302、商業の街スピカ 〜カラサギ亭に逃げ込む
嘘だ!
神官様は、ピオンと会っていたとき……クリスティさんにしつこく尋ねられて、ヴァンが好きだって言っていたじゃないか。
僕のことが好きなら、なぜ、暗殺者ピオンと婚約するとか言うんだよ!?
神官様は、僕から目を逸らしたままだ。クリスティさんの方をチラッと見ると、彼女は楽しそうにニヤニヤしている。
そして、僕と目が合うと、何か合図をしてきた。意味がわからない。だけど、クリスティさんは、僕に話をするキッカケを作ってくれたんだよな。
「神官様、それ、本気ですか」
「ええ。私も、もうすぐ21歳、独立が許される歳になるのです。新たな家を立ち上げるにあたって、伴侶がいないということは、いろいろと体裁も悪いのですよ」
体裁? そんなことに、彼女はこだわるのか?
「嘘だ! 神官様は、そんな、貴族や神官家のような、体裁は気にしないでしょう? だから、僕みたいな子供を婚約者だと言っていたじゃないんですか」
思わず、強い口調になってしまった。彼女が一瞬、ビクッとした。えっ……まさか、神官様にまで、僕は怖れられているのか?
「あれは、婚約者のふりをお願いしていたのでしたよね? ヴァンさんが、子供だったから、利用させていただいたの。ごめんなさいね」
話とは裏腹で、神官様は僕の顔を見ようとはしない。美しい笑みを浮かべているけど、その目は僕を映していない。どこか遠くを見ている。
そうか、僕を巻き込みたくないって、あのとき言ってたっけ。僕がピオンとして聞いた話は、しゃべってはいけない。
今なら、彼女の気持ちがわかる。神官家の独立は、ただの潰し合いではない。命を狙われるんだ。おそらく、弱い者が狙われる。僕がその標的にされると感じたんだ。
だから、暗殺者ピオンなら、大丈夫だと考えたのか。
彼女を助けに行ったとき、僕は、魔道具メガネで姿を変え、さらにビードロのような魔物に変化していた。
ビードロじゃなくて、キラーヤークと呼ばれていたっけ。それが、まさかの神獣ヤークの子孫だと勘違いされたんだ。
クリスティさんが、僕をけしかけるような合図をしている。これは……告白しろと言っている?
でも、たくさんの人が近くを通っている。クリスティさんが視線を向けると、誰も近寄ってはこないけど、話は聞こえるよな。
「ねぇ、三人で、何か食べない? 私、お腹が空いてしまったわ」
クリスティさんが場所を変えようと、神官様に提案してくれた。だけど、彼女は、首を横に振っている。
「クリスティさん、ごめんなさい。私は、教会に訪れる人のお世話をしなければならないの。ヴァンさんと二人で行っていらして」
「私が、ヴァンさんと二人でごはんを食べてもいいの?」
クリスティさんは、意味深にニヤニヤしている。だけど、神官様は、やわらかな笑みを浮かべているだけだ。
「ヴァンさんみたいな人は、しっかりと捕まえておかないと、これからは、さらにモテることになりそうよ」
神官様は、何を言っているんだ? まるで、僕をクリスティさんに譲るかのような言い方だ。
「ふぅん、フランさん、私がもらってもいいのね?」
「ヴァンさんは、物じゃないわよ。彼がいいなら、それで良いのだと思うわ」
「へぇ、フランさんは、ピオンの方が好きになっちゃったのかしら? ピオンって、イケメンだもんね」
「私は……外見で判断はしないわ。年齢的にもピオンさんは、私と同じくらいでしょう?」
僕が、神官様より4つ年下だから、ダメだというのか? 外見にこだわらないなら、年齢も……。
クリスティさんが、僕に何かを言えと合図をしてくる。何を言えっていうんだよ。
僕は……。
「神官様、僕は、貴女が好きです! なぜ、僕を突き放すんですか。そんなに、僕は頼りないですか」
「えっ……ヴァンさんのことは尊敬していますよ」
そんな言葉は、聞きたくない!
