341、自由の町デネブ 〜予想外の
翌朝、僕は、大通り沿いのレモネ家の別邸を訪ねた。
「今日からのワイン講習会は、ヴァンくんが担当するのね〜」
黒服を押しのけるように飛び出してきたシルビア奥様が、僕を出迎えてくれた。
久しぶりに会っても、少女のまま大人になったような雰囲気は、健在だな。何か悪だくみでもしているのか、クスクスと笑っている。
「シルビア奥様、ご無沙汰しております」
「あはは、やーだっ。ヴァンくんってば、相変わらず、カッコいいね」
「そんなことを言ってくださるのは、シルビア奥様だけですよ」
「うふふ、私は正直なのよ。あっ、ビンセントは、講習会は間に合わないみたいなの。パーティまでには戻ってくるって言っていたわ」
あっ、旦那様の名前は、ビンセントさんだっけ。
彼は、ラスクさんと一緒だと落ち着いた感じだけど、一人のときは、なんだかオドオドされるんだよな。学者って、みんな、あんな感じなのだろうか。
「そうですか。かしこまりました」
「ヴァンくん、そんなに、かしこまらなくっても大丈夫よ。爺なんて、いつも適当にやってるもの」
シルビア奥様が爺と呼ぶのは、ソムリエのスキルを持つレモネ家の黒服だ。だけど、爺というほどの年齢じゃないんだよな。
「シルビア奥様にそう言っていただけると、少し気が楽になります。今日は、何人くらいが講習会を受けられるのでしょうか」
「う〜ん、そうねぇ。人数はわからないわ。だけど、いないわけじゃないわよ。いつも必ず出席する子がいるもの」
いないわけじゃない? ということは、数人かな。今日は、一回目の講習会なのに、必ず出席するという人が来るのか?
「シルビア奥様、今日は、ワイン講習会、一回目なんですよね? 毎回、出席される方というのは、講習会の警備か何かの仕事で来られるのですか?」
「うん? 違うわ。講習会はすべて出席するのが趣味みたいな子がいるの。少し前に成人して、スピカの屋敷を離れているんだけど」
なるほど……。たぶん、知っている顔に会いたいのだろう。すべての講習会に出席するのか。なんだか、比較されてしまいそうで、緊張する。
「その人のジョブは、何なんですか? 講習会に関係があるような感じですか」
「えーっと、何だったかしら? 顔を見たら思い出すんだけど〜」
シルビア奥様は、覚えてないんだな。たぶん、ジョブを見る技能を持っているのだろう。白魔導士の貴族ルーミント家の出身だもんな。
「ヴァンくん、私も講習会に出席するわ」
「えっ? シルビア奥様は、ワインに詳しいのではないですか」
「よくわかんないの。爺の話は、つまんないし」
それが、その表情の理由か。
さっきから、悪戯っ子のような笑みを浮かべていらっしゃる。まぁ、主催する貴族の奥様だから、出席する義務があるのかもしれないけど。
「僕の話も、つまらないかもしれませんよ」
「大丈夫よ。ヴァンくんは、超級『道化師』でしょ? 爺なんて、道化師のスキルは持ってないの」
そう言いつつ、キラキラとした眼差しを向ける奥様に、僕は背筋が伸びる。失敗できないな。いや、でも、いっか。レモネ家の黒服の方が、僕より優れていて当然だ。
「あまり、期待しないでください。講習会をするのは、初めてなので」
「きゃっ、ヴァンくんの初めてを見られるのね。うふふ」
なんだか別の意味にも聞こえるけど、シルビア奥様は、より一層、ワクワクしていらっしゃる。
この人には、敵わないな。清楚なんだけど、小悪魔的というか、やんちゃというか……。
「私は着替えてこなくっちゃ。ヴァンくんは、ゆっくりしてらして」
「奥様、そろそろ開始時間ですよ。ヴァンさん、こちらへお願いします」
「えーっ! もう始まっちゃうのぉ? 急いで着替えてくるから、待ってて」
バタバタと駆け出す奥様を、冷静に見送る黒服やメイド達。うん、僕も、見慣れてきたかもしれない。
「ヴァンさん、奥様は放っておいて大丈夫ですから、こちらへ」
「あ、はい」
年配の黒服が、目配せをして、僕を別室へと促した。
遠くから、シルビア奥様の騒ぐ声が聞こえる。黒服は、彼女に聞こえるように、わざと、そんな言い方をしたのだろうか。
