313、自由の町デネブ 〜神の像
「ピオンさん、お話とは?」
神官様は、僕に……いや、僕が魔道具メガネで変装しているピオンに、やわらかな笑顔を向けた。
魔道具メガネは、彼女を好意の色に染めている。つまり、彼女は、僕……いや、ピオンに好意を抱いている。
僕には、魔道具メガネが染める色が、恋愛感情かどうかはわからない。でも、ピオンを捜すために、裏ギルドに依頼を出したほどだ。
それに彼女は、ピオンが良ければ、婚約を考えてもいいと言っていた。
神官様がピオンに、好意を抱いていることは、魔道具メガネを使う前から、わかっていたことだ。
「フランさんは、なぜ、僕を捜す依頼を出したのですか」
「えっ? 裏ギルドで依頼を見て、ここにいらっしゃったのではないのですか」
きょとんと首を傾げる彼女は、やはり美しい。そんな彼女を僕は傷つけることになる。心がズキンと痛んだ。
「クリスティさんから、聞きました。裏ギルドへの確認は、していません。いろいろと忙しかったものですから」
「そうでしたか。お忙しい中、呼びつけた形になり、申し訳ありません。来ていただいて、ありがとうございます。改めて、お礼を申し上げたかったのです」
マルクは、僕から少し離れた。気を遣ってくれているのだろう。マルクは、応援するような仕草をしている。
違うんだ。
僕は今から、彼女との関係を……ぶち壊すんだ。
「お礼、ですか。だから、多くの人が集まっていたのですね。フランさんから、何か、お礼の品をもらえると考えたのでしょう」
僕は、少し強い口調でそう言った。
「あっ、お礼の品……」
神官様は、ハッとした表情を浮かべている。彼女が慌てる姿は珍しい。
僕の前では、彼女はいつも凛としていて、頼りになると感じていた。あれは、彼女が無理をしていたのか。
今の僕は、魔道具メガネで20歳前後に見える。神官様と同じくらいだ。だから彼女は、僕ではなくピオンを選ぶのかもしれない。
だけどピオンは、架空の人物。神官様が婚約の話をする前に、ピオンに幻滅してもらおう。
「僕を呼んだのは、礼を言うためだけですか」
「い、いえ、あの……。あっ、ピオンさんのお話というのは、私がお呼びした理由についてでしょうか」
神官様を困らせている。僕は、胸が痛んだ。だけど、今の僕はピオンだ。裏ギルドに出入りするピオンだ。
「もう、それはいいですよ。お礼が言いたかったのだと、うかがいました」
「いえ、違うんです。もちろん、それもありますが、あの……私……」
神官様の目が揺れている。マズイ! 婚約の話をする気だ。それなら……。
僕は、彼女の唇に、人差し指を当てた。言葉選びに迷っていた彼女は、ビクッと驚いたようだ。
「正直に言いましょう。僕は、フランさんを狙っていたんですよ」
「えっ? どういうこと……」
「フランさんのことは、以前から知っていました。神官家の独立潰しの標的にされていることを知り、貴女に近づくチャンスだと思った。恩を売れば、貴女は、僕に惚れるのではないかと考えましてね」
神官様は、大きく目を見開いた。ふっ、幻滅したか。
「嬉しいです」
はい? ちょ、ちょっと待った。嬉しい?
