41、ボックス山脈 〜トロッケン家の失態
「坊やとお友達が、ゴミ捨て場の臭い消しをしてくれたのね。ありがとう」
水たまりから放たれた蒸気は、空中で分解され無毒化されている。気体化させて最初に撒いた毒消し薬が、まだ効いているんだ。
「母さん、チビは薬屋だからね」
緑色のトカゲ……チビドラゴンは、得意げな顔をしているように見える。あんな猛毒でも平気なのか。
「チビドラゴンさんが背中に乗せてくれて、助かったよ。僕ひとりでは無理だった。猛毒の蒸気で死んでいたかも」
「ほへ? チビは、あんなので死ぬのか? ピリピリ、ツンツンに弱いんだな。ぼくは全然平気だぞ」
「すごいね。さすがドラゴンだね」
「まぁな、ぼくは賢いしな」
あははっ、また、ふんぞりかえってるよ。やっぱり、まだ幼児、いや幼体なのかな。彼のお兄さんと比べても、体長も見た目も随分と違うもんな。
「ヴァン、大丈夫なのか? 必死に薬を作って飲んでいたけど?」
「うん、焦ったけど解毒できたよ」
「そうか、俺もバリアの硬度を上げなきゃな。ヴァン、気付いてるか? その水たまりに放り込んだ毒消し薬が、不自然な動きをしているぜ」
マルクは、水たまりをジッと眺めて首を傾げている。
「どういうこと? 十分な量の毒消し薬を放り込んだはずだけど」
「ここは、頂上近くだよな? なぜか毒が下から上がってきているんだ。水たまりに触れると毒は中和されるみたいだけど……変な対流みたいなものが見える」
僕には、ただの水たまりにしか見えないんだけどな。マルクは、ジッと何かを探っているみたいだ。
なぜか、チビドラゴンが水たまりに入って、底を引っ掻きまわしている。何をしているんだろう?
「坊や、ゴミが消えなくなったから、水飲み場には戻らないわよ」
「母さん、だから、ぼくが、ゴミを踏んで埋めてるんだよー。ツンとしないから、飲めるじゃないか」
もともとは、ここは彼らの水飲み場だったのか。見回すと、水たまりの近くの変色していた地面は、砂地のようだ。そうか、ここは水たまりじゃなくて、地中から水が湧き出す小さな泉だったんじゃないかな。
「チビドラゴンさん、ここって、このあたりまで水が溜まっていたのかな?」
「ほへ? なぜそんなことをチビが知ってるんだ?」
「僕の家は、農家だから、この辺まで地面の性質が違うことがわかるんだ。小さな泉だったんじゃない?」
「泉が何かは知らないけど、ぼくがチビだった頃は、みんなで並んで水を飲む場所だったんだぞ」
彼らが並ぶってことは、結構大きいよね。あはは、今もチビって呼ばれてるのに、チビだった頃?
「そっか。たぶん、ゴミが水の通路を塞いだんだと思うよ」
僕がそう言うと、チビドラゴンは首を傾げて固まっている。難しかったのかな? 考え込んでいるみたいだ。
そうか……このままだと、またすぐに、この場所は猛毒を放つようになる。完全な悪循環だ。
今までもずっと、この泉に魔物の骨を捨てていたのだろう。だからドラゴンに、その習慣を変えさせることは難しい。
この砂地は、魔物の骨を捨てたことでできた物なのかな。泉の中で分解されて砂へと変わっていくのが、自然の連鎖だったような気がする。
この水たまりの水には、魔力の源となるマナが含まれている。この水なら、すぐにゴミは分解されていたはずだ。
だけど、それがいつからか、分解されなくなった。そのせいでゴミが水脈をふさいだんだ。
その結果、ここに猛毒が発生し、猛毒は地面に浸透していって、山の湧き水にその猛毒が混入することになった、という感じかな。
そもそも、猛毒が発生するのは、ゴミに毒が含まれていたからだ。ゴミ、すなわち、ドラゴンが喰う魔物が毒を持つということか。
そういえば、休憩所の湖のそばで、ゼクトさんが魔物の頭部の血抜きをしていた。あの血には毒が含まれていて、草花を一瞬で枯らしたっけ。
あっ、この毒は、水に溶けないのか。
マルクは、この水たまりに不思議な対流ができていると言っていた。下から毒が上がってきて、毒消し薬によって消えるみたいだ。
ということは、下から上がってくる水脈は完全には塞がれていない。だけど、水たまりの水の量は増えていない。上がってくる流れと、ここから下へ降りていく流れがあるんだ。
毒が水に溶けないから、毒を含んだ魔物のゴミがなかなか分解されない。そして、猛毒が下へ降りていく流れに乗るのか。
こんなにマナを含んだ水に分解されない毒なんて、あるのだろうか。なぜ、魔物が、こんな変な毒を含むようになったのかな。分解されないように人工的に作ったような毒なんて、自然界にあるのかな。
あっ! もしかして!?
