492、自由の町デネブ 〜気分転換
僕は、ドゥ教会に戻ってきた。
奥さんと息子くんを待たせているマルクはもちろんのこと、ゼクトさんとオールスさんも一緒だ。さらに、神官見習いをしている国王様も、影の世界のご婦人に囲まれたグリンフォードさんを連れてきた。
「ヴァン、大丈夫だった? なんだか顔色が悪いよ」
神官様は、僕の変化にすぐに気づく。確かに僕は今、かなり落ち込んでいる。まんまと悪霊ゲナードにハメられたんだ。
「大丈夫です……」
僕は、上手く笑顔を作ることができないみたいだ。彼女は片眉をあげると、説明を求めるようにゼクトさんの方に視線を移した。
「ヴァンのエサが盗まれたんだ。悪霊が、神獣に戻った」
ゼクトさんは短くそう言うと、僕の腕を掴んで、教会奥から裏庭に出て行く。教会の中にはたくさんの信者さんが居るからだろう。
「ギルマス、どういうことですか」
後ろから、オールスさんに尋ねる声が聞こえてきた。
「俺は、今はギルマスじゃねぇから、よくわからねぇな。だが、町の中をウロウロしてた人面花は、ヴァンが切り刻んだぜ。ご婦人方の魔道具のおかげで、町にはほとんど被害はなかったしな」
オールスさんは、明るい声でそう説明している。やはり、彼は慕われてるよな。
◇◇◇
「ヴァン、俺も腹が減った」
しばらく経って、教会奥のドゥ家の屋敷のリビングに、マルク達が入ってきた。
僕は、食卓横のソファに座っていた。
ただ、ボーっと座っていた。
「カインも、お腹が空いているみたいなのよ」
マルクの奥さんフリージアさんも、マルクに合わせる。
「なんだなんだ? めちゃくちゃ暗いじゃねぇか。狂人の病気が移ったか」
明るい雰囲気のオールスさんも入ってきた。ゼクトさんと目配せしている。神官様も、娘のルージュを連れて戻ってきた。
国王様やグリンフォードさん達は、まだ教会内にいるのかな。
ゼクトさんは、無言でテーブル席に座っていた。僕を一人にしないように、だけど邪魔しないように、寄り添ってくれている距離だと感じた。
「じゃあ、僕、何か作りますね」
僕は立ち上がり、キッチンへと移動する。
「ヴァン、私も手伝おうか?」
神官様が、娘のルージュをベビーベッドに寝かせて、そう言ってくれた。珍しいな。
「おい、フラン! 邪魔をするな」
ゼクトさんが、彼女を制した。うん、今の僕は、彼女と一緒に料理をする気分じゃない。黙々と作業としての調理なら、少しは気が紛れると思う。
「俺も、普通のメシが食いたいかな」
オールスさんが、神官様をからかうようなことを言った。
「ちょっと、ギルマス! じゃなかった、オールスさん! ひどいわよ?」
神官様は、冒険者のときのようなキャピッとした雰囲気で、プンスカ怒っている。ふふっ、こんな彼女を見るのは久しぶりだな。
このあたたかな雰囲気は、みんなが僕を気遣ってくれているのだと感じた。僕がここでボーっとしていた間に、すべての事情は、オールスさんや国王様から聞いたのだろう。
時間的に、そろそろ夕食か。
きっと、マルク達は本当にお腹が空いてるだろうな。教会で働く見習い神官や使用人の分も作ろうか。
僕は、食材の貯蔵庫や魔法袋を確認した。使用人の子達が触りたがらない、癖のある肉が余っているようだ。これを使って、シチューでも作ろうかな。
「ヴァン! 今から晩ごはんを作るの?」
パタパタと駆け寄ってきたのは、フロリスちゃんだ。オールスさんの声が大きいから、気づいたのかな。少女は、屋敷の4階に住んでいる。この町のレモネ家の学校に通っているためだ。
「はい、今から作りますよ」
そう答えると、少女はパァッと明るい笑顔を浮かべた。フロリスちゃんの笑顔は、癒される。
「じゃあ、これ、お願い!」
少女は、僕に魔法袋を手渡した。
「フロリス様、これは何ですか?」
「今朝、学校でね、レモネ家の奥様からいただいたの。フリックが、生の魚を食べたことがないって話してたら、ちょうどいいわとおっしゃって」
レモネ家の奥様? シルビア様か。人懐っこい少女のまま大人になったような女性なんだよな。この町に逃げてきた人達への支援を熱心にされている。
シルビア様は、ラスクさんの奥様の妹さんだ。白魔導系の貴族ルーミント家の生まれなんだ。白魔導士には、彼女のように人助けの活動をする人が多い。
僕は、魔法袋の中を確認してみた。予想を超える大量の魚が入っている。
「フロリス様、めちゃくちゃたくさんですね」
「そうなの。みるるんに渡したんだけど、無理って言われちゃった。たくさんの目が怖いんだって」
みるるんは、フロリスちゃんが育てた天兎の成体だ。メイド服を着ているけど、本当はオスなんだよな。フロリスちゃんが、メスだと思い込んでいるから……メイドのような仕事をしている。
ぷぅちゃんがライバル視していじめるから、ちょっと気の弱い子に育ってしまったみたいなんだ。
「たくさんの魚が入ってますからね。生食をご希望ですか? ちょっと、生では食べられないものもありそうですよ」
「えーっ? レモネ家の奥様は、みるるんに調理できなかったら、ヴァンに任せればいいって言ってたよ。全部、生で食べられるほど新鮮だって、おっしゃってたもんっ」
いやいや、フロリスさん。生で食べられるほど新鮮って言っても、生食だと毒になる魚も混ざってますよ?
