464、リースリング村 〜国王と王と……
婆ちゃんのぶどうパンが焼き上がると、僕の上着の右ポケットの中にいた泥ネズミのリーダーくんが、ごそごそと動き始めた。
だけど、泥ネズミを、食卓に出すわけにはいかないんだよな。リーダーくんも、ごそごそしてるだけで、飛び出してくる様子はない。
僕は、焼き上がったぶどうパンを冷まし、ポケットの中に入れた。
『のわわわっ、た、た、食べたべべ……』
「食べていいよ。だけど、出てきちゃダメだからね」
『わわわわでございますです!』
意味不明だけど、わかったってことかな。もう一方のポケットにも、ぶどうパンを入れた。
『我が王、ありがとうございます!』
「いえいえ、どうぞ」
賢そうな個体は、おとなしくしている。リーダーくんはごそごそと落ち着きがないんだよね。
「ヴァン、餌やりなら、出してやったらどうだ?」
国王様は、泥ネズミを見慣れているからそう言うけど、リースリング村だと、魔物だと思われるだろうな。たまに畑にいる野ネズミよりも、かなり大きい。
おそらく既に、たくさん来てるだろうけど、目撃されないようにしているはずだ。
「フリックさん、村には居ない動物なので、驚くと思うから」
「お婆様が、びっくりして転んじゃうと大変だわ」
フロリスちゃんは、膝に乗せた天兎のぷぅちゃんにパンを渡しながら、国王様に指摘してくれる。
「フロリスがそう言うなら、仕方ないか」
国王様も、フロリスちゃんには負けるみたいだな。僕だけなら、きっと否定しただろうけど。
婆ちゃんは、ぶどうパンの第二弾を焼いている。
僕達の方をチラチラと見て、とっても嬉しそうだ。国王様もアラン様も、すごい勢いで食べてるからかな。
僕は、紅茶のおかわりを皆にいれながら、たまには帰ってこないといけないなと、反省する。
父さん達は、いま、スピカの酒屋を手伝いに行っているらしい。それを聞いて、僕は安心したんだ。だけど、明日か明後日には戻ってくると言っていた。
爺ちゃんは、村長様の屋敷に出かけているようだ。収穫と出荷が落ち着いたから、手伝いにきてくれた人達の送別会をしているらしい。
賢そうな個体が教えてくれた異界の住人2人のうちのひとりは、送別会に出席してるのかな。
『我が王! 収穫の手伝いに紛れ込んだ男と、観光客のフリをしている王の2人です。収穫の手伝いの男は、村長の屋敷にいます。もうひとりは……』
「うん? 観光客のフリをしている王? 王様なの?」
『はい、異界で、多くのネズミを従えています』
「あぁ、覇王持ちなんだ」
影の世界でもスキルを取得する手段があるのかな。神矢は、こっちの世界にしか降らないはずだけど。
僕が小声でコソコソ話していると、国王様がジッと聞いてるみたいだ。フロリスちゃんとアラン様は少し離れているから気づいてない。
あっ、何だろう? 甘さを感じる。デネブに置いてきた根から伝わってくるのだろうか。
『我が王! 近寄ってきます。観光客のフリをしている王です。我々に術を使ってきて、それが弾かれたから居場所が……し、失礼しま……』
「いいよ、逃げなくても。逃げても無駄な気がする」
僕の声が大きかったのか。アラン様と目が合った。
『かしこまりました。ここでお守りします!』
ふふっ、賢そうな個体はキリッとした声だ。一方でリーダーくんは、ぶどうパンに夢中なんだよね。ということは、近寄ってくる人は、殺意を放ってないんだな。
国王様とアラン様は、互いに目配せをしている。
「さぁ、お代わりが焼けたよ。ヴァンちゃん、取りにきてくれるかい」
「うん、婆ちゃん、ありがとう」
焼きたてのぶどうパンを受け取り、食卓に運んだときに、ウチの家を覗いている男性の姿が見えた。
「あれ、お客さんかね?」
婆ちゃんが出て行こうとするのを、僕は制した。
「僕が声をかけてみるよ。婆ちゃんは、夜食用のパンを焼いてほしいな」
「おや、まだ足りないのかい? 育ち盛りだねぇ」
婆ちゃんは、ほくほくとした笑顔で奥へと消えていった。
僕は、家を覗く男性に声をかける。
「ウチに、何かご用ですか?」
「あぁ、いや、なんだかいい匂いがすると思いまして。この村には、観光で来たのですが」
明らかに、考えていたような言い訳だ。
「よかったら、どうですか。ウチの婆ちゃんのぶどうパン、焼きたてですよ」
「いえ、大丈夫です。すみません」
やはり断るか。
だけど、彼は家の中を覗いている。国王様やアラン様に視線を移したが、二人は焼きたてパンに歓声をあげ、食いしん坊な冒険者を装っている。
やはり、この男性は何かを探しているようだ。
あー、甘いな。あっ! なぜ?
