32、ボックス山脈 〜憧れの伝説のハンターが……
「僕を乗せてくれていたのは、誰だっけ?」
僕は、ヒョウのような魔物、ビードロ達に話しかけた。一生ずっと、魔獣使いの技能の効果が続くなら、僕の術がかかっている個体を見分けられないのは困る。
すると、一体がピョンと跳躍した。
「坊や、見えるか? ここにいるが、どうした?」
「あ、うん、名前とかあるのかなって思って」
「人間は、ワシらをビードロと呼んでいるが?」
「種族は覚えてるよ。キミの名前はないの?」
そう尋ねると、沈黙してしまった。名前がわからないのかな。魔物の表情は見慣れていないからか、何を考えているのか全くわからない。
見慣れると、見分けられるようになるのだろうか。あの個体は、僕を見分けられるのかな? まぁ、もう会わないかもしれないし、気にしなくてもいいか。
「ヴァン、魔物に、個別の名前という概念はないと思うぜ」
「そうなんだ。あれ? マルク、今のやり取りが聞こえた?」
「魔物は、唸っているだけにしか聞こえないけど、ヴァンの声は普通に聞こえるから」
「そっか。あのさ、僕の言葉って、僕を乗せてくれていた個体には、二種類に聞こえるみたいなんだ。意味がわかるときと、知らない言葉に聞こえるときがあるらしい。聞かせたいことだけを理解させる方法はあるのかな?」
「ヴァン、俺は魔獣使いのスキルは持ってないから、そんなことまでは、わからないぜ。説明を見てみろよ」
「だよね。マルクなら、なんでも知ってるかと思ってた」
マルクが苦笑いしてる。困らせたかな。えっと、魔獣使いの技能を確認しようか。
●友達……魔物や獣に、対等であると思わせる。ただし、親しい関係を築けるとは限らない。
●通訳……魔物や獣の言葉が理解できる。話しかけた言葉を相手に理解させるには、従属の技能を合わせて使うことが必要。
ここまでは、中級のときと同じだな。
●従属……魔物や獣を従わせる。級やレベルによって、その強制力は異なる。通訳の技能と同時に使うことで、言葉で指示を与えることができる。
●拡張……発動中の技能の効果が及ぶ範囲を、他の魔物や獣に広げる。級やレベルによって、広げられる範囲は異なる。
うーん、知りたいことが書いてない。
「マルク、書いてないや」
「じゃあ、使いながら試すしかないね。もしくは、冒険者の知り合いを増やして、情報を集めるか」
「その方がいいかも。あっ、さっき、ここに来た人ってハンターなんだよね? マルクを助けに来たのかな」
僕がそう言うと、マルクは急に表情を固くした。どうしたんだろう? あの人が、僕達の前から消えたのは、崖の上の様子に気付いて、マルクを助けに行ったんじゃないのかな。
あっ、あの人は、でも……人を助けるようなタイプじゃないか。凍えそうな冷たい印象を受けたもんな。
「なぜ、ハンターだと思ったんだ?」
マルクは、何か話を逸らそうとしているのかな。
「魔物達が、ハンターだと言っていたから。僕も、魔物と一緒に危うく殺されそうになったんだよね。だけど、急に消えたと思ったら、崖が崩れたんだ。魔物達は、ここに、そのハンターがいるのが見えたみたい」
するとマルクは、何かを考えているのか、しばらくどこかをぼんやりと見つめていた。もしかしたら、知り合いだったのかな。嫌なことがあったのかもしれない。
「ヴァン、何、不安そうな顔をしているんだよ?」
「いや、マルクが話したくないことに、触れてしまったのかなと思って」
「そんなんじゃないよ。ただ、会いたくない人物だったから。それに、俺を助けに来たわけじゃない。たまたま、トカゲを狩りに来た所に、俺がいただけだ」
「そっか、だよね。冷たい感じの人だったし」
「あぁ、あの人には感情がないんだ。誰のことも信じない。おそらく、心が壊れているんだよ。喜怒哀楽のどの感情もない。剣を持っているときはまだマシだけど、街では幽霊みたいなんだ」
マルクは、幽霊が嫌いだから……あの人のことは嫌いだということ? 喜怒哀楽がないのかな? でも、笑っていた気がするんだけど。
「よく知っている人なんだね。でも、幽霊って……存在感がないってこと?」
「関わると死ぬんだ。死に誘う悪霊みたいなもんだよ」
あれ? 関わると死ぬって……もしかして?
