、神獣ゲナードに狙われている。奴は俺達を喰って、さらなるチカラを手にいれるつもりだ」
ゼクトさんがそう話すと、不思議な少女は気分を害したのか、その目付きが鋭くなる。
痛っ! な、何? 急に頭がズキンと痛くなった。寒さにやられたのか? だが僕達を覆っている透明なゴム玉は、光や音は通すけど、水や冷気は遮断できるはずだよな。
他の5人も、表情を歪めている。これは、あの少女の術だろうか。神官家に生まれた子かな。どうしよう……だけど、ゼクトさんが動かないってことは……動けないのか?
「あ、あの!」
僕が少女に話しかけようとすると、ゼクトさんが手で制した。あれ? ゼクトさんは動けるのか?
『あたしに何か言いたいのか? 精霊師。ふむ、動くラフレアになったか。溜め込んだマナ玉を悪霊に奪われたという愚かな被害者意識。つぼみのラフレアが強き悪霊の餌食になるのは、この世の常識。一ヶ所にマナ玉を集めていたおまえの落ち度だ』
「えっ……」
少女の鋭い言葉に、僕は胸がえぐられるような痛みを感じた。ドクドクと心臓の鼓動が速くなっていく。
そうだ。僕のせいで、ゲナードは神獣に戻ってしまった。僕は何も考えてなかった。マナ玉は、ブラビィも欲しがっていたよな? 当然、ゲナードが狙うことも、少し考えれば予測できることだ。
僕のせいだ……。この世界がゲナードに潰されるなら、それは、奴にエネルギーを与えてしまった僕の責任だ。
「少し違うだろう? ゲナードは、わざとヴァンのマナ玉を狙った。他に、大量のマナ玉が集まる場所があることを、奴は知っていたはずだ」
影の世界の人の王グリンフォードさんが、僕を擁護するように、少女に反論してくれた。




