368、ボックス山脈 〜神殿守スフィアの苛立ち
「人間が汚した物は、人間が片付けるべきでしょう?」
神殿跡の神殿守スフィアさんは、ブラビィが言っていたように、隙のない女性という感じだな。
彼女が、頭に黄色いリボンをつけていることに、違和感さえ感じる。可愛らしく見せているけど、この天兎は、油断できない。
竜神様の子達と従属のメリコーンは、同じ姿勢、同じ顔のまま、固まっている。チビドラゴンが、慌てているんだよな。
神殿守が、この果樹園の結界を強め、時間を止めたんだとブラビィは言っていた。天兎にはそんなことができるのか。
あっ、そういえば、赤いリボンのラフィアさんのいる神殿跡へ招かれたとき、神殿跡の外にいたチビドラゴンと、僕達では、時間の流れが違っていたっけ。
「人間が汚した物とは何だ?」
ゼクトさんは面倒くさそうに、彼女に尋ねた。
「こちらへ」
黄色いリボンのスフィアさんは、僕達の後方へと歩いていく。
竜神様の子達と離れることが心配だけど、チビドラゴンが側にいてくれるようだ。
身動きができない子達を、チビドラゴンは気遣ってくれている。スフィアさんの時間を操る術は、ロックドラゴンには効かないらしい。
お気楽うさぎが、ぴょんぴょんとチビドラゴンの方へ寄っていった。ブラビィがいるなら、絶対に大丈夫だな。
「この泉を見てみなさい。深い地下水脈から湧き出ている泉です。この水を使って、果樹を栽培しているというのに……」
水が汚染されているのか。
僕は、遠い記憶を思い出した。トロッケン家の仕業か。トロッケン家は、毒薬を使って、ボックス山脈の魔物が増えすぎないように調整していた。
チビドラゴンのすみかの洞窟の水場も、毒で酷いことになっていたよな。あれから、何年も経っている。離れたこんな山奥にまで、被害が拡大しているのか。
いや、トロッケン家は、ボックス山脈の検問所近くで、毒を使っていた。人が出入りする場所の魔物を、管理しようとしていたんだ。
ここは、さすがに離れすぎている。
ということは、ベーレン家か。あの蟲の仕掛けは、生態系にどんな悪影響を及ぼすか予想できない。奴らのせいで、精霊や妖精は、かなり減ってしまった。だから、水の汚染を回復できないんだ。
ラスクさんのルーミント家が、水質調査のためにやっている水辺のお茶会は、ボックス山脈でもやるべきなのかもしれない。
「見た感じは、澄んだ泉じゃねぇか。天兎なら、多少の浄化はできるだろ」
ゼクトさんは、見た目の話だけをしている。僕も、泉に近寄ってみた。確かに、キラキラと輝く水に濁りはない。
だけど、一部分は底が見えないな。これだけの透明度があるのに不自然だ。
「精霊師二人は、気づいているのでしょう?」
黄色いリボンのスフィアさんは、マルクに視線を移した。魔道具を使っているからか。詳細がわかるのだろうか。
「この地下水脈が汚染されているのかな。泉の水に問題はなさそうですよ。湧き出ている部分が、少し濁っているようにも見えますが。ちょっと深すぎて計測はできない」
彼女は、マルクを軽蔑するかのように、フッと口角を上げた。嫌な笑みだな。
マルクが左手首に提げている魔道具は、警告するかのような赤い点滅が続いている。それとは別に、泉に向けている魔道具は、測定不能の表示が見える。
「深い地下水脈だと言ったな?」
ゼクトさんも何かを調べていたらしい。手が淡く光り、マナが集まっていた形跡が残っている。
「ええ、浅い水脈は、人間のゴミの影響を受けるもの。深い地下水脈を使うわよ」
「ふん、裏側からの影響か」
「そうね、影の世界に、人間のゴミが詰まってしまったのかしら」
ゼクトさんと彼女の会話の意味が、僕には全く理解できない。だけど、ゼクトさんがますます不機嫌になっていくのは、伝わってくる。
「深い地下水脈は、北の海の海底と繋がっている。北の海には、海竜がいるから、地下水脈への悪影響は排除しているはずだ」
えっ? 北の海?
