35、ボックス山脈 〜目に見えない怪物
「マルク、とりあえず下ろしてよ。足が地面についていないのって不安なんだよー」
僕達は、まだ、浮かんだままなんだ。川のように流れていた水も、もう、すっかり消えている。大地の草花も、誰かの魔法で息を吹き返したように、元どおりだ。
「ヴァン、まだダメだよ。俺達は邪魔になる。まだ、この場所の清掃が終わっていないんだ」
「ん? 清掃って何? もう草花もすっかり元どおりじゃない」
「肝心な掃除ができていないんだ。早くしてくれなきゃ。ボックス山脈に出入りしている冒険者が、わかってないはずないんだけどな」
マルクは、何かを探すようにキョロキョロとしている。僕は、とにかく地面に下ろしてほしいんだけど。
そういえば、薬師学校の女性達の姿がない。マルクは、あの先生が有名なトレジャーハンターだから、大丈夫だと言っていたけど。
あちこちに隠れていた冒険者達が、丘の上へと集まっている。やはり、湖の近くは怖いんだよね。しかし、なぜあんなバケモノが? 魔物避けの結界が効かなかったのかな。
「マルク、みんな丘に集まってるし、そろそろ僕達も……」
「ダメだってば」
「えー、どうして?」
「俺、危機探知系のスキルを持っているんだ」
「うーん……」
そう言われたら、何も反論できないよ。足がぷらぷらするのが怖すぎるんだけど。僕の腕をつかむマルクの手に力が入った。うん? 何か来るの?
ゴォォオォ〜
何? 何の音?
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ
「チッ、ここはマズイ」
そう言うとマルクは、まさかの湖の上に転移した。ちょちょ、ちょっと! ここが魔物の通り道なんじゃ……。
バキバキバキバキ!
ダダダーン!!
さっき、僕達がいた付近の木々が何本も倒れた。しかも、踏み付けられたかのように、パッキリと折れている。でも、木を踏み付けるような大きな何かなんて、いないんだけど?
キャー!
えっ……何? 悲鳴はどこから? う、嘘……何もない空中から血がポタポタと滴り落ちている。
「マルク……」
「しっ、静かに」
マルクに小声で注意された。
大きな足音が、こちらに近づいてきている。だけど、こんな目立つ空中に浮かんでいたら、襲ってくれと言っているようなものじゃないか。
あれ? 今まで見えなかった人達が次々と姿を現した。あっ、薬師学校の女性達は、木の上にいる。向こうも僕達に気づいたみたいだ。目立つ場所にいるからね。
天然なクリスティさんが何か叫ぼうとしたけど、先生に口を押さえられている。
姿は見えないけど、魔物らしき何かが近くにいるんだ。だけど、静かにするのはわかるけど、なぜこんな目立つ空中に、僕達は浮かんでいるんだ……。
バシャッと水音がした。
湖の水面が揺れている。あの場所にいるのか。何かを探しているのか、あちこちをウロウロしているみたいだ。だけど湖には入ってこない。
そして、足音は、丘を上がっていくようだ。少しずつ遠ざかっていった。
ギャー!
また、悲鳴だけが聞こえた。声がした方向には、人影はないのに。そういえば、丘の上に集まっていた人達はどこに行ったんだろう?
