491、自由の町デネブ 〜アマピュラス、再び
「逃げる準備まで整えていたらしいな、ゲナードは」
ゼクトさんは、吐き捨てるようにそう言うと、剣を鞘に戻した。
「お気楽うさぎを王都から動けないようにしたのは、こういうことだな。だからゲナードは、ヴァンを攻撃しなかったんだ」
元ギルマスのオールスさんは、怒るゼクトさんをなだめるように、ポンポンと肩を叩く。
確かに、オールスさんが言うように、ゲナードは僕には攻撃をしてこなかった。僕だけじゃない。町には、ほとんど被害はない。
僕の生命が危険にさらされると、ブラビィは、王都を見捨ててでも、ここに来る。従属だし覇王も使っているから、僕の生命を優先するはずだ。
ブラビィは、今では聖天使だ。堕天使の頃と違って、ゲナードは恐れているのかもしれない。ブラビィ単独では厳しくても、ぷぅちゃんも居るからな。奴は、天兎のハンターと聖天使を揃わせたくなかったのだろう。
何人かの冒険者は、ゲナードの術でおかしくなったり、負傷したようだ。だけど、マルクが配っている僕が作ったポーションで治る程度だ。
ゲナードは、神獣の姿を得るためにこの町に来たのか?
逃走の準備もしていたのは、ここが奴にとって、油断できない場所だからだろう。
逆に言えば、そんな場所にわざわざ来たのは……そもそもなぜ、ラフレアの池で、神獣が復活するんだ?
悪霊を浄化することはあっても、ラフレアが悪霊を神獣化するなんてありえない。
「ゼクトさん、なぜ奴はラフレアの池で神獣になったんですか」
僕は、思わずそう尋ねてしまった。失笑されるのは覚悟の上だ。ラフレアハンターである彼なら、僕の知らないことを知っているかもしれない。
「ヴァン、おまえ、のんきだな」
「えっ……のんき?」
ゼクトさんは、僕に失望したのだろうか。彼の表情は険しい。
「あぁ、もっと怒るだろ? まぁ、その姿ではマズイがな。観客が多すぎる。おまえは、ドゥ教会の旦那さんでもあるからな」
ゼクトさんはそう言うと、池の中を覗き込んでいる。
水面に浮いていた死んだラフレアのかけらは、もうすべて、水底に沈んでいるはずだ。僕の根が、それらをマナに分解し始めている。
そういえば、さっきゲナードに、マナの吸収を邪魔されていたんだよな。もう大丈夫だろうか?
僕は、スゥゥッと息を吸う。
多少は吸収できるが、やはりイマイチだな。池の底に、ゲナードが何か仕掛けたのか? しばらく水面が真っ黒に染まった。奴は、あの後、神獣として復活したから、様々な仕掛けもあのときだな。
僕は、根を動かして池の底を探る。
うん? 根がスイスイ動く気がするのは、なぜだ? 根が減ってしまったのだろうか。
僕は、池を覗き込む。
「うわっ!」
水面に映った自分の姿に、一瞬ヒヤリとした。
「ヴァン、まさか気づいてなかったのか? 奴も、自分で暴露していたじゃねぇか。エサを奪われた報復か、ってな」
エサ? 何のことだろう?
「いや、僕は……水面に、アマピュラスが映っていたから」
するとゼクトさんは、ククッといつもの調子で笑った。
「おまえ、視線に気をつけろよ? 一応、異界の奴らが、魔道具人形でバリアを張ってるがな。アマピュラスの視線は、普通の人間には、熱線を浴びたように熱くて痛いぜ」
そうだった、アマピュラスは神獣人と呼ばれている。僕も、初めて変化したときには驚いたけど、天兎の戦闘形だ。天兎のハンターであるぷぅちゃんよりも、神獣に強いと思う。
今はもう手から消えているけど、槍のように細長い剣は変形し、ロープの束のような武器に変わったっけ。それを見た瞬間、ゲナードは逃げ出した。
「さっき、僕の手に現れたロープの束みたいなアレは……」
「あぁ、変化で、あんなもんまで出せるなんて、さすが動くラフレアだな。バケモノ級の魔力がないと扱えない」
ゼクトさんは、少し楽しそうな表情に変わってきた。よかった。僕は、彼を失望させたわけじゃないんだ。
「使い方は、わかったんですが、アレって拘束具ですよね?」
「あぁ、檻だな。ゲナードに使えば、闇の檻になるだろうな」
ゲナードに使えば? もしかして……。
「やっぱ、檻かぁ。ヴァンがさっさと使えば……いや、ゲナードの逃げ足の方が速いな」
オールスさんが話に入ってきた。僕がアマピュラスの姿でも平気なのだろうか。
変化を解除しようとすると、ゼクトさんが、手で制した。まだ、危険は去ってないのか?