レモネ家にとって、シルビア奥様は、なんだかマスコット的な存在なのだろうか。使用人達との距離感も近い。レモネ家の温かい雰囲気は、彼女の力によるところが大きいと感じる。
だから、スピカでは、レモネ家がたくさんの孤児を預かって世話をしているのかもしれない。旦那様だけでは、性格的に無理だろうな。
◇◇◇
僕は、年配の黒服に案内されて、ワイン講習会の会場となる部屋へと移動した。
その扉が開かれたとき、僕の頭はチリチリとしてきた。
「あ、あの、ここが会場ですか」
僕は、小声で尋ねた。
「はい。試飲用のワインは、数種類用意してあります。私達が、助手として雑用は承ります」
いやいや、ちょっと待ってくれ。
確かに、会場には、講習会を受ける人は居る。僕達が扉の外で打ち合わせをしている姿を、チラチラと見ている人もいる。
「あの……何人いるんですか? 奴隷だった人達ですよね?」
「はい、この町に移住してきた人は、そうですね。他にも、スピカの屋敷で預かっている子供達や、ワインの知識を得たいという人が、集まっています」
「試飲用のワインは……」
「はい、この後のパーティ用の分も合わせて、それなりには用意しましたが、足りませんか?」
ズラリと並ぶボトル。
はぁぁ、まさかの光景に、僕は帰りたくなってきた。だけど、そうは言っていられない。
「ヴァンさん、では、まずは、私から講師の紹介を致します。その後は、ご自由に講習会を始めてください」
「は、はい」
年配の黒服が、入っていくと、騒がしかった部屋は静かになっていく。
彼は、演説台のような教卓のようなものの前に立ち、拡声の魔道具の調整を始めた。
キーンと、魔道具が不調なのか嫌な音がした。
僕の心臓に突き刺さるような音だ。
「皆様、レモネ家の講習会に、ようこそお越しくださいました。本日から、ワイン講習会も始まります。講師をしてくださるのは、ジョブ『ソムリエ』のヴァンさんです。それでは……」
バッと、扉が開いた。
年配の黒服の声が中断される。
「きゃぁ、もうっ、待っててって、言ったじゃない!」
シルビア奥様が登場した。
すると、堅苦しい雰囲気が、一気に和やかになった。
「ちょ、なんで、こんなにたくさんの人がいるの〜?」
シルビア奥様の絶叫に、年配の黒服は苦笑いだ。
「シルビアさま〜、遅刻だよー」
「こっち、空いてるよぉ〜」
「えー、私、もっと前の方がいいわ。みんな、もっと前の席においでよ」
年配の黒服が、開始の合図をしようとしていたのに、部屋の中で、大移動が始まった。
「ヴァンさん、すみません。少しお待ちください」
「はい、大丈夫ですよ」
ちょうどいい。来ている人達を観察しようか。
この大移動を、呆然として見ているのは、奴隷だった人達だろうな。部屋の中では少数派だ。
怪訝な表情を浮かべているのは、貴族か。僕と目が合うと、妙に媚びるような笑顔を浮かべている。ワインについての知識を得たいというより、僕との接点を持ちたいように思える。
また、かなり身なりの良い人達もいる。この町に移住してきた商人だろうか。彼らは、商機だと考えているのか、貴族らしき人達に、話しかけている。
そして、冒険者っぽい人達、それに、なぜか見たことのある顔が並んでるんだよね。僕が視線を移すと、人の陰に隠れる。
あとは、レモネ家に預けられている子供達だ。幼い子もいるんだよな。
ふぅ……。
対象者は、奴隷だった人達と、レモネ家の学校に通う子供達で良さそうだ。
「ヴァンくん、ごめんなさい〜。怒らないでね」
シルビア奥様は、冒険者のような軽装で、僕を拝むようにして、謝っている。
「大丈夫ですよ」
年配の黒服は、再び、演説台というか教卓の、拡声の魔道具の前に立った。
「それでは、これから、講習会を始めます。ヴァンさん、よろしくお願いします」
パチパチと拍手をされ、僕は、台の方へと進んだ。緊張を隠すために、スキル『道化師』のポーカーフェイスを使った。久しぶりに使ったな。
僕は、堅苦しい講習会にはしない。
「皆さん、こんにちは。ヴァンです。せっかく座ってもらったんですが、全員、起立していただけますか?」




