34、ボックス山脈 〜明け方の異変
ガラガラッ
何? 地面が大きく揺れて、僕は飛び起きた。
「マルク! 地震かも」
マルクに声をかけても目を覚さない。熟睡しているんだ。このテントには、マルクが結界を張ってくれたけど、地震だとマズイよね。
外の様子を確認しようと、テントの出入り口へ近寄ると、すぐ近くで悲鳴が聞こえた。僕は恐怖で動けなくなった。どうしよう、すぐ近くに何かがいる。
バシャンと水音のようなものも聞こえる。いや、ちょっと待った。ここは丘の上だ。湖から離れているのに、どういうこと?
何を言っているかわからないけど、外はすごく混乱しているみたいだ。このテントは、防音効果があるみたいなのに、こんなにも聞こえるなんて……。
出入り口を開けようとしたけど、開かない。マルクが結界を張っているからかな。
バシャン!
大きな水音のあと、地面がグラグラと揺れた。長い地震……いや、何か大きなモノが暴れているのか。
そして、何かがテントに激突するような衝撃を感じた。えっ? この感覚って、何? 目が回るんだけど。
気持ち悪い揺れが収まると、強い波動のようなものを感じた。マルクの結界があるのに伝わってくる威圧的な振動。
ピュキュー!
聞いたことのない鳴き声。な、何? 魔物? ここは安全なんじゃないの?
再び、大きな揺れの後、静かになった。
「ヴァン、何やってんの?」
ふわぁ〜っと、大きなあくびをしてマルクが上体を起こした。やっと起きたんだ。
「マルク、外で魔物が暴れていたみたいなんだ。すごく揺れたし、すんごい騒ぎだったよ」
「はい? 全然、気づかなかった。もう誰かが狩ったんだろ。冒険者だらけだし」
「いや、外の様子がわからない。出入り口が開かないし」
「あぁ、テントをグルリと結界で囲んでいるから、安全な場所じゃないと開かないよ。もう大丈夫じゃない?」
そう言われて、出入り口を開こうとしたけど、やはり開かない。揺れたから壊れた?
「マルク、開かない。すごく揺れたから壊れたのかも」
「いやいや、結界が壊れたら開くし。まだ近くに魔物がいるのかもね。とりあえず、朝飯にしよう。食べられるときに食べないとな」
マルクが落ち着いていることで、僕もちょっと落ち着いてきた。マルクは、こういうことに慣れているのかな?
小さなテーブルの上に、マルクは、何かの容器とマグカップ二つ、そしてぶどうパンを出した。婆ちゃんのぶどうパンだ!
「ヴァン、ここに熱湯を出して」
「水しか出せないよ。水に触れないとヒート魔法は使えないし」
「この容器は、魔伝導性が高いから大丈夫。俺は、顔を洗うから、よろしく」
「う、うん」
マルクは、こうやって誰かを使うことがあるんだよね。自分で出来ることをわざわざ頼んだりするのは、貴族らしい嫌味かと思っていたこともある。
だけど、二人しかいないこの状況では、これは僕を信用してくれているからだと感じた。
今までも、そうだったのかもしれない。マルクって、誤解されやすい部分があるよな。
僕は、容器に水魔法で水を入れ、ヒート魔法を使った。なるほど、ほんとに魔伝導性が高いんだ。中の水から湯気がでてきた。それなのに、容器の外側は全然熱くない。
マルクは、ほんとに顔を洗ってる。
身だしなみに気をつけているんだな。僕は、畑仕事のない日は、風呂にだって入らない。
そういえば、昨夜、寝る前にマルクが何か魔法をかけてくれたっけ。その直後、さっぱりしてポカポカしたんだ。お風呂魔法だったのかな?
「ヴァン、もうちょっと熱くして〜」
「えー、何するの? これ」
「ぬるい紅茶は美味しくないよ」
あ、だから熱湯って言ったのか。僕はさらに魔力を注いだ。容器の中の湯はぶくぶくと沸騰してきた。
「はい、ここに入れて〜」
マルクは、ティーパックの入ったマグカップ二つを僕の前に置いた。僕は、お湯を注ぎ、チャパチャパとティーパックを揺らして、一つをマルクに渡した。
うん? マルクがポカンとしてる。何? 何もしゃべってないんだけど。
「マルク、何? その顔」
「はい? あ、いや、なんか、ヴァンって手さばきというか何か、ウチのロードみたいだから」
「ロード?」
「あぁ、えっと、ウチの執事の一人。食事の世話を担当する主要執事の一人なんだ。そっか、ヴァンはソムリエだから、そんな動きになったのか。前に、魔導学校で紅茶をいれてもらったときと、全然違う」
えっと? 別に何もしてないんだけどな。何が違うんだろう?