「間抜けなオールス、アレはヴァンが使うべきではない。まぁ、見せたのは良かった。奴は、アマピュラスの姿を見てからは、ほとんど反撃はしなかったしな」
「そうか? まぁ、ヴァンがその姿をしていると、静かでいい」
静か? あー、確かに、みんな静かだ。僕が視線を向けることを恐れて、静かにしているんだよな。普通に見回すだけなら問題はないと思うけど。
「ククッ、じゃなきゃ、バンシー使いが何をするか、わからねぇからな」
国王様のことだよね?
僕は、なるべく池を見ながら話すようにした。池に映る人々が、僕達をジッと凝視している姿が見える。アマピュラスを恐れているんだ。
だけど、アマピュラスが居ることで、ゲナードが汚した空気が清浄化されていく。ゼクトさんは、それを狙っているのだろうか。
「あっ! 無い!?」
僕は、池の底の変化に気づいた。いつもなら、ラフレアの根は、たくさんの銀色の玉を抱えている。だから、動きにくい。
しかし今、マナ玉が、ほとんど見当たらないんだ。あんなに大量にあったのに、なぜ……!?
「ヴァン、もう少しだ。騒がずジッとしていろ」
僕が声をあげると、ゼクトさんに注意された。アマピュラスの身体から放つ光を利用して、ゼクトさんが何かを始めたようだ。
「ヴァン、さっきの檻で、かなり魔力を取られたんじゃないか?」
そう言うと、オールスさんが僕に、木いちごのエリクサーを放り投げてきた。
「えっ? オールスさんがなぜこれを?」
「これは、アルからの上納品だよ。アイツも、俺のパーティのメンバーだからな」
僕は、木いちごのエリクサーを口に放り込んだ。だけど、たいして回復しない。改めて僕はバケモノ級の魔力量なのだと実感する。
アマピュラスに変化していても、ロープの束のような拘束具を出しても、ほとんど減っていないのだから。
「アルさんって、スピカのカラサギ亭のマスターのことですよね? そういえば、以前もパーティを組んでたんですよね」
ゼクトさんが狂人と呼ばれる前だから、10年以上前だよな。
「まぁな。しかし、その檻を使えるなら早く言えよ。もっと打つ手があったぜ」
そう言われても……。
すると、作業を終えたらしいゼクトさんが口を開く。
「オールス、言っておくが、ヴァンがアレを使えば、神官のスキルが消えるぜ」
「は? なぜだ?」
「ヴァンが出した檻は、本来なら神が使うモノだ。許可なく放てば、神官として越権行為だ」
げっ? 神官のスキルが消える?
確かに……そうだよな。あのロープの束は、ゲナードを捕らえる檻になる。永遠に消えない檻だ。神の檻。北の大陸にいる氷の神獣テンウッドを閉じ込めている檻と同じものだろう。
おそらく、神が、本物のアマピュラスに命じて、氷の神獣を閉じ込めたんだ。
「ヴァン、もう変化を解除していいぜ。あの悪霊の真似をしようとするバカには、アマピュラスの熱線が貫くからな」
ゼクトさんは、大きな声でそう言った。話を聞いている冒険者達に……いや、影の世界の住人に言ったのか。変な仕掛けを作ったんだな。
「ゼクトさん、ゲナードの真似って……」
「ヴァンのエサを盗んだだろ。堕ちた神獣は、ヴァンが目を離した……じゃねぇな、根を離した隙に、マナ玉を奪い、膨大な魔力で再生魔法をかけた。マナ玉を盗むために、ヴァンが池で根を振り回すようにラフレアの花を操ってたんだよ」
えっ? 根を……。僕は、ハメられたのか? 僕のせいで、ゲナードが復活した?
「お、おい、ヴァン、さすがにそれはやめろ!」
オールスさんが怒鳴った。
「ヴァン、変化を解除してからにしろ」
「あっ、はい」
僕は、変化を解除した。
「痛っ!」
突然、全身に刺されるような鋭い痛みが走った。
「おまえなー。ククッ」
ゼクトさんは、笑いながら僕にバリアを張ってくれた。
「ヴァン、やはりアマピュラスは、やめておく方がいいな。自分が放ったオーラで、自分が切り刻まれるぜ」
オールスさんは、苦笑いを浮かべながらそう言った。さっき、やめろと怒鳴ったのは、僕が妙なオーラを放ったからか。ははっ、笑えない。
「そうですね、気をつけます」




