436、自由の町デネブ 〜ヴァン、十九歳になる
それから、しばらくの時が流れた。
国王様は身分を隠して、ドゥ教会で神官見習いをしている。そのためデネブには、王宮の出張所の屋敷が建てられたんだ。たまにその屋敷で、国王としての執務をしているようだ。
王族出身の暗殺貴族アーネスト家の当主ララさんは、国王様の警護をするということで、その屋敷に自分の部屋を作ったようだ。だけど、王立総合学校の教師は続けているらしい。
ララさんは、僕のことを相変わらず師匠呼びする。だけど、あのポーションの作り方を教えてくれとは言わないんだよな。もう、忘れているのかもしれない。
フロリスちゃんは、この町にあるレモネ家の学校に通い始めた。魔導学校は、少年期生を既に卒業していたようだ。
国王様と数人の側近、そしてフロリスちゃんとメイドとぷぅちゃんは、ドゥ家の屋敷に住んでいる。なぜか本当に住んでいるんだ。
しかも国王様は、神官見習いだからと、他の神官見習いの人達と同じ部屋で寝ている。
一応、4階の客室には、国王様達の部屋と、フロリスちゃん達の部屋を用意してある。だけど、国王様は3階で寝ているし、フロリスちゃんは、ちょくちょく僕達の寝室に枕を持ってくるんだ。
だから最近、僕は、精霊の森の横の家に追いやられることが多いんだよな。まぁ、バーバラさんが喜ぶからいいんだけど。
影の世界の人達も北の大陸も、あれからは静かだ。黒石峠で国王暗殺を失敗したから、新たな策を考えているのかと心配している。
奴らが使った蟲は、教会の中庭で、すべて浄化されて消えていった。六精霊様は、中庭から新たに生まれる妖精や精霊の世話をするために、よく立ち寄るようになっていた。
彼らは、名前を持たない基本精霊の中で、最も上の地位だからだろう。新たな精霊や妖精の世話は、彼らの重要な役割のひとつのようだ。
一方で、ラフレアの開花は、急増している。開花すると赤い花は、やはり狂っていくようだ。ラフレアの森には、ほぼ毎日のように、ラフレアハンターが狩りに行っている。
ボックス山脈の方のラフレアの森は、あまりにも危険すぎて、誰も調査にすら行けないらしい。
ゼクトさんから、近いうちに行こうかと誘われている。だけどその隙に、氷の神獣テンウッドが動く可能性もあるから、なかなか行く決断ができないんだ。
まだ、スキル『道化師』の神矢は降っていない。ゼクトさんが言うには、もう少し先になるそうだ。
そして、僕は、十九歳になった。
◇◇◇
「旦那さん、また腰が痛くなってしまったんだよ」
「あたしゃ、右手がしびれてねぇ。頭が腐ってるんじゃないかと心配なんじゃ」
僕がいつものように教会の片隅で、正方形のゼリー状ポーションを作っていると、隣のカベルネ村から団体さんがやってきた。
「順に診てみますから、そちらの長椅子におかけください」
僕は、ポーション作りの手を止めた。そして、薬草を適当につかんで、立ち上がる。
教会の使用人の子供達が、駆け寄ってきた。そして、長椅子へ座る介助をしたり、座った人達に正方形のゼリー状ポーションを配ったりと、テキパキと対応してくれる。
団体で近くの村からやってくる人達は、半分は観光目的だ。教会で働く子供達と話したい人達も多い。子供達のほとんどは孤児だから、心配してくれているのかもしれない。
僕は、順に診ていきながら、薬草を使って、症状に合わせた薬を作っていく。それを使用人の子供達が、丁寧に袋に入れて、それぞれに渡してくれるんだ。
「ほんと、ここに来ると、寿命が延びるようだよ」
「年寄りを大切にしないんだ、ウチの孫は」
薬を受け取ると安心するのか、さらにおしゃべりになる。その話をしっかり受け止めて聞くのも、教会で働く子供達の役目だ。
このような毎日の積み重ねで、子供達の中には、成人したときに神官下級のスキルを得ている子もいるようだ。
神官のスキルを得た子達には、彼らが望むなら、ドゥ教会で神官見習いをさせている。こうして、ドゥ教会の神官が少しずつ増えていくようだ。
「ヴァン、ちょっと来てくれ」
僕が薬を作り終えたのを見計らって、国王様が近寄ってきた。これは、何も用はない顔だ。
「神官見習いの兄さん、旦那さんを呼び捨てにするのは良くないぞ」
