431、黒石峠 〜ふわっふわっふわぁ
「とりあえず、食っとけ」
ゼクトさんに、木いちごのエリクサーを口に放り込まれた。ぐんと魔力が回復する。だけど、ストックまでは減ってなかったみたいだな。精霊師のスキルが、蟲にはほとんど効かなかったからか。
「ククッ、こいつら、面白いな」
ゼクトさんの視線は、透明なゴム玉の中に向いている。王宮の騎士や兵が……踊ってるんだよね。
『ふわっふわっふわぁ〜、自由にふわふわ、たのしいな〜』
お気楽な掛け声が聞こえる。
「ふわっふわっふわぁ〜」
オジサン達が、笑顔で歌ってる……。
初めて使ったスキル『道化師』の技能、喜怒哀楽。観客の喜怒哀楽を司るって……ある種の洗脳系の技能だろうか。
「ゼクトさん、どうしましょう。もしかしてスピカにまで、お気楽な掛け声が伝わっていたら……」
「掛け声? それは聞こえねぇが……その後に使った精霊師のスキルは、結界内すべてに広げたんだろ? スピカ全域じゃねーか?」
掛け声が聞こえない?
「ゼクトさんは平気なんですか」
「あぁ、だが、妙に楽しい気分にはなってるがな」
ゼクトさんは、ククッと笑っている。割れないゴム玉の中の人達も、蟲が離れたためもあるのか、みんな笑っている。
踊っている人や歌っている人と、ただ笑っている人の違いは何だろう? あー、道化師の芸を見たときにも、お客さんの反応にはバラつきがあるか。
「喜怒哀楽の楽ですかね……」
「そうだろうな。ククッ、おまえが覇王持ちだから、やべぇことになったんだろ」
「覇王は使ってませんよ?」
「使ってなくても、持っているレア技能は、他の技能の発動に影響を与えることがあるんだ。覇王は、広く拡張していくからな」
「ええ……どうしよう」
「喜怒哀楽の後に使った技能を盛り上げてるんだろ? それなら魔法陣が消えれば、喜怒哀楽も消える」
「そ、そっか。よかったぁ」
だけど、ゼクトさんの視線は鋭い。あっ、そうか。喜怒哀楽が消えたら再び蟲が……。
魔法陣から立ち昇る淡い光は、だんだんと少なくなっていく。まずいな、そろそろ消えるか。
「おまえら、ゴム玉から出てくるなよ!」
ゼクトさんが怒鳴った。踊っていた人達が、ゴム玉から出て、地面に座ってくつろいでいる。完全に状況を忘れてしまっているのか。
彼らは、ゼクトさんに怒鳴られ、空中を舞い踊っている蟲の大群に視線を向けると、ハッとした表情を浮かべている。だけど、動かない。完全に休日モードなのか。
『ふわっふわっふわ〜、たのしかったね〜』
お気楽な念話が聞こえた。楽しかったって言った? 過去形だよな?
魔法陣は、スーッと消えていった。
「ゼクトさん、次、どうしましょう。蟲は、精霊師の技能では、ほとんど浄化できないです。焼き払えないし、どうすれば……」
「ヴァン、焦るな。よく見ろよ。ククッ」
ゼクトさんは、まだ喜怒哀楽の影響が残っているのか、動かない。
「ゼクトさん、マズイですって」
「あぁ、ククッ、マズイかもな。あははは」
ちょ、ゼクトさんが壊れた!? 蟲の大群を指差して……うん? 何をしてるんだ?
蟲が、丸や四角や、ぐちゃぐちゃな線のような形を作り始めた。
『あんた達! 真似しないでっ。ぜーんぜん違うんだからねっ。センスのかけらもないわよっ』
光の精霊様が、手をぶんぶん振り回して怒っている。
『見てなさいっ!』
そして何も無くなった壁に、ラクガキを始めた。歪な丸や、ぐちゃぐちゃな線、ふにゃりと曲がってピンとハネる。全く何を書いているかわからない。
さっきの封印の絵だろうか。だけど、さっきとは色が違う。これは、ただのラクガキか。
描き終わったのか、パッと振り返って蟲を睨む光の精霊様……。すると、蟲は形を変えていく。真似をしているんだ。
『だから違うってばっ。ここは、ピンってするの〜っ!』
地団駄を踏んで怒る光の精霊様……。一体、どうなってるんだ?