男性の周りに、ラフレアの根がフラフラしている。彼に触れないようにしているみたいだけど……彼が纏う何かが甘い。
このまま探られるのも、良くないか。
「あの、何をお探しですか?」
僕が真っ直ぐに見つめると、彼は首を傾げた。
『我が王! また変な術を使ってます』
賢そうな個体が、そう教えてくれた。リーダーくんは……僕のポケットの中で、すぴすぴと眠っている。お腹が膨れたから眠くなったのかな?
「おかしいな、と思いまして。この村、いや、王都もそうだったが、通用しないのかな」
ようやくその男性は、僕と話す気になったらしい。
彼が甘い何かを纏っているということは、スキル『道化師』の変化だな。この世界の住人を喰って姿を手に入れたわけじゃないんだ。
「スキルの神矢を得られたのですね。僕の従属の泥ネズミが、貴方を王と呼んでいます」
僕がそう言うと、彼は目を見開いた。そして、国王様やアラン様、さらにフロリスちゃんの膝の上に視線を走らせた。
「もしかして、キミなのか?」
「ふふっ、僕が一番弱いから意外でしたか。僕は、ネズミ達を従えているヴァンといいます」
「そうか、俺は、グリンフォード。キミ達が異界と呼ぶ世界の住人だよ。それも気づいているようだね」
僕が、やわらかな笑みを浮かべると、彼、グリンフォードさんも、ふわりと微笑んだ。
「よかったら、ぶどうパンを一緒に食べないか?」
国王様がそう声をかけた。
「キミは……王だな?」
「シーッ! 素性は隠している。協力してくれ」
国王様が悪戯っ子のようにそう言うと、グリンフォードさんは、ケラケラと笑った。
「俺も素性は隠して、観光に来た。キミは……フリックか」
えっ、国王様の名前を知ってるの?
「あぁ、そうだ。氷の神獣に命を狙われているらしい」
あー、そういうことか。
「ふっ、確かに。だがテンウッドから聞いた印象とは、少しタイプが違うな。やはり直接、自分の目で見ないとわからないものだ」
うん? グリンフォードさんって……もしかして、本当に王様なのだろうか。
まだ、神矢は2回しか降っていない。なのに、スキル『道化師』超級の神矢を得たということは、権力者だよな。
「グリンフォードといったか。直接、自分の目で見ることが重要なのは、私も痛感している。そして、誰かを頼ることも大切なことだ」
国王様は、そう言って僕の方に視線を移した。
嫌な予感がする。
「彼は、ソムリエだな? 王がソムリエを頼るのか」
うげっ、ジョブがバレてる。
「あぁ、そうだ。グリンフォードも、ここに来たのは、ただの偵察じゃないだろう? わざわざ、私の提案したスキルを使って来るということは……」
国王様は、何の話をしているんだ?
「すっかりお見通しか。俺の爺が、この世界の王の夢の中に会いに行ったと言っていたが……」
「あぁ、夢予知か。一度目の神矢以来、毎日、出てくる頑固そうな爺さんのことかな」
国王様の夢? 北の大陸の神矢以来ってこと?
「頑固そうなのではなく、比類なき頑固者だ。この世界を潰すと騒いでいる。だから偵察に来たのだ。潰すべき世界なのかを自分の目で見るためにな」
うわぁ……。
国王様とグリンフォードさんは、互いに笑顔だけど、バチバチじゃないか。
アラン様は、国王様に命じられているのか、フロリスちゃんと一緒に奥へと移動している。話を聞かせたくないんだな。
奥からは、婆ちゃんと楽しそうに話すフロリスちゃんの声が聞こえる。ぶどうパンの作り方を見学しているようだ。
「それで、グリンフォードは、どう見る?」
「うむ、そうだな。我々が予想していたより、こちらの世界は不思議だ。なぜ、そのソムリエを頼る?」
「ふふっ、それは言えない。ヴァンには、隠し事がたくさんあるからな」
「そうか。ネズミを従えているということは、彼も王なのだな?」
ただの技能だよ!
僕は二人の睨み合いに、心臓が潰れそうになっていた。




