391、王都シリウス 〜隣のテーブルが気になる
僕達のすぐ横のテーブルの女性客のひとりが、メニュー表を見て、ワインを頼まないかと言った。
だけど他の3人は、首を横に振っている。
「ワインなんて、やめておけよ。こないだの店のワイン、めちゃくちゃ臭かったじゃないか」
「臭くないよ。あれは、そういうワインだもん」
「メイサは、上流階級のお嬢様だからワインが似合うけど、あたしが飲んでいると、気取ってるって言われるじゃない」
「そんなことないよ。ワインは貴族だけの飲み物じゃないよ? 高級なワインなら、気取った御婦人が飲むかもだけど」
「俺も、前にワインを頼んだら、プライドが高いと言われてケンカになったことがあるぜ。ワインは、貴族だけのときにしておけよ」
「そうそう、ワインなんか頼むと、店で変な客に絡まれるかもしれないぜ」
「えーっ、そんなの……ひど〜い」
彼らは、チラッと僕達の方に視線を移した。変な客って、僕達のことだろうか。
「おい、ヴァン、何か言いたそうだな」
ゼクトさんは、僕を煽るように、アゴをクイクイと動かしている。何か言いに行けと言ってるのかな。
「いえ、別に」
「でも、あのペパーミント家のお嬢様、なんだか、かわいそうだよな」
ギルマスが小声で囁いた。メイサと呼ばれていた女性のことだろうか。ペパーミント家といえば、ラスクさんと同じく白魔導系の貴族だ。
王都に大きな屋敷があるらしいけど、分家はないんだよな。だから、僕は今まで全く関わったことがない。
「学生さんですよね? 僕みたいなオジサンが口を出すのも、ちょっと、どうかと思います」
「おまえ、いくつだっけ? 21歳?」
なぜかギルマスは、僕の年齢が覚えられない。これまでに何十回、尋ねられただろう?
「間抜けなオールス、おまえ、いつも3つ多いんだよ。21歳はおまえの息子の年齢だろ」
へぇ、ギルマスには、そんなに大きな子がいるのか。ギルマス自身が年齢不詳なんだけど、ちょっと意外な気がする。
「どの息子だ? みんな母親と暮らしてたり独立しているから、わからねぇな」
「この辺には、いないか」
もしかしてギルマスの家族って、複雑な関係なのだろうか。家族の話をしていると、二人とも少し遠い目をするんだよな。
そういえば、ゼクトさんのことも知らないんだよね。まぁ、神官家に利用されていたし、僕と会った頃は、感情を持たない狂人と呼ばれていた。
でも、ゼクトさんは、僕の年齢を間違えない。確か、僕より15歳年上だよね。自分の年齢から逆算しているのかもしれない。
隣のテーブルでは、結局、エールを頼んでいる。
メイサと呼ばれていた女性は、有名人なのだろうか。ギルマスが知っているのはわかるけど、他のテーブルからも視線を集めている。
それに、あちこちのテーブルから、ペパーミント家という言葉が聞こえてくる。彼女はそれに気づいたのか、すっかり黙ってしまった。
「当店の魚料理には、王立総合学校の学生さんなら、ワインを合わせるのが流行っていますよ。2杯目には、ワインはいかがですか」
王立総合学校の学生さんなのか。へぇ、優秀なんだ。入学するためには試験がある学校だ。僕がなんとか卒業したスピカの魔導学校から、王立総合学校へ進学した人もいたっけ。
僕は、つい、隣のテーブルに聞き耳を立ててしまう。
「じゃあ、どれにする? メイサが選ぶ?」
そう言われても彼女は、うつむいたままだ。あまり親しい友達ではないのかもしれない。この二人は恋人同士だな。そして、身なりのいい男性とメイサさんは、クラスメイトか何かだろうか。
いや、こんな詮索は失礼だよね。僕は、手を伸ばしてパンを取り、食事に戻る。
「店員さん、どれを選べば失敗しないかな? こないだ、別の店で勧められたワインは臭かったんだよ」
身なりのいい男性がそう言うと、店員さんは困っている。
「えーっと、私は、ソムリエのスキルがなくて、ちょっとお待ちください」
慌てて店員さんは、奥へ引っ込んでいった。客商売って、大変そうだな。
「ヴァン、いいのか?」
「うん? 何がですか?」
ゼクトさんは、僕が聞き耳を立てていることに気づいている。でも、学生さんから見れば、僕はオジサンだからなぁ。ただでさえ年上に見られるし。
「ずっと、ウズウズしてるだろ」
「してないですよ」
「だけど、あのお嬢様、かわいそうじゃないか」
なぜか、ギルマスはまた同じことを言っている。
「どういうことですか?」
「どこに行っても目立つから、落ち着ける場所がないだろ。お嬢様に寄ってくる奴は、彼女の家柄しか見ていないぜ」
まぁ貴族なら、そうなるのかもしれない。ギルマスは、何が言いたいんだろう?
