319、リースリング村 〜ヴァン、十七歳になる
「マルク、変な顔してるけど、どうした?」
僕の問いには答えず、マルクは何かを詠唱している。長い詠唱だ。マルクの身体からマナのオーラが放たれる。
詠唱が終わると、僕は不思議な光に包まれた。
不思議な光は、僕の身体に吸い込まれると、何かが、全身を駆け巡るような感覚……そして、おでこから、何かが、にゅ〜っと出てきた。
うわぁ、何だ!?
マルクは即座に、うにゅうにゅしたものを魔力で創り出した刃で斬った。
『アァァ!!!』
床にぽとりと落ちた、うにゅうにゅしたものは、甲高い叫び声とともに、ジュッと燃えあがった。
一体、何?
僕は、訳がわからず、ただ呆然としていた。
「よかった、間に合ったぁ」
マルクは、やっと笑顔を見せた。
「マルク、僕、何がなんだかわからないんだけど? さっきの、うにゅうにゅは、何?」
「ランさんの術だよ。ヴァンは、あの人の傀儡にされてしまうところだった」
「えっ? 傀儡って、操り人形? でも、僕には精霊の加護があるのに?」
「ランさんは、サキュバスという魔族の血を濃く受け継いでいるんだ。精霊ブリリアント様には、彼女の術を弾く力はないよ」
サキュバスって、悪魔? えっ?
「ドルチェ家に魔族がいるの?」
「俺も、まだ把握できてないんだけど、分家が多いんだ。ドルチェ家の人達は、貴族より商人の感覚が強いから、とにかく増やしたがる。あらゆる種族と関係があるんじゃないかな」
「あー、分家が増えると、ドルチェ家の店が増えるのか」
「そういうことみたい。ランさんは、本家を継ぐ権利のない分家の人なんだけどさ……」
マルクは、そこで言葉を止めた。なんだか、辛そうな表情だ。ランさんに何かされているのだろうか。
「マルク、どうかした?」
「いや、悪い。ヴァンが狙われたのは俺のせいだ。俺が、フリージアさんの後ろ盾をしていると噂されているから……」
「僕がマルクと親しいから、狙われたの? 僕を操りたいのは、僕の従属を利用したいのかと思ってた」
すると、マルクは首を横に振っている。
「ほんと、危なかったよ。ヴァンがあの人の傀儡にされたら、その瞬間、すべての関係が解消されてしまうところだった。神の祝福もすべて……」
神の祝福? 何のこと? あ、ジョブ?
「ジョブが消えるってこと?」
「へ? ジョブは消えないし、スキルも消えない。契約関係が消え去るんだ」
あぁ、従属が消えるのか。
「従属や覇王が消えるんだね。でもそれなら、ブラビィが妨害するはずだけど……サキュバスのチカラには敵わないのかな」
すると、マルクは困ったような表情を浮かべている。
「従属は消えるけど、再び技能を使えばいいだけだ。ヴァンに懐いている奴らは、離れないと思うよ。覇王の効果は、傀儡にされても、たぶん消えないんじゃないかな」
うん? それなら、マルクは何を焦っていたんだ?
洗脳系の術って、教会で解除してもらえるイメージがあるけど、傀儡は、覇王のようにずっと消えない術なのか。
「じゃあ、ランさんの術って、一生消せないから、マルクは焦ってたんだね」
「へ? いや、高位の神官なら解除できるよ。傀儡にされると、大変じゃないか。すべての契約関係が解消されてしまうんだよ?」
マルクは、何を言ってるんだ? あの人の傀儡にされてしまっても、教会に行って解除してもらえるなら、そこまで慌てることじゃないよな。従属が消えたら、再びスキルを使えばいいだけなんだよね?
「マルク、何をそんなに……」
「ヴァンは、気づいていないみたいだけど、神の祝福を受けたんだよ。それが消えてしまうところだったんだ」
「神の祝福って、何?」
「俺の口からは言えない。この町の教会に行ってみたらわかるよ」
えっ……神官様の教会!?