「なぜですか? 気持ち悪くないのですか? 僕は、貴女の心を奪おうと、裏ギルドのミッションを受けたのですよ?」
すると彼女は、はにかんだような顔で、首を横に振る。
「ピオンさんは、私の命を助けてくださいました。始まりのキッカケは、その善悪は私にはわかりません。でも、結果として、私は、貴方のような不思議な魅力のある人に出会えました」
ちょ、ちょ、どうなってるんだ? 神官様は少女のようにはにかみ、頬をほんのり赤く染めている。
だ、ダメだ。全然、ピオンに幻滅していない。そうか、失敗した。もともと好意を持っているからだ。
前提の読みが甘かった。嫌いな男に言われたら、気持ち悪くても、好きな男に言われたら嬉しいんだ。
「はぁ……。貴方は、ヴァンという人が好きだと言っていませんでしたか?」
「えっ? あっ、クリスティさんとの話ですよね。あのときとは、状況が変わりました。だから、私は……」
ちょ、なぜ、そんな顔で僕を見る? いや、違う、ピオンを見ているんだ。
仕方ない。素性を明かしたくないけど、もう、そんなことを言っていられない。
僕は、魔道具メガネを外した。
「えっ……」
彼女の表情は、驚きで固まった。強いショックを受けたのかもしれない。魔道具メガネを外した僕には、彼女の感情の色は見えない。
だけど、これでいい。僕のやっていたことは、気持ち悪いと感じるだろう。
彼女に、架空の人物に求婚させてはいけないんだ。彼女のプライドを傷つけることになるんだから。
「フランさん、いえ、神官様。騙していて申し訳ありません。僕は、貴女に婚約を解消されたけど、貴女が潰されそうになっていたのを知り、何とかしたかった。でも、僕が裏ギルドに出入りしていると、知られたくなかった。いつまでも貴女に付きまとっていると、思われたくなかった。だから、こんなことになってしまいました」
神官様は、言葉を失っている。
「自分でも、気持ち悪いことをしている自覚はあります。だけど、僕は……」
彼女は、呆然としている。だが、怒っているようには見えない。どちらかといえば、泣きそうな顔に見える。
僕は、思わず、彼女を抱きしめた。
すると彼女は、僕を振り解こうとする。だよね、やはり、僕のことは嫌いなんだ。
だけど……。
「僕は、貴女のことが好きです。貴女が僕を必要としていないことは知っています。でも、ずっと婚約者のフリしていたのに、一方的に解消するなんて……そんなこと、僕は、同意していません。僕は……」
彼女は、無言で、僕の腕の中から逃れようとしている。
そんなに嫌いなのか……。
だけど、僕は……。
「ちょっと、ヴァン! あなたねー……」
僕は、怒る彼女の唇を、僕の唇でふさいだ。
すると、彼女は脱力したかのように、抵抗をやめた。彼女の目からは、涙がこぼれている。
嘘……。
僕は、パッと彼女から離れた。
彼女を泣かすつもりなんてなかったのに、僕は何をやっているんだ。
「……ヴァン……」
あっ、絶縁を告げられる。
無理だ、何も聞きたくない!
僕は……。
気づけば、くるりと後ろを向き、駆け出していた。
僕の頬を涙が流れる。嫌われていることはわかっていた。でも、もうこれ以上、カッコ悪い泣き顔を見られたくない。
「へ? ちょっと、待てよ、ヴァン」
マルクの声が聞こえる。だけど、僕には、全く余裕はない。
建物の出入り口近くで、僕は、スキル『道化師』の変化を使った。
鳥に姿を変え、僕は、青い空へと逃げていった。
◇◆◇◆◇
フランは、しばらく呆然と、出入り口を眺めていた。
「ヴァンのやつ、何もわからず、逃げていきましたね〜」
「マルクさん、貴方の入れ知恵じゃないの?」
「まさか、こんな行動に出るとは、俺も予想してなかったですよ。それに、この意味を教えていたら、ヴァンは、こんなことをする勇気はなかったと思いますよ」
マルクの言葉に、フランは大きく頷いている。そして、彼女は、天井近くの像を確認する。
「像を見る限り、フランさんも同意したということですね」
天井近くの神の像は、明るい光を放っている。
「そう、ね。神も祝福してくださっているわ」
「ヴァンは、フランさんに振られたと思ってますよ? さっき、泣きべそをかいていたのが、チラッと見えました」
「はぁ、全く、あの子は……」
そう言いつつも、フランの表情は、明るい。
「神の像の前で求婚し、相手が受け入れ、その二人を神が認めた。いやはや、貴重なものを拝見しました。神の像は、こんなにも強く輝くんですね」
「ええ、そうね。でも、マルクさん、ヴァンには、このことは黙っておいてくださる?」
「はい? なぜですか? 神が二人を認めたのですよ? 今、この瞬間から、ヴァンはフランさんの夫ですよ」
「でも、彼には、そんなつもりはなかったのかもしれないわ」
「はぁ、ほんと、真面目ですね。まぁ、俺から話すより、フランさんから直接話す方がいいでしょう。しばらくは、黙っておきます。でも、妻のフリージアには話しますよ?」
「ありがとう、わかったわ」
◇◆◇◆◇
僕は、自由の町デネブを、奥へ奥へと飛んでいった。
はぁ、やらかした。また、やらかした。もう、これ以上ないというほど、やらかした。
鳥に化けて正解だったな。精霊の森があるためか、とても空気が気持ち良い。
あれ? 海の方から、何かが来る。
僕は、高い木の枝に降りた。
日曜日はお休み。
次回は、10月4日(月)に更新予定です。
よろしくお願いします。




