376、自由の町デネブ 〜苛立つフラン
僕は、ドゥ教会に戻ってきた。
「あっ、ヴァンさん、おかえりなさいませ。神官様が、奥の屋敷でお待ちです」
門の外で、何かの案内をしていた使用人の子供達に、声をかけられた。神官様が待ってる? 嫌な予感しかしない。僕は、彼女を怒らせるようなことをしたっけ。
門を一歩入ると、ふわっと桃の甘い香りが漂ってきた。中庭では、竜神様の子供達とブラビィが、まだ夢中で巨大な桃で遊んでいる。
『ぬぉおぉっ、そ、それは、にゃはははははは〜』
あっ、泥ネズミ達も加わっているじゃないか。あの桃は、魔物を惹きつけるのかな。リーダーくんなんて、桃の果実に埋まってるじゃん。
教会の信者さん達も、興味深そうに、奴らの遊びを眺めている。まぁ、みんなが楽しそうだから、いっか。
僕は、教会の中を通り、奥の屋敷へと向かう。
この時間は、教会の中は、精霊の壺に列ができている以外は、他に人だかりはない。たくさん並んでいる椅子は、自由に開放されているようで、この町の住人が好きなように利用しているようだ。
僕は、目が合った人には、軽く会釈をして、通り抜けていく。ここに集まる人の多くは、僕のことを知っているみたいだけど、声はかけられなかった。
怖がられているのかもしれないな。
「ヴァン、ごはんができてるよ」
ヒヤヒヤしながら、奥の屋敷へと入っていくと、神官様が笑顔で出迎えてくれた。よかった、怒っているわけじゃないんだ。
「フラン様、あの、それで待ってくれてたんですか」
「あぁ、うん。伴侶になってから、まだ一度も一緒にごはんも食べてないなと思って」
彼女は、少し照れたように目線を逸らした。かわいい!
「ありがとうございます! うれしいです」
「じゃあ、一緒に食べよう。スープを温めるから、そこに座って」
「はい!」
食卓のある部屋には、他には誰もいない。
僕が眠っていたソファの近くのテーブルには、使用人の子供達のものらしき可愛らしい食器が並んでいる。翌朝の朝食の用意だろうか。
「はい、どうぞ」
フラン様がスープをカップにいれてくれるなんて、なんだか照れてしまう。
「ありがとうございます。いただきます」
彼女がジッと見つめる中、スープを一口飲んだ。そんなに見つめられると、味がわからない。
「どうかな? スープは私が作ったんだよ。他のは、子供達が買ってきたものや、信者さんが持ってきてくれたの」
「そうなんですか。なんだか緊張して、味がよくわからないです」
彼女も、自分用にスープを持ってきて、僕の席の前に座った。ふぅふぅと冷ましている表情が、とてもかわいい。
僕は、さっき軽食を食べたとは言えないな。たぶん、彼女は、何も食べずに、僕の帰宅を待ってくれていたんだ。
「あれ? なんだか味がしないわ」
彼女は、首を傾げる。くぅ〜、かわいい!
「えっ、フラン様も味がしないですか」
「私も緊張してるのかなぁ?」
どうしよう、めちゃくちゃかわいい。僕は、ごはんよりも……いやいや、何を考えているんだ。せっかく待ってくれていたのに。
「スープが熱いからかもしれませんね」
「うん、そうね。私が味付けを忘れたのかもしれないけど」
確かに、野菜の味はする。いろいろな形に切った野菜を、水で煮込んだような感じだ。
「でも、こっちの料理の味が濃いから、スープは薄味でいい感じですよ」
「そう? それならいいけど。私、料理って、やったことなかったから、教会に来る信者さんに、教えてもらってるの」
「そうなんですか!? フラン様って、何でもできる人だと思ってました」
僕がそう言うと、彼女の片眉があがった。ええっと……これは、どっちだ? 呆れた? それとも怒った?
「マルクさんが言っていたけど、やっぱり私ってマルクさんと似てるのよね」
突然、何だ? ま、まさか、マルクの方が好きとか言わないよな?
「フラン様、それって……」
「ふふ、何? ヴァン、そんな捨て子みたいな顔をして。アナタは、全然変わらないわね」
どうしよう、嫌な予感しかしない。
「あ、あの……僕は、フラン様のことが好きですから。だから、あの……」
伴侶をやめるとか言わないでくれ!