「ゼクトさん、これは一体……」
「知らねーよ。ただ、蟲たちは、光の精霊に魅了されちまってるようだな。もともと闇は光に憧れる性質がある。かまってもらえたら、尻尾を振ってついていくんだろ」
そ、そうなのか。蟲に尻尾はないけど。
「じゃあ、始めから、光の精霊様に任せておけばよかったんですね……」
「いや、それは無理だ。蟲にはおそらく、氷の神獣の覇王がかかっていたからな。精霊にも破れない」
「えっ? でも、ゼクトさん、仲良く遊んでません?」
「ヴァンの技能で、覇王効果が消えたんじゃねぇか? 強制的に命じる技能より、本能に働きかける技能の方が強いのかもしれねーな」
ま、まじか。
『だから、違うんだってば〜っ! そこの子達が間違えてるのっ!』
光の精霊様が、蟲の大群をビシッと指差す。すると、大群は、パッと弾けるようにバラバラになり、再び、不思議な形を作り始めた。
光の精霊様が書いたラクガキを形作ろうとしている。完璧にできているように見えるけど。
すると、光の精霊様が、僕をビシッと指差した。
『ヴァン! 何を甘いこと言ってるのっ。ここと、それが、全然違うじゃないっ』
えっ……勝手に僕の頭の中を覗いて怒ってるよ。
ゼクトさんの方を見ても、笑い転げている。あっ、そうだ、風の精霊様……は、いつの間にか、僕から離れてしまっている。
『ヴァン、何をキョロキョロしてるのっ! あの子達が、うまく帽子を作れないのよっ』
帽子? ど、どれが帽子なんだ!?
仁王立ちの光の精霊様……。僕にどうしろと言ってる?
ラクガキと蟲の大群を見比べると、ぐりぐりから離れた丸の位置がおかしいか。あれが、帽子なのかな。
「光の精霊様、蟲達は、空中に浮かんでいるから、繋がる形は表現できても、離れた位置は難しいのかもしれませんね」
『帽子が飛んじゃった絵は、この子達には無理なの?』
いや、そんな驚いた顔をされても……。
チラッと蟲達の様子を見ても、その表情はわからない。僕のことなんか見てないよな。光の精霊様に釘付けだ。
「いきなりは、難しいんじゃないですか?」
『じゃあ、仕方ないわねっ。お子ちゃま向けの絵にするよっ』
光の精霊様が、別の壁に移動すると、蟲の大群も彼女に付いて移動する。そして、また、何かの形を作り始めた。
「ヴァン、あっちも同じことをしているぜ」
ゼクトさんにそう言われて、彼が指差した方を見てみると、空中で、蟲の大群が不思議な形を作っている。
「あの近くには、光の精霊様の絵はないですよね」
「蟲達は、互いに思念共有してるんだろ」
「へぇ……」
「ククッ、上空の結界の外にいた奴らは、諦めたらしいな。まぁ、結界はすり抜けられないし、生物兵器は遊んでるから、諦めるしかないんだろ」
僕は、空を見上げた。
さっきまで覆っていた多重結界が消えているようだ。少し明るくなり始めている空には、人の姿は見えない。
「助かったんですね」
「ククッ、そうだな。しかも、アイツまで治った感じだぜ」
ゼクトさんの視線の先には、長い黒髪を不気味に揺らすバンシーがいた。緑色の服に灰色のマントを着た彼女の真っ赤な目は、不安げに揺れている。
その視線の先には、若き国王フリック様がいる。主人を裏切っていたことを知られないか不安なのだと、闇の精霊様が教えてくれた。
『おい、オレを忘れてねーか?』
不機嫌そうな声が聞こえてきた。
デュラハンさん、忙しそうだったからさ。
『ふん、お気楽うさぎが、ごちゃごちゃ言ってきただけだ。ヴァン、オレの力が必要だろ?』
あー、うん、デュラハンさん、出てきてくれる?
『デュラハン、召喚!』
僕の身体に魔法陣が現れ、鎧騎士が、ぬーっと出てきた。召喚しないと拗ねるもんな。
デュラハンの登場に、バンシーや蟲達が、凍りついたように慌てていることが伝わってくる。
蟲はともかく、バンシーは、さっきもデュラハンを見ていたはずなんだけどな。やはり精霊師が召喚すると、精霊の力は変わるのか。
「ヴァン、なぜデュラハンを召喚したんだ?」
ゼクトさんにそう尋ねられても、困る。
「えーっと……デュラハンなら、これを何とかしてくれるかなって思って」
すると、デュラハンが若干、ふんぞり返ったように見えた。顔がないから表情はわからないけど。
「ククッ、絶大な信頼だな」
ゼクトさんがそう言うと、デュラハンは、さらにふんぞり返ったような……気がする。
「おまえら、影の世界の蟲だろ! もうすぐ夜が明ける。ここは、オレの棲家だ。侵略する気なら焼き払うぞ」
デュラハンの言葉に、僕は首を傾げた。夜が明けるから、デュラハンの棲家だから、焼き払う? 蟲は焼き払えないよ?