「いや、しばらくは神官様に合わせる顔がないから……。あ、マルク、教会に置き去りにしてごめん。これ、お詫びのつもり」
僕は、さっき買ったグミを一つ渡した。マルクが喜びそうな綺麗な器に入ったフルーツグミだ。
「おっ! フルーツグミじゃん。これ、フリージアさんが、商業ギルドに卸してるやつだよ」
「えっ……ドルチェ家の商品だなんて、知らなかった」
「あはは、言ってないし。でも、これは、俺の希望通りに作ってくれたんだよな」
マルクは、もう、パクっと食べている。満足げだから、まぁ、よかったかな。
神の祝福が気になるけど、話してはいけない決まりがあるのだろうか。僕は、あまり教会には行かないから、イマイチわからない。
あっ、あの記事……。
「マルク、さっき、ランさんに見せられた魔道具に、僕の名前と、妙な数字が並んでいたんだ。数字の意味を知ってる?」
「どんな記事だった? 俺には見えなかったけど、たぶん、裏系の銀貨1枚の記事だと思うけど」
銀貨1枚!? 普通は、確か銅貨1枚だよな。100倍もするんだ。だから、彼女は、あんな言い方をしたのか。
「たくさんの名前と数字が並んでいたよ。僕の名前の横には、確か、4、2,000,000、そして5,623という順で、並んでいた。スピカで撮ったらしき僕の映像もついていたよ」
マルクは、一瞬、目を見開いた。
「ヴァン、それって、価格表だよ」
「僕を売るってこと?」
「いや、裏ギルドの評価表かな。仕事の難易度、その人物が生涯稼ぐ金額の評価、今の裏ギルドの最高価格の順だよ」
「うん? 何に使うの?」
「裏ギルドに仕事を依頼するときの目安になる。評価額の千分の一が、報酬の目安だけど、ヴァンの場合は、かなり高いね」
「えっと、2,000,000の千分の一って、2,000だよね。うん?」
「金貨200万枚しか稼げないという評価が低すぎるのかも。難易度4というのは、わかるけど」
僕には、全くわからない。僕が首を傾げていると、マルクはクスクスと笑っている。
「ちなみに、俺は、難易度3で、金貨1万枚しか稼げない評価だよ。だから、俺の暗殺依頼は、金貨10枚が相場になってる。フリージアさんが、俺の評価額を引き下げさせたから、報酬が安いだろ? おかげで、暗殺者は減ったよ」
「えっ? 僕の暗殺依頼って、金貨5,623枚ってこと?」
「うん、それが、いま出てる最高額みたいだな。たぶん暗殺じゃなくて、捕獲だと思うよ。評価額が高いから、捕まえて使用人か養子にしたいんじゃないかな」
とんでもない額だ。僕は、ゼクトさんを雇うために、金貨100枚を……いや、その倍の金貨200枚を必死に貯めたのに。
「なぜ、ランさんは、僕にそんなものを見せたのかな」
「たぶん何でもよかったんだよ。何かを見ようと集中した隙に、術をかけたんだと思う。一番、無防備になるからね」
「そっか……」
「でも、ヴァンの難易度4を見せたかったのかもしれない。そんな人物を傀儡にできたら、嬉しいだろうからさ」
「難易度4って、難しいってこと?」
「普通は、難易度0だからね。凄腕の冒険者なら1、裏ギルドの同業者なら2かな」
「どこまであるの?」
「確か、5だったと思う。難易度5は、不可能ということだから、難易度4が、実質的に最高難易度だよ」
「マルク、詳しいんだね」
「まぁね。貴族って、ドロドロしてるからさ。でも、これを利用して身を守ることもできる」
「どういうこと?」
「評価額を下げさせれば、受注する人は減る。でも、ヴァンの場合は、自分で自分の暗殺依頼を高額で出しておくのも、アリだね。あー、それ、いいな、うん」
マルクは、何か、ひらめいたらしい。
「ヴァンの評価額を、もっと上げるように、クリスティさんに頼んでおくよ。そして、ヴァンがピオンだという注記事項も添えてもらおう。誰も手出しできないよ」
「えっ!? ばらすの?」
「ピオンは、たくさん居るから、言い逃れはできる。まぁ、裏ギルドを利用する人しか見ないけどね」
僕の知らない世界だ。でも、マルクは、詳しいんだよな。貴族って、ほんとにドロドロだ。
「ヴァン、そろそろ送ろうか? あの人の術はダメージが残るから、しばらくは、おとなしくしている方がいい」
「だから、身体が少し重いのかな」
「やっぱり? じゃあ、リースリング村に送るよ」
マルクは、転移魔法を唱えた。
◇◇◇
それからしばらくは、リースリング村で、爺ちゃんの手伝いをして過ごした。
体調が戻ってからは、たまに、自由の町デネブに通うようになった。と言っても、長すぎる小屋の庭で、木工作業をするだけなんだけど。
暇なときには、精霊の森で摘んだ薬草を使って、村の人達に必要な薬を作り溜めをしておいた。
そして、僕は、十七歳になった。
日曜日はお休み。
次回は、10月11日(月)に更新予定です。
よろしくお願いします。