そう反論しようとすると、左足に蹴りが入った。足元を見てみると、不機嫌そうな白い兎がいた。
ゲナードを神獣にしてしまったから、怒っているのか。いや、フロリスちゃんに逆らうなってことかな。
「フロリス様、生食できる魚はマリネにしますね。他の魚は、白ワインで蒸し焼きにしましょう。生食ばかりでは飽きてしまいますから」
「まぁっ、白ワインで蒸し焼き? そんな料理は食べたことがないわっ」
フロリスちゃんは、目を輝かせた。ふふっ、少女が喜ぶように、見た目にも気を配ってみようか。
「これから、お作りしますね。少しお待ちください」
「うんっ! あっ、ルージュちゃんは生の魚は食べちゃダメらしいよ。白ワインで蒸し焼きにしたら、食べられるかな?」
「そうですね。でも、ルージュは……」
「私がちゃんと食べさせてあげるから大丈夫よっ。フランちゃんは、ちょっと不器用なところがあるから、お魚は心配だわっ」
あらら……。神官様が、こちらへクールすぎる視線を送ってくる。だけど、なぜかフロリスちゃんじゃなくて、僕を睨んでいる気がする……。
フロリスちゃんは、そんな彼女の視線には気づかない。
「私、ルージュちゃんと遊んでくるねっ。ヴァン、早く作って」
「はい、かしこまりました」
タタタと離れていく少女を追いかけて、不機嫌な白い兎も離れていった。だけど、ゼクトさんに捕まったみたいだな。
「ぷぅ太郎! 赤ん坊に近寄るなよ」
白い兎は、ゼクトさんに殺意に似た何かを向けている。フロリスちゃんと引き離されただけで、それかよ。
「ぷぅちゃん、ゼクトさんの言う通りだよっ。ルージュちゃんが怖がるかもしれないでしょっ。来ちゃダメっ」
フロリスちゃんからそう言われて、白い兎は、強い衝撃を受けたらしい。力を失ったのか、ゼクトさんに掴まれてダランとしている。
ルージュの近くにいたマルクの息子カインくんは、フロリスちゃんに微笑みを向けられて、真っ赤になっている。
ふふっ、僕も頑張って作らなきゃな。
◇◇◇
「お待たせしました、皆さん」
僕は、食卓のテーブルに、晩ごはんを並べていく。
「おわっ!? めちゃくちゃすごい料理じゃないか!」
いつの間にか合流している国王様が、大げさに騒いでいる。彼も、僕を気遣ってくれているようだ。
「フリックが生の魚を食べたことないらしいのって、レモネ家の奥様に話したら、お魚をたくさんくださったの。みるるんは無理だったから、ヴァンに調理してもらったんだよっ」
「さすが、フロリスだな。食べていいか?」
「うんっ、いいよ。これはねー、お魚のマリネっていう料理だよ。それから、こっちのいい匂いのが、白ワインで蒸し焼きにしてあるの」
「へぇ、どっちも食べたことないな」
僕が取り分けている横から、国王様は手を出して、ひょいと掴んで口に運んだ。わざとだな。
「まぁっ! フリック、お行儀が悪いよっ。ヴァンが取り分けてくれてるでしょっ」
「フロリスが食べていいって言ったじゃねぇか」
やはり、からかってる。
「ちゃんとフォークを使って食べなさいっ。ほら、そこにちゃんと座ってっ」
フロリスちゃんに叱られ、国王様はニヤニヤしながら椅子に座った。