「そうだよ、ヴァンさんは、こう見えても神官のスキルもあるんだからね」
カベルネ村のお爺さん達は、しつけに厳しいんだよな。だけど国王様は、わざと僕を呼び捨てにしているような気がする。
「私は神官中級のスキルを持っているから、彼のことはヴァンでいいんだよ。ヴァンは神官下級だからな」
国王様は、ニヤッと笑って反論している。
「お兄さん、それはダメだよ。それに見た感じだと、旦那さんの方が年上だろう?」
「そうだよ。年上の人には丁寧な言葉を使うものだ。あっ、年寄りを敬えと言っているわけじゃないよ?」
「そうそう、ワシらのことはいいんだ。だけど、旦那さんに対して、その態度は良くないぞ」
お爺さん達に、あれこれと叱られても、国王様は嬉しそうなんだよな。おそらく、本当に彼の将来を心配して、かけてくれる言葉だからだろう。
「それなら、やはりヴァンでいいじゃないか。私は、ヴァンより半年ほど年上だ」
えっ? 何、それ、初耳。
僕がパッと顔をあげると、国王様はニヤッと笑った。また、悪戯が成功した悪ガキのような顔をしている。
「ちょ、フリックさん、それ、まじですか」
「あぁ、まじだ。こないだ気づいたのだがな。てっきりヴァンは、私より3つくらい年上かと思っていたが」
「あー、まぁ、よく老けていると言われますが」
僕も、国王様は年下だと思っていた。半年違いってことは、学校でいえば同じ学年じゃないか。
「お兄さんは、18〜19歳くらいだろう? 旦那さんは、25歳だと聞いたよ」
カベルネ村の商人のお爺さんが、とんでもないことを言っている。
「へぇ、ヴァンが25歳だと言われても違和感はないな」
国王様がめちゃくちゃ楽しそうなんだけど。
「お兄さんは、いくつなんだい?」
「私は19歳だ。だから、ヴァンも同じ19歳なんだよ」
ガタン!
ちょ、びっくりしたお婆さんが、椅子から滑り落ちたじゃないか。
「あたたた、旦那さん、背中が……」
僕は、国王様を軽く睨み、お婆さんの方へと駆け寄った。先程、この女性は診ていない。僕は、薬師の目を使って診てみる。
あれ? どういうことだ?
椅子から滑り落ちて、お尻を強打したはずだ。しかし、彼女の背中から、何かが出てきている。これは……。
「とりあえず、ポーションを飲んでください」
お婆さんは、ポーションを飲んでくれたが、背中の違和感は変わらないようだ。
「椅子から滑り落ちただけなら、旦那さんのポーションで効くだろう? どうしたんだい、スーザン婆さん」
「わからないよ、ずっと前から背中がたまに疼くのさ。しばらくすると消えちまうが……」
すぐ近くにいた国王様にも、見えただろうか。彼の方をチラッと見ると、国王様は軽く頷いた。やはり、そうだよな。
「スーザンさん、ちょっとここで待っていてもらえますか」
「旦那さん、なんだい? この背中には、何か……」
お婆さんは、とても不安げな顔をしている。だよね、だけど僕も国王様も、それをみんなの前でバラすつもりはない。
「ちょっと、必要な薬草を摘んできます。すぐに戻りますから……あー、フリックさんの教育をお願いします」
「おい、ヴァン!」
僕の話に合わせるように、国王様は拗ねたような顔をしている。
「ほらほら、お兄さん、同い年でも、ヴァンさんはドゥ教会の旦那さんだよ?」
「私の方が、半年ほど年長者ですよ」
国王様は、僕に合図を送ってきた。ここは任せろということだな。
「いやいや、お兄さん、いいかい? 年寄りの言うことはよく聞くんだよ?」
カベルネ村の団体さんは、神官見習いをどう説得しようかと、知恵を絞っているようだ。ふふっ、国王様に任せておこう。
僕は、スキル『道化師』の変化を使って、鳥に姿を変えた。
「旦那さん、遠くへ行くのかい?」
「いえ、近くです。ちょっと珍しい薬草が欲しいので、王都の先のラフレアの森まで行ってきます。小一時間で、戻れると思いますから」
「だ、旦那さん、ラフレアの森は危険だよ。それに、王宮の許可がないと入れないよ」
チラッと国王様の方を見ると、彼はニヤッと笑った。うん、許可をもらえたよな。
「大丈夫ですよ。鳥には許可証は不要ですから」
僕は、バサリと翼を広げ、教会からスーッと飛び出していった。




