320、リースリング村 〜珍しい来客
『泣き虫ヴァン、お誕生日なの?』
『いつまで泣き虫なのかしら』
『泣き虫ヴァンは、ずっと泣き虫よ〜』
僕は、今日、誕生日を迎えた。
いつものように畑仕事を手伝っていると、リースリングの妖精が大勢で、僕の邪魔をしに来た。いつもよりも数が多いな。お祝いに来てくれたのだろうか。
「妖精さん、そんなところに集まらないで。ぶどうの木の剪定作業ができないよ」
一応、文句を言っておく。聞いてくれないことは、わかっているんだけど。
「おい、おまえら、邪魔だってよー」
『きゃー、もうっ、野蛮な黒うさぎね〜』
『泥を飛ばしてこないでよ〜』
「泥じゃねーぞ。畑に撒く肥料、いや、うんこだ、うんこ」
『いや〜、うんこまみれで、私達に近寄らないで〜』
『ほんと、お気楽うさぎね〜』
『うんこまみれ兎だわ。きゃははは』
ただの泥を、うんこだと言って投げる黒い兎。
かわいらしい女の子の姿なのに、何のためらいもなく、うんこを連呼する妖精たち。
今日も、リースリング村は、平和だ。
「ヴァンちゃん、お客さんだよ」
「えっ? 急ぎかな?」
「どうかね? あの貴族様だよ」
「わかった。すぐに戻るよ」
婆ちゃんは、僕のことをいつまで、ちゃん呼びするのだろう? 僕が成人の十三歳になったときに、大人扱いすると宣言していたのにな。
僕は、作業小屋で服を着替え、家に戻った。
「やぁ、ヴァン、今日は誕生日なんだってね。十七歳おめでとう。体調は、もう大丈夫かい?」
やはりラスクさんだ。いつものように、自分の家のごとく溶け込んでいる。もう一人、見知らぬ細い中年の男性も一緒だった。
「ラスクさん、ありがとうございます。もう大丈夫です。また、ぶどうパンを食べてるんですね」
「あはは、ここに来ると、これを食べないと帰れないんだ」
婆ちゃんは、また、ぶどうパンを焼き始めた。ラスクさんのお土産用だろうな。
「あの、そちらの方は?」
そう声をかけると、その男性は、緊張した表情で深々と頭を下げた。
「契約を継続していただき、ありがとうございます。貴方の名があるから、王宮からの援助も……コホン、いや、失礼」
彼が何か変なことを言いかけたのを、ラスクさんが小突いて制している。彼も、慌てて婆ちゃんの方に視線を移した。だが、婆ちゃんは、ぶどうパン作りに集中している。
リースリング村の人達は、僕が王都やデネブ街道沿いの湿原で、何をしたのかは知らない。
ましてや、空に映った堕天使が、泥を投げてリースリングの妖精と遊んでいるお気楽うさぎのブラビィだということも知らないんだ。
ラスクさんは、貴族の屋敷の人達にも、それについては、一切、話さないようにと命じてくれている。僕の性格をよくわかってくれているからだ。
「そっち系の話なら、ここではちょっと……」
「いえ、違うのです。今日は、ヴァンさんに契約を継続していただいている件での、お願いというか、ご相談に参りました」
契約を継続? あっ、もしかして、子供達へのワインの講習会の契約か。ということは、レモネ家の人? ラスクさんが連れてきたということは、使用人ではなく、旦那様か。
「もしかして、レモネ家の旦那様ですか」
「は、はい。当主のビンセント・レモネと申します。ほとんど家には居ないものですから、ご挨拶が大変遅くなりまして……」
いやいや、逆でしょ。貴族の当主が、何を……。
「こちらこそ、初めまして。ヴァンです。一度だけ、お屋敷にはお邪魔しましたが、後はずっと放置ですみません。報酬だけいただいている状態で、心苦しく思っていました」
報酬ドロボー状態だもんな。
この3年以上、全く何の仕事もしていないのに、商業ギルドからは、ファシルド家の薬師契約と変わらないほどの報酬をもらっている。
「契約を継続していただいているだけで、当家には多大な恩恵がありますから、そのように思われないでください」
なんだか、レモネ家の旦那様は、貴族らしくない。僕のことを過大評価してくれているのかもしれないけど、すごくオドオドしている。
彼の奥様は、確かシルビア様だっけ。ラスクさんの奥様マリー様の妹さんなんだよな。天真爛漫な少女のまま大人になったような、元気で人懐っこい奥様だ。