僕が、ハッとしたことに彼女は気づいたらしい。僕の方に視線を向けた。直視されると、なんだか嫌な感じがする。可愛い女性なんだけど、嫌な感覚だな。
「おかしいわね。あぁ、黒き天兎が邪魔をしているのね。なぜ、こんな弱い人間に従っているのかしら」
僕の何かを覗こうとしたのか。
彼女は、マルクに視線を向けた。その直後、マルクが左手首に提げている魔道具から、警告音が鳴り響いた。
「ククッ、天兎、無駄だぜ? おまえの術にはかからない。そんな性格だから、おまえが守る神殿跡は、崩れ去ったのだ」
ゼクトさんは、彼女が何をしているのか、わかっているみたいだ。
あっ、そうか、ゼクトさんの荷物置き場にも、天兎がいる。そして、獣人天兎は、天の導きのジョブを持つ人に仕えているんだよな。
「私は、ただの天兎ではない。神殿守よ。私の方が、天の導きのジョブを持つ人間よりも、格は上なのよ?」
めちゃくちゃプライドが高そうだな。
しかし、北の海……。
マルクが僕をチラッと見て頷き、そして口を開く。
「神殿守スフィアさん、俺達に、北の海の異変を調べろと言っているんですか」
「あら、嫌な言い方をするのね。貴方は貴族かしら。人間が汚した物は、人間が片付けるのが筋でしょう?」
抜け目のない笑みを浮かべる彼女に、僕はわずかな違和感を感じた。
彼女はこんな言い方をしているけど、僕達が断ると困るんじゃないだろうか。
「北の海には、俺達は近寄れませんよ。海竜も近寄れない小島がある」
マルクは、凛とした声で、そう言った。やはり、彼女は、一瞬、戸惑うような目をした。動揺しているのか。
「情けない人間ね。それでも精霊師なのかしら」
「怖くて近寄れないわけではない。王宮にいるノレア神父が、俺達を呼びつけて、北の大陸には関わるなと命じたんですよ」
マルクがそう話すと、ゼクトさんは、ニヤッと笑った。一方、神殿守スフィアさんは、戸惑いを隠せないらしい。
「ノレア神父というのは、精霊ノレアの子ね? 精霊の子が、なんと勝手な……」
「北の大陸は、王宮の教会が調べるようですよ。優秀な精霊師が、ノレア神父の元に集まっています。俺達がチョロチョロすると、邪魔なんじゃないですか」
「そう……それならいいのだけど。ノレアの坊やには、荷が重いのではないかしら。この地下水脈の汚れの原因は、これまでの長い間、北の海で死んだ人間の悪霊でしょう」
えっ? 竜神様が……。いや、これまでの長い間、か。
「ヴァン、北の海の異変の原因は何だ?」
ちょ、ゼクトさんがいきなり僕に聞く?
「それを貴方達に、調べて取り除くように依頼しようと……」
「天兎、こんな場所に結界を張って引きこもってるから、精霊の声を聞き逃すことになるんだ。もう、その原因は、ヴァンは知っている。竜神が既に、ヴァンになんとかしろと命じたからな」
「何ですって? それなら、なぜ動かないの!」
「ノレアの坊やが、妨害している。自分が解決したいらしいな」
ゼクトさんの話で、気が緩んだのか、彼女の結界が弱まったようだ。
『にゃんにゃの〜!』
離れた場所から、にぎやかな声が聞こえてくる。
「ヴァンさん、この原因は、何なの? 影の世界の住人が、地下水脈を塞ぐなんて、あり得ないことなんだけど」
ゼクトさんを見ると、軽く頷いた。話してもいいのか。
きっと、マリンさんが言っていた黒い氷のことだよな。北の大陸には、影の世界との狭間に綻びができているんだ。
「北の海の小島にある、溶けない氷を使って、北のたくさんの小島の間を繋いだ者たちがいるようです」
すると、黄色いリボンが揺れた。スフィアさんは、首を傾げている。
「溶けない氷って何?」
えっ? 知らないの?
「神が、氷の神獣を閉じ込めた檻の氷です。それを砕いて海に撒いた者達が……」
「ちょっと! 堕ちた神獣ゲナードの次は、氷の神獣テンウッド? いい加減にして!!」
突然、彼女が怒鳴った。
「おい、天兎、こいつに言っても仕方ないだろ」
「だけど……なぜ、竜神の命令を無視して放置しているのよ?」
「だから、ノレアの坊やが妨害しているからじゃねぇか。ヴァンは、何度もアイツに暗殺されかけてるからな。ノレアの坊やが禁じることには逆らえない。精霊がこの世界の……」
「それがおかしいのよっ! 精霊なんかよりも、天兎の方が格は上よ」
ゼクトさんの言葉をぶった切った彼女は、怒りに震えている。
「まぁ、どうせ、ノレアの坊やは失敗するぜ」
「そう、ふぅん。ふふっ……そう」
彼女は、意味深な笑みを浮かべた。
皆様、いつもありがとうございます♪
昨日から、新作を始めました。
『まだスローライフは始まらない 〜天界から追放されたい転生師は、リストラされる夢を見る〜』
これは主人公が怒りまくる物語です(*'.'*)←嘘です
失礼しました。えっと、序盤は、怒りまくってます。
口は悪いけど、理不尽なことを嫌う主人公は、担当した転生者のサポートをしつつ、地上でのんびりとしたスローライフを送りたいと考えます。
だけど、なかなか追放してもらえない。
彼は、快適なスローライフを目指して、環境を整え始めます。だから、あくどい魔王をぶっ倒し、腐った天界人もぶっ倒す。だけど、それはすべてが女神の思惑通りで……。
正体不明の毒舌幼女との関係にも、ご注目ください♪
1話は短めです。今夜日付が変わる頃に、第3話を更新予定です。よかったら、覗いてみてくださいませ(*≧∀≦)