「ヴァン、これは、神官の失態だな」
マルクが、オジサンを睨んでそう言った。オジサンは、顔汗がひどい。どうしたんだろう?
「マルク、神官様が何?」
「彼らは、あらかじめその可能性を知っていたんだ。だから、秘密裏に行動していた。そうですよね? 神官様」
「何のことかな?」
オジサンは、すっとぼけている。でも、ここには護衛の兵はいない。
「トロッケン家が、自然環境を破壊しているということですよ」
「まさか……」
口では否定しようとしているけど、オジサンの滝汗は、どうにもならないみたいだな。
「トロッケン家が、魔物の数を減らすために、毒を使って楽をしていた弊害ですよ。確かに、人の町に降りてくるのは、毒で簡単に死ぬ弱い魔物ですけどね。毒に耐性のある強い魔物が喰う毒入りの餌で、どんどん、その体内で毒は濃くなる。いずれ強い魔物が耐えられない濃さの猛毒になれば、一石二鳥だとでも? その前に、人間がその猛毒の影響を受けて全滅しますよ」
「はわわわ」
オジサンは、がくりとうな垂れた。
「マルク、この水たまりに湧き上がってくる毒がおかしいんだ。この水たまりには、マナが多く含まれている。だから、魔物の骨はすぐに分解されて砂に変わるから、ドラゴンは、ゴミ捨て場にしていたんだと思うんだ」
「あぁ、魔物に含まれる毒が、マナを含む水にも溶けないから、魔物の骨が分解されず、水脈を塞いでしまったんだろう? これは、トロッケン家が作り出した特殊な毒だよ」
やっぱり、そうなんだ。僕は、頷いた。マルクは、僕が気づいたこともわかっているみたいだな。
「クッ、こうなったら……」
オジサンが剣を抜いた。だけど、マルクはそれを予測していたみたいだ。
ビリビリッと、イナズマが走り、マルクはオジサンの剣を弾き飛ばした。
「俺達を殺す気ですか。ここで剣を抜くということは、貴方もドラゴンの餌食になって死にますよ。あー、転移の魔道具でも持っているのかな? 使ってみたらどうです? この山の守り神、竜神の洞穴から逃げ出せますかね?」
「クッ……」
えっ? 竜神の洞穴? 山の守り神?
「すでに、ここでの話は、あのトカゲ達が、竜神に伝えているでしょう。トロッケン家としては、どうするつもりですか!? 洞穴から出たところで、俺達を殺しますか」
マルクは、めちゃくちゃキレている。
「いや……キミ達の力はわかった。これ以上、我々が何かを仕掛けると、ベーレン家に訴え出るつもりだろうな。アウスレーゼ家に知られたら、それこそ戦争になる。キミ達は、戦争にはしたくないだろう?」
なっ? 何か、逆に脅迫している? 僕達が他の神官に告げ口をしたら、戦争の引き金になるってこと?
マルクは冷たい目をしている。
「じゃあ、俺達に危害を加えないと誓いますか?」
すると、オジサンは天井を見て、ため息をついた。天井には、たくさんの小さなトカゲがへばりついている。透明感のある個体はいないけど。
「竜の使いが聞いているのだから、な」
ここでは、何もできない。ここでは、ということか。最悪だ、このオジサン、保身のために僕達を殺す気だ。
「チビ、おい、チビ!」
緑色のトカゲ、チビドラゴンが僕の背中をツンツンと突いている。オジサンは、ヒッと数歩後退した。
「ん? どうしたの?」
「チビの仲間は、魔法使いだろう? ゴミを燃やすように言ってくれよ」
彼は、ふんぞりかえってる。なるほど、水脈を塞いでいるゴミを燃やせばいいと考えついたんだな。意外に賢い子だ。
「うん? ゴミを燃やすの?」
「そうだ、そうしたら、水がドバッと出てくるんじゃないか?」
「確かに水脈を塞ぐものがなくなると、復活するかも」
「だろう? ぼくが考えたんだ。ぼくは賢いからなっ」
「すごいね、チビドラゴンさん。マルクに言ってみるよ」
「ヴァン、ドラゴンくんは何て?」
「マルクに、ゴミの焼却依頼だよ」