「まさか、あの人が、伝説の極級ハンターのゼクトさん?」
「そうだよ。ヴァンが、キラッキラな目で憧れている男だ。実際に遭遇して、ゾッとしただろ? あの人は、誰も寄せ付けない。こんな野外では絶対に会いたくない。みんな怖れているんだ。あの人は、平気で人を殺す。魔物と人の区別がついていない狂人なんだよ」
「えっ……そんな」
僕は、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
魔導学校でハンターの英雄伝を聞いてから、僕の中では、ゼクトさんは、あまりにも眩しすぎるスターだったんだ。
それなのに、あんなに冷たい異常な感じの人だなんて……。いや、僕が勝手にイメージを膨らませていただけか。でも、そんな……。
「まぁ、これでよかったかな。ヴァンが、キラッキラな顔をしてあの人の話をすることを、いつか止めなきゃと思っていたからさ。ハンターになりたいなら、冒険者ギルドに登録するだろ? そこでそんな話をするとマズイからな」
「……うん」
「あ、ハンターを目指すのは、辞める?」
えっ……どうしよう。でも、マルクの欠点を克服するためにも、ハンターの情報が必要だ。それに、あの人は、感情がないわけじゃない。あのとき彼は、確かに笑った。
僕が聞いた英雄伝では、ゼクトさんは誰からも頼られるヒーローだった。それが、なぜ悪霊だとか狂人と呼ばれるようになったのか……僕は、その理由が知りたい。
「マルク、辞めないよ。僕、凄腕のハンターを目指すから」
「ふっ、よかった。ヴァンの純朴な心を砕いてしまうんじゃないかと心配だったんだよな」
「純朴って何だよ」
「あははっ、俺、正直者なんだよな」
「ちょ、マルク〜」
あれ? マルクと話している間に、ビードロ達は姿を消した。いつの間に?
「あー、ヴァン、魔物なら離れたよ」
「そうなんだ。さよならを言えなかったな」
僕がそう言うと、マルクはポカンとした。また、この顔だよ。何がおかしいんだろう?
「ちょ、マルク、何だよ」
「はい? あ、いや、ヴァン、ちゃんと説明は読んだ?」
「何の?」
「スキルの説明。魔物と話せるということは、通訳と従属だろ?」
「あー、うん、友達も使ったかも」
「はい? なぜ友達? まぁ、従属を使ってるなら上書きされるのかな」
「そうかな。で、何?」
マルクは苦笑いしてる。僕にはわからないことなんだよ。
「従属を使ってるんだから、付いてくるよ」
「どういうこと?」
「ヴァンが呼べば、すぐに来る位置にいる。近すぎると邪魔になるから離れているんだ」
「えっ? 村にまでついてくるの?」
「うーん、ボックス山脈から奴らは出られないから、それはないかな。その辺の平原で、従属の技能は使うなよ? それこそ、村の近くに寄ってくるからな」
「わ、わかった」
技能の説明に、従属を使うとついてくるなんて、書いてないんだけどな。
「ヴァン、そろそろ日が暮れる。集合場所に移動しよう」
「うん、わかった。マルクの手袋を修理できる人はいるかな? 僕の反応が消えたんだよね」
僕がそう言うと、マルクはハッとした顔で、左手に触れた。そして、なんだか変な顔をしている。
「壊れると消失するから、大丈夫。俺の問題だったみたいだ」
「ん? どういうこと?」
「グローブをしている左手に魔力が巡らなくなっていたんだよ。だから、ヴァンの場所が消えていて……ヴァンが死んだと思ったんだ」
「もしかして、トカゲに左手をやられた?」
「あぁ、左腕がちぎれそうになった」
「ひぇ〜、マルク……」
トカゲって、とんでもないバケモノだったんだ。
「ぶどうのエリクサーが無かったら、死んでいたかもしれない。治癒魔法ではどうにもならなかった」
「そっか。僕も、あれがなかったら死んでたよ。偶然の産物に感謝だね」
「いや……偶然じゃないだろ。ヴァン、超級薬師なら……しかも、増幅の印と、増幅のグローブがあれば、また、作れるんじゃないか?」
「でも、あれは、魔導士達がたくさんの魔法を使ったマナが空中に漂っていたから」
「ボックス山脈は、あちこちに、マナ溜まりがあるから、試してみようぜ」
「でも、その前に、湧き水のにごりの原因を探さなきゃ」
するとマルクは、ニヤッと笑った。
「水のある場所には、マナ溜まりができやすいんだぜ」
「マジ!?」