そう考えた瞬間、たくさんの悲鳴と共に、多くの人が姿を現し、丘を転げるように湖の方へ逃げてきた。
「チッ、連れてくる気か」
マルクは小声でささやいた。
「マルク、何なの?」
「さっさと掃除しないから、呼び寄せてしまったんだよ。異界の番人といえばわかるか?」
僕は、思わず叫びそうになった口を手で押さえ、コクコクと頷いた。そうだ、ボックス山脈には、姿が見えない怪物が何体かいるんだ。奴らは、この世界の影のような世界、いわゆる異界にいるらしい。
怪物は、体長が何十メートルもあると言われている。大型の魔物を主食にしているから、腹が減れば食事のためにボックス山脈に現れるそうだ。
そうか、マルクが言っていた掃除というのは、さっき、冒険者達が倒して、バラバラに解体された魔物の臭い消しのことだ。確かにこの付近には、生臭いような変な臭いが漂っている。
この臭いに誘われて、怪物が現れたんだ。
怪物は、臭いと音を感知する。だから、マルクは湖の上……空中に浮かんでいるんだ。水にかき消されて、僕達の存在に気付きにくいはずだ。
あっ、姿を隠す魔法や魔道具を使っていると、逆に、奴らからは丸見えなんだっけ。
「ヴァン、大きな容量の魔法袋は装備してないよな?」
「マルクがくれた魔法袋だけだよ」
そう答えると、マルクはホッとした顔をした。ん? あー、リーフさんの魔法袋は盗聴されるからかな。
「俺も、容量の少ない物だけにしておいてよかったよ。まさか遭遇するとは予想してなかったけど」
「ん? マルク、何を言ってるの?」
「たぶん、異界の番人は、ここに二体いる。獲物を探しているようだ。臭いがするのに、それが見つからないのはマズイんだ」
「諦めないの?」
「腹を空かしているみたいだから、諦めないよ。じゃなきゃ、人間みたいな小さな生き物は喰わない」
「それと魔法袋に何の関係があるの?」
「奴らは、魔法袋が見えるんだ」
「えっ!? あ、もしかして異界にいるから……」
「あぁ、魔法袋は、別次元に広がっているからな。さすがに中身までは、奴らにも見えないみたいだけど。だから、逆に、大きく膨らんでいる魔法袋の中に、獲物があると考えるだろ」
「そうなると、魔法袋を盗られる?」
「盗るというより、異界から引き裂く。そしたら、中身が異界に放出されてしまう」
「うん? 異界に放出されたら、どうなるの?」
「当然、別次元へ落下するだろうな。魔法袋の中身は空っぽになるよ。それを拾うために、別次元へなんて行けないからな」
確かにそうだよね。怪物に引き裂かれたら、魔法袋の中身を失ってしまうということか。魔法袋って絶対に安全だと思っていたのに、そうでもないんだな。
「おい! ここで倒した魔物を持っている奴! 死にたくなかったら、さっさと出せ!」
突然、丘の方から大きな声が響いた。
みんな静かにしているのに、あの男性は……あっ、あの人は……。
だけど、みんな無視している。というより、怖くて声を発することができないみたいだ。
この場所を襲撃した魔物は、数人で倒していたっけ。このすごい臭いからして、きっと解体して分けたんだ。
見えない怪物は、一体は丘にいるはずなのに、あの人は大丈夫なのだろうか。
「正論だな。奴らは、獲物を人間が持っていることに気づいている。魔法袋が引き裂かれ始めたみたいだ」
「えっ? マルクって異界が見えるの?」
「はい? まさか。見えているのはアイツだけじゃないか」
マルクは、あの人……ゼクトさんのことを嫌っているみたいだけど、認めているようだ。正論だと言ったマルクの顔は、どこかホッとしているように見える。
ゼクトさんは、あちこちに転移を繰り返している。
怪物の姿が見えていて、それを避けているような行動だな。異界を見る技能があるのか。もしくは、魔道具かもしれない。
「じゃあ、魔法袋が引き裂かれ始めたって……あっ、そういうことか。引き裂かれたら、装備が外れてしまうんだね」
「あぁ、穴が開くと、魔力が巡らなくなるからな」
何人かの冒険者が、頭を抱えている。地面に魔法袋が落ちているのが見えた。
「おい! 何人かで分けたんだろ? さっさと出せ! どこまでもコイツらは追ってくるぞ。関係のない俺まで襲いかかられて迷惑している。出さないなら、強制的に出させてやろうか?」
ゼクトさんがそう言うと、解体した魔物が放り投げられた。うわぁ、嫌がらせだな。ゼクトさんにぶつけるように、何かの魔法を使って飛ばしたみたいだ。
彼は、最初の物は避け、次に飛んできた物は受け止めている。避けきれなかったのかな。最初に飛ばされた魔物の一部は、地面に落ちると、瞬く間に小さくなっていった。
ここで、まさに怪物が食事をしているんだ。
受け止めていたのは、魔物の首から上の部分のようだ。見たことのない魔物だけど魚系なのかな。キラキラしたウロコがびっちりとついている。
ゼクトさんは、その魔物の首にナイフを刺した。ダラダラと血が流れている。あれ? 血は地面に落ちると一瞬で草を枯らした。猛毒なんじゃないか。
そして、血抜きをした頭部を、丘の方へ放り投げた。すると、その頭も、みるみるうちに小さく消えていった。
「まだ、出してない奴、さっさと出せ! 二体いる。一体は、神の使いだ。ごまかせないぞ」
神の使いって何?
その言葉を聞いた冒険者達は、ゼクトさんの方へ、解体した魔物を放り投げた。その肉も、一瞬で消え去った……。