「執事さん? ソムリエと関係ないよ?」
「いや、関係あるよ。ソムリエも洗練された給仕をするんだ。食事の世話を担当する執事の中には、ソムリエのスキルを持つ者を必ず入れている。誰かを招いたときには、ソムリエがいないと恥になるからね」
「ふぅん、貴族って大変だね」
「ヴァン、他人事じゃないぜ、あはは」
僕達は、ぶどうパンを食べて紅茶を飲んだ。婆ちゃんのぶどうパンを、こんな場所で食べられるとは思わなかった。いつもの味に、ホッとする。
そっか。マルクは、だから、わざわざぶどうパンをもらいに来ていたんだ。何も僕には言わずに、こういう気遣いをしてくれるのって、なんだか大人だな。
「婆ちゃんのぶどうパンを食べたら、元気が出てきたよ。マルク、ありがとうね」
僕がそう言うと、マルクは少し照れたようだ。
「初めての野宿は、いつもの何かがあるだけで落ち着くからな。俺は、子供の頃から食べているグミを持ち歩いているんだ」
「あっ、あの宝石みたいなキラキラした硬いゼリーだね。子供のときから? ギルドにしか売っていないんじゃないの?」
「あぁ、冒険者をしている派遣執事が、俺にくれたのがキッカケだな。ギルドはどこにでも売ってるけど、街でも置いてある店はあるんだ。だけど、兄貴達は、下等な食べ物だと言って……。まぁ、この話は聞かなかったことにして」
「う、うん」
マルクは、少し辛そうな顔をしている。そして、魔法袋からグミを取り出して、口に放り込んでいた。そっか、そのキラキラしたグミが、マルクの平常心を支えているのか。
おそらく、マルクにグミを渡した執事さんは、お兄さん達からいじめられているマルクにとって、とても大切な存在だったんだろうな。
貴族って、大変そうだな、ほんと。
「さて、外に出るか。ヴァン、立って」
あっ、そうだった。外の様子がおかしいんだった。僕が変な顔をしていたのか、マルクは笑ってる。
「な、何、笑ってんの?」
「クフフ、いや、だって、ヴァン、すっかり忘れてたような顔をしているからさ」
「あー、うーん、覚えてるから大丈夫」
僕が立ち上がると、マルクはニヤニヤしながら、何かの魔法を使った。すると、音がすんごい聞こえる。ちょ、何? 激しい水流の音が聞こえるんだけど。
「丘の上から転がり落ちたみたいだな」
「えっ? どうして?」
「魔物に弾き飛ばされたんだと思う。水の上に居るみたいだし、ちょっと転移魔法を使うよ。テントは邪魔だな」
マルクが僕に何かの魔法をかけた。えっ、ふわふわと浮かんでいる!? 腕をつかまれた次の瞬間、テントの外に移動したみたいだ。マルクは、テントを魔法袋に収納した。
「ちょ、マルク、ここって……」
「この場所が、ちょうど奴らから死角になっているみたいだな」
僕達の足元には、すごい流れの川があった。湖に流れ込んでいるみたいだ。それに、小高い丘が消えている。
湖には、たくさんのテントの残骸が浮かび、グルグルと渦を巻いている。地形が変わって見えるのは、別の場所に飛ばされたのだろうか。
「一緒に入山した冒険者達が、かなりやられているな」
「マルク、昨夜の丘に戻ってみようよ」
「はい? 昨夜からそんなに移動はしていないよ」
「丘が消えてるじゃないか」
「あるじゃない。ほら、その、魔物が暴れてる場所あたりに俺はテントを張っていたよ」
「えっ? 小高い丘は?」
「湖が増水したんだ。というか、魔物が、湖からここに侵入したみたいだな」
ちょっと待った。昨日知り合った薬師学校の女性達って、湖の近くにテントを張っていたんじゃ……。
「マルク、昨日の……」
「引率していた女性は、有名なトレジャーハンターだから、大丈夫だ。学生達を安全な場所に隠しているよ」
「それならいいけど」
ピュキューッ
ダダーン
僕達が水の上に浮かんで様子を窺っていると、大きな魔物は何人かの人達によって倒された。
すると、湖の水は急速に減っていった。あの魔物が水を操っていたのか。地面が見えてきたところで、別の人が大地に何かの魔法を使った。
すごい! すっかり元どおりだ。