このオドオドした旦那様と夫婦というのは、なんだか不思議な気がする。でも二人とも、いい意味で貴族らしくない純粋な雰囲気を持っている。お似合いなのかもしれない。
「ヴァン、彼は口下手なんだよ。レモネ家は、ずっと昔から学者の貴族だからね。彼は、植物学に精通している。食べられる実の研究だっけ」
「ええ、すべての植物は、魔物よりも圧倒的に賢く、種の繁栄という点で考えるなら、あらゆる生き物の頂点に君臨するべき存在です。人間が、彼らのためになると認めてもらえることで、我々は植物から、食料を得ることができる。そもそも、人間は……」
「ビンセント、また変なスイッチが入っているよ?」
彼は、突然、人が変わったように堂々と饒舌になっていた。だけど、ラスクさんに指摘されると、またオドオドし始めたんだよな。
「学者さんって、すごいですね。とても……」
「ヴァン、気を遣わなくていいよ。ビンセントは、専門分野の話をさせると、食事もとらずにずっと話し続けてしまうんだよ。奥さんのシルビアさんは、病気だと言ってるよ」
僕は、どう返事をすればいいか、わからない。あいまいな笑みを浮かべておいた。
「あの、子供達へのワイン講習会ですよね。僕も、ジョブの仕事をキチンとしないといけないと思っていたので、逆に助かります」
カラサギ亭で会ったあの若い男みたいに、ジョブの印が陥没してしまうと困る。
「よかった。そうなのです。えっと、詳細が……」
レモネ家の旦那様は、カバンの中をゴソゴソと探している。魔法袋ではなく、普通の布カバンだ。
「俺から、話そうか?」
ラスクさんがそう言うと、ビンセントさんは思いっきり頷いている。ラスクさんのことを、実のお兄さんのように思っているのかもしれない。信頼し切っている顔だ。
「ヴァン、自由の町デネブに、レモネ家の別邸ができたんだよ。移民が多いし、奴隷だった人達に教育をする必要があるからね」
「そうなんですね。確かに、それは必要だと思います。奴隷になっていた人工的につくられた獣人もいますからね」
僕がそう言うと、ラスクさんは、目を見開き、ビンセントさんの方を見ている。ビンセントさんも、ポカンとしているんだよな。
「あっ、もしかして、僕、まずいことを言ってしまったかな」
「いや、ヴァンがそれを知っているとは思わなかったから。そうか、ルファス家の彼とは親友だからだね」
貴族の耳にしか入っていないことなのか。でも、ごまかすのはおかしいな。
「僕は、デネブ街道沿いで、人工的につくられた獣人の女性に会ってるんです。一部の冒険者も知ってますよ」
「あぁ、ハンターパーティのラプトルか。アイツらの支店も自由の町デネブに出来たよ。激戦区の池の近くに入居している」
「池の近くが激戦区なんですか?」
「あぁ、冒険者ギルドも、池のほとりにあるし、ヴァンが任されている畑の野菜や果物の即売所が、畑の端の池のほとりにある。あの付近は、絶対に安全だし便利だからな」
ラスクさんは、婆ちゃんの動きを気にしながら、話している。畑を任された話も、していないもんな。
「なるほど、確かに便利ですよね。商業ギルドの店は、珍しいものがあって楽しいし」
そこまで話して、僕は、あの女性のことを思い出した。ラン・ドルチェ。サキュバスの血を濃く受け継ぐドルチェ家の分家の人だ。
その後、リースリング村にいる貴族の人達から、彼女の噂を聞いたことがある。商人貴族なのに、裏ギルドの仕事ばかりしているらしい。
だけど、僕が、変な術をかけられて傀儡にされそうになったのは、裏ギルドの仕事ではないらしい。
あれは、マルクが言っていたとおり、ドルチェ家の後継争いをする人が、フリージアさんの足を引っ張るために、マルクを孤立させようとしたみたいだ。
だから、僕のことが、すべてバレていたわけではないらしい。もし、ピオンだとバレていたら、教会で解除できる傀儡ではなく、別の強力な術を使っただろうと、誰かが言っていた。
逆に、その方が、僕としては助かったんだ。
強力な術を使われたら、必ず、お気楽うさぎは防御してくれる。ブラビィが危機だと感じない程度の術は、逆に僕にとって、危ないんだよな。
「ヴァン、自由の町デネブでの、ワイン講習会を頼むよ」