「僕に、どうしろと?」
ついキツイ言い方をしてしまったけど、ギルマスは気にしていないみたいだ。僕がイラついたからか、彼はニヤニヤしながらも、口を閉ざした。
「ヴァン、オールスはお嬢様に近づくチャンスだと言ってるんだぜ?」
「へ? ゼクトさん、僕には妻がいます」
そう言うと、ゼクトさんがニヤリと笑った。あっ、意味が違うのか。恥ずかしい。
「お嬢様のお兄様は、王族と結婚したんだよ。だから、あのお嬢様が、ペパーミント家を継ぐことになる。白魔導系の貴族は、金持ちだぜ」
ギルマスが変なことを言っている。
「話が見えませんけど」
「ヴァン、オールスの話は後半を無視しろ」
ゼクトさんは、小声で囁いた。あっ、店の中だからか。ごまかしながら、世間話のように話している。そういえば、ギルマスの話し方が、前半と後半では違った。
彼女のお兄さんが王族と結婚したから……だから、何? 知り合いになるチャンス? うん?
僕が首を傾げていると、二人は苦笑いだ。店内で、これ以上の話はできないよな。
「それぞれのボトルをお持ちしました。簡単な説明が書いてあるので……」
隣のテーブル席には、7種類のワインのボトルが置かれている。学生さん達は、その説明書きを読んでいるみたいだな。
「ねぇ、全然わかんないよ。メイサが選んでくれたらいいよ。でも、臭いワインはお断りだよ」
「じゃあ、白ワインのどれか……」
「すっぱいのも嫌だよね。でも、メイサなら、もっと高いワインしか飲まないんじゃないの?」
「えっ? そんなことないもん。どれも見たことないラベルだけど……ちょっと待って」
もしかして、軽くいじめられてるんじゃないのかな。身なりのいい男性は、特に嫌な言い方をする。彼女自身は、みんなに溶け込もうと必死だ。
なるほど、だからギルマスは、お嬢様がかわいそうだと言ったのか。
チラッと、ゼクトさんの方を見ると、またアゴをクイクイと突き出す。僕は、軽く頷き、立ち上がった。
「あの、お話が聞こえてしまいました。ワイン選びにお困りなら、お手伝いしましょうか」
派遣執事のときのような、丁重な態度を心がける。
「貴方、何?」
「メイサに取り入りたいんでしょ? ペパーミント家がどうとか言ってたよね」
こちらの声も、部分的に聞かれていたか。
「あー、はい。僕は、あまり王都に詳しくないので、有名人でも知らないから、教えてもらっていました」
「怪しいな。俺が有力貴族だとわかって声をかけてるのか」
身なりのいい男性は、プライドが高そうだな。
「わかってないんじゃない? 困った顔をしてるよ。あんた、ワインのこと、知ってるの?」
もう一人の女性は、貴族っぽさはない。
「僕は、ジョブ『ソムリエ』なんですよ」
そう言うと、店内が少しざわついた。まずかったのか?
「それなら、始めからそう言いなさいよ」
勝気な女性だな。
こうして見ると、メイサさん以外は、16〜17歳かな。メイサさんは、成人したばかりの13〜14歳だろうか。年上の中で、必死に話を合わせようとしているんだ。
「すみません。じゃあ、ワインの状態、そして味の特徴をご説明しますね」
僕は、次々とボトルに触れ、それぞれの説明をしていった。ボトルに触れるだけで、ワインを構成するぶどうの妖精達の声が聞こえてくるんだ。
「という感じです。ご参考にしていただければ幸いです」
僕の説明が終わると、少し離れた席から、なぜか拍手が起こった。キョトンとしている人達も多いけど。
少し気まずい気分で席に戻ると、離れた席から、ギルマスだ! とか狂人がいる! という声が聞こえてきた。
「なんか、すみません。こっちに注目が……」
「ククッ、まぁ、いいんじゃねぇの? だが、なぜ、ヴァンの顔が知られていない?」
ギルマスは、首を傾げている。そして、ニヤリと笑った。
ちょ、嫌な予感がする。




