486、自由の町デネブ 〜さらに季節は進み
それから数ヶ月、穏やかな時間が流れた。
季節は進み、町の中央にある池に、デネブの名を持つ白い水鳥が飛来する季節がやってきた。この町ではデネブは、夏の終わりを知らせる渡り鳥だ。
これまでの僕は、水鳥のことなんて気にしてなかったが、今、池には僕のラフレアの株がある。うっかり水鳥を痺れさせるとマズイので、僕は町を離れられないでいる。
白い水鳥は、例年なら数日で飛び去る。デネブの名を持つ各地をまわっていくのだ。なのに今年は、なかなか去ってくれない。もうひと月近く、居座っているんじゃないかな。
フラン様は、教会の左奥に、専用のソファと小さなベッドを置き、出産の3日後からずっと休まず、朝から昼すぎまで、教会に出ている。
当初は、しばらく休む予定だったんだけど、信者さん達が屋敷に押し寄せてくるから、結局、この方が楽だということになったんだ。
僕は、あれからずっとこの町にいる。フラン様が心配なのと、水鳥のこと、そして僕への客が増えたからだ。
しかも、国王様がまた見習い神官として屋敷に泊まっているから、僕は、ドゥ家の執事の役割も果たしている。一言でいえば、何でも屋という状態だ。
「ルージュちゃん、おはよう」
「あっ、カインくん、また来てくれたのね。ありがとう」
「うん、ぼくは、またきてくれたよ」
ほんのりと頬を赤く染めた小さな紳士は、フラン様に、持って来た小さな花束を渡している。
小さな紳士は、マルクの息子なんだ。すっごい反抗期だったらしいけど、ふた月ほど前に僕の娘に会ってから、コロッと変わったようだ。今では、とっても紳士なんだよね。
カインくんは、マルクが魔法で4歳児に化けたのかと疑いたくなるほど、マルクに似ている。そのためか、母親のフリージアさんは、カインくんを溺愛しているそうだ。
僕とフラン様の娘は、ルージュという。性別不明な見た目だけど、女の子だったんだ。真っ赤なほっぺから、フラン様がそう名付けたんだよね。
ルージュとは、赤を示す言葉だ。赤ワインの銘柄にも使われる名前だからと彼女が力説して、僕は押し切られた形だ。
僕としては、もっと可愛らしい名前がいいと思ったんだけどな。ルージュという名前は、冒険者に多い。危険なことはしてほしくないな。
ルージュは、最近は表情が豊かになってきて、すっごく可愛い。それに、よく笑うんだよな。天使のような笑顔だと言われている。
だから、信者さん達にも大人気だ。
よく来る信者さんは、ルージュを抱っこしてあやしてくれる。わざわざルージュを抱っこするために、王都から転移屋を使って通ってくる人もいるほどだ。
だけど、僕が娘を抱っこしようとすると、なぜかいつも竜神様の子達が、ぽよんぽよんと近寄ってきて、僕の腕に飛び込んでくる。
あの子達に娘が押しつぶされそうで怖くて……結局、いろんな人達の腕の中にいるルージュを眺めることしかできないんだよな。
もう少しルージュが大きくなれば、竜神様の子達は、いい遊び相手になりそうだけど。
「あらあら、また、カインがお邪魔しちゃってるのね。フランさん、こんにちは」
「こんにちは。今日も、ルージュにお花をくれたんですよ。ルージュの部屋は、可愛いお花でいっぱいだわ。カインくんは、素敵な紳士ね」
「まぁっ、誰に似たのかしら? ふふっ」
教会に駆け込んできたのは、マルクの奥さんのフリージアさんだ。彼女はすっかり痩せて、以前とは別人のようだ。でっぷりと太った貫禄のありすぎる女性だったんだけどな。
カインくんは、3歳くらいの頃から、ひとりでふらっと出掛けてしまう癖があるらしい。そのため、スピカや王都では危険だからと、フリージアさんは、デネブに新たに屋敷を建てたみたいだ。
マルクは、基本、放任主義なんだよな。とは言っても、マルクは従属のネズミくんに、常にカインくんを監視させているみたいだ。
だけど、それは内緒にしているらしい。僕も、直接マルクからは聞いたことはない。泥ネズミのリーダーくんからの情報なんだ。
カインくんに監視がついていることを知らないフリージアさんは、毎日、カインくんを捜しまわっているそうだ。最近は、昼までなら大抵ドゥ教会で発見できるから安心だと言ってたっけ。