「ヴァン、何を言ってるの? まさか、私に隠し事でもしている? ボックス山脈で、何かやらかしたのね?」
彼女の片眉があがった。
「べ、別に隠し事って……あぁ……」
竜神様の子のことか……。
「キチンと話しなさい!」
「は、はい。あの、竜神様の子達を作ったのは、僕なんです。漁師町で、竜神様の姿に化けたときに、まさか、吼えて魔物を見るだけで、子供ができるなんて知らなかったから……」
正直に話したのに、彼女は怪訝な表情だ、僕は、嘘はついていない。本当に、知らなかったんだ。
「ヴァン……」
「は、はい!」
「何を今さら、そんなことを言っているの? 漁師町の人達も、口々にその話をしていたわ。ヴァンが、竜神様の姿を借りて、うっかり子供を増やしてしまったから、あの子達の世話を任されたのでしょ?」
「な、なぜ、いつから知ってたんですか」
「そうね〜、ヴァンが、あの子達の抜け殻を見つけて騒ぐ前から、知っているわよ」
僕がソファで眠っていたときか。
「そ、そうですか」
「ふふっ、それで、何?」
彼女は、モグモグと食事をしながら、僕に問いかけた。何って、何だ? えーっと、他に何かを隠しているのかってことだろうか。
「他には、何も隠してないです」
「うん? じゃあ、何を慌ててたの?」
「えっ……慌ててました? あっ……あの……」
「なぁに?」
頬にパンを詰め込み、首を傾げる彼女は、あまりにも無防備だ。ファシルド家で見た彼女とも違う。神官でもなく、冒険者でもない、ただの女の子に見えてしまう。
「フラン様が、マルクと似ているっていう意味がわからなくて……」
あぁ、マルクの方が好きだと言われたらどうしよう。僕は、失敗した。こんなことを尋ねるべきじゃない。僕は、自滅してるじゃないか。
しばらく、彼女は無言だった。
頬に詰め込んだパンのせいかもしれない。だけど、僕には、この沈黙は、永遠に続くかのように感じる。
「それはね〜」
彼女の話が始まった。僕は、思わず構えてしまう。
「は、はい」
「マルクさんって、ヴァンと二人で一人前だって、よく言ってるでしょ? あれ、感じ悪いのよね」
「へ? 感じ悪い?」
マルクがよく言っている言葉だ。彼女は、嫌だったのか? なぜだ? あぁ、彼女の伴侶が半人前だと聞こえるのだろうか。
「うん、そのことをマルクさんに話したことがあったんだけど……」
「ええっ!?」
「うん? 何?」
「あ、いえ、すみません。マルクから、そんな話は聞いたことがなかったから」
「そう、まぁヴァンには言わないよ」
「えっ……」
僕は、なんだか頭をガーンと殴られてような気になった。
「だって、私の嫉妬だもの。アナタ達って、仲が良すぎるじゃない?」
「へ? 嫉妬?」
そう聞き返すと、彼女の片眉があがった。神官様が、嫉妬?
「悪い? 私だって人間なんだよ? 嫉妬心くらいあってもおかしくないでしょ」
「は、はぁ」
「そしたら、マルクさんがね、私とマルクさんが似ているからって……」
ガシャッ
しまった。動揺して、持っていたスプーンを空き皿に落としてしまった。割れていないけど、すごい音に心臓が跳ねあがる。
「ちょっと、ヴァン、何をやってるの?」
「手がすべりました。すみません」
「ふふっ、派遣執事のときとは全然違うわね。私の前では、気を抜いてるってことかしら」
なんだか彼女は上機嫌だ。意味がわからない。
「そうかもしれません。それで、マルクは何と言ったんですか」
話の先が気になるのに、僕がそれをさえぎってしまうジレンマ……。僕は、何をやっているんだ。
「ヴァンが話の邪魔をしたのよ?」
「すみません」
「それでね、マルクさんは、私が似ているから、私とヴァン二人で一人前ともいえるって言ってたわ。確かに、そうなのよね」
「へ?」
あれ? 話の流れが……。彼女は、少し照れたような笑みを浮かべている。僕の誤解か。
「だから、ヴァンが得意なことは、私はできないのよ。逆に、私が簡単にできることをヴァンができなかったりするでしょ。その顔も、そうよ。なぜ、そんなに自分に自信がないの?」
「いや、えっと?」
「どうすればヴァンは、そんな顔をしなくなるの? 確かに、私がずっと伴侶になっていたことを黙っていたのが悪いのは、わかってる。でも、なぜ、私のことを信用してないの?」
そ、そんなに一気に話されても、僕は……。
「もうっ! 来なさいっ」
彼女は、僕の腕をつかんだ。