今日もカインくんは、ルージュの小さなベッドを覗き込んで、手を振ったり、変顔をしてあやしたりしてくれている。ふふっ、あの変顔は、完全にマルクだ。
飽きることなく、ずっと見てるんだよな。それに、カインくんはとても優しい顔をしている。妹のように思ってくれているのだろうか。
僕は、教会の右側の通路を塞ぐような形で、いつものように、大量の薬草に埋もれて正方形のゼリー状ポーションを作っている。
フラン様達の様子は見えるけど、少し離れている。薬が必要な人達が、すぐ僕に声をかけることができるように配慮した位置だ。
「ヴァンさん、ちょっといいかしら?」
僕に声をかけてきたのは、グリンフォードさんの取り巻きのご婦人だ。スキル『道化師』の変化を使って人間の姿に化けているけど、この世界の住人ではない。異界の……影の世界の人だ。
「はい、こんにちは。お久しぶりですね。どうされました?」
ご婦人は、見たことのない若く見える女性を連れていた。この女性も、影の世界の人だな。
「あの、この子の調子が悪いんですの。まだ、こちらの世界に来て10日ほどなのですけど……」
新たな観光客か。ご婦人方は、グリンフォードさんから何を命じられたか知らないけど、神矢を得た人の案内を積極的にしている。
それ自体は構わないし、むしろ歓迎なんだけど、女性ばかりを連れてくるんだ。この世界の強き者を探すという宝探しに夢中なんだよな。
だから、最近はゼクトさんの機嫌が悪い。
ご婦人方の世話をしているイザンさん達のハーレムに入れない女性達が、他の獲物を探し始めたらしくて……イザンさんと同じLランク冒険者は、そのターゲットにされているそうだ。
「調子が悪いというのは……具体的な症状は、何かありますか?」
そう尋ねながら、僕は若く見える女性を、薬師の目を使って診てみる。うん? 何だか変だな。
「この子、痩せてきてしまったのですわ。この世界の食べ物は、気に入って食べているのに、弱くなってきていますの。毒物かと思って、ボックス山脈で薬師の人間に診てもらったけど、わからないのですわ」
ご婦人方は、ボックス山脈に出入りしているのか。
「毒物ではありませんね。ただ、何か変だな。マナの流れが頭の一部で乱れています。視覚に異常はないですか」
そう尋ねると、若く見える女性が口を開く。
「あの……叔母様の言う色がわからないのです。こちらの世界は、色のある世界だと言われたけど、私にはその違いがわからなくて……」
白黒の世界に見えるのか。ということは……。
「貴女の頭の中に、マナの流れがおかしい場所があります。貴女は、どこでスキルを使って姿を変えました?」
ナイフで切って取り除くか? いや、でも変化を解除すれば、解決する?
彼女の頭の中には、銀色のマナ玉が入っている。僕が作り出したものではない。別のラフレアが生み出したマナ玉だ。
影の世界の住人には、人間に変化していてもマナ玉は吸収されないらしい。それどころか、むしろ害になるのか。異物の存在が、スキルの邪魔をしている。
「ボックス山脈にある出入り口ですわ。北の大陸の出入り口は、獣が邪魔だから、グリンフォード様がイザンさんに命じて、ボックス山脈に、もうひとつ出入り口を作ってくださったのですわ」
へぇ、知らなかった。でも、その方がいいな。
北の大陸には、氷の神獣テンウッドがいる。夏季は、奴らは動かない。だが肌寒くなってくると、また去年のように襲撃が始まると、ゼクトさんが言っていた。
「そうでしたか。ボックス山脈だから、そんな物が紛れ込んだのですね。確かに変化を使って大きく身体の構造を変えるときには、周囲のものを取り込んでしまうことがありますからね」
僕がそう説明すると、ご婦人は不安そうな表情を浮かべた。
「何が紛れ込んだのかしら」
「まぁ、一種のエネルギー体です。魔物なら魔石を体内に持ちますが、それは、別のモノの魔石みたいなものですよ。切除か……いや、ちょっと痺れるけどいいですか?」
「この子が治るなら、なんでもやってちょうだい!」
「かしこまりました」
僕は、彼女の頭に手をかざし、手からラフレアの根を出してプスリと頭部に突き刺し、マナ玉を取り出した。