「なぜ、そんな他人行儀な言い方をするんですか。今までの神官様は、そんな顔はしなかった。なぜ、僕じゃダメなんですか。もうゲナードもいない。僕には有能な従属がいる。だから僕だって、貴女を守ることができます!」
違う、違う、違う! 僕は、こんなことを言いたいわけじゃない。こんな、嫌な言い方……。
「ヴァンさん、言葉遣いは、状況に合わせて変えていくものです。そして、貴方には素晴らしい従属がいる。だから、その力を必要とする多くの家があります。貴方は、まだ16歳です。この先、多くの女性と出会い、恋をするでしょう。私のような、力のないオバサンに縛られる必要はありません」
あぁ……嫌われた。
当然だよな。完全に嫌われた。
僕の目からは、涙があふれてきた。止まらない。まずい、カッコ悪い。
だけど、涙が出てきたことで、神官様がハッとした顔で僕を見てくれた。一瞬、嬉しいと心が浮き立つ。しかし、とんでもなく情けない顔を見られてしまった。
挽回しなければ!
「僕は、成人の儀で初めて会ったときから、神官様に憧れていました。婚約者のフリをすることも、それが本物の婚約者になればいいなと思ってた。だから僕は、一人前の大人になれるよう、派遣執事の仕事も薬師も頑張ってきました。それなのに、僕が頑張ったせいで、離れて行ってしまうなんて、ひどいです。神官様は、ひどいです! 僕は、こんなに貴女のことが好きなのに、神官様も……」
僕のことが好きなんでしょ? 思わず言いそうになってしまった言葉を飲み込んだ。
情けない。情けない、情けない。僕は、びーびー泣いて自分の言いたいことを押し付けているガキだ。
「ヴァン……さん……」
また、さん呼びだ!!
「もう、いいです! 失礼します!」
これ以上、泣き顔を見られたくない。これ以上、情けないガキだとは思われたくない。
そうだよな、僕自身は弱い。従属がいなければ、変化を使わなければ、駆け出しの冒険者より劣る。
しかも、こんな泣き顔をさらして……最低だ。
僕は、クリスティさんに頭を下げ、背を向けた。
「ヴァンさん、フランさんは裏ギルドに、ピオンにこの町の教会に来て欲しいって依頼を出しているよ」
僕が歩き出すと、背後からクリスティさんの声が聞こえた。何なんだよ。僕に、ピオンを演じろと言っているのか?
涙があふれてくる。僕は、ピオンに嫉妬しているのだろうか。ピオンは、僕なのに。僕は、自分が演じていた自分に嫉妬している?
僕は、振り返ることはできなかった。
カベルネ村から、転移屋を使って、僕は、スピカへと移動した。
◇◇◇
カランカラン
「いらっしゃい。あら、珍しいわね、英雄さん」
「その呼び方は、やめてくださいよ。カウンター空いてますか?」
「がら空きよぉ。だけど、変な奴がいるわよ?」
「僕も、変な奴だから、大丈夫です」
「うふふっ、そうねー。どうぞ〜」
僕は、逃げ込むように、カラサギ亭にやってきた。
本当なら、冒険者ギルドへ行くべきだ。新しい町の畑のミッションを依頼しなければならない。だけど、こんな顔では……行けない。
僕がカウンター席に座ると、マスターは、ひょいと手をあげて挨拶をしてくれた。僕は、なんとか必死に笑顔を作った。
マスターは、やはり、僕の異変に気づいてくれた。
何も注文していないのに、エールが出てきた。それを一気に飲み干して、僕は、少し落ち着いてきた。すぐに、お代わりのエールが置かれた。
カウンター席には、一人の若い男がいた。
変な奴がいると聞いていたから、もしかしたらゼクトさんかと期待していたけど、違った。見たことのない人だ。
誰も寄せ付けないような負のオーラを放っている。だけど、今の僕には、その男の雰囲気が逆に落ち着く。
「兄さん、どういう状況だ?」
二杯目のエールを飲み終えると、その男が僕に話しかけてきた。席も、僕の一つ空けた隣に、グラスを持って引っ越してきている。話し相手が欲しいのか。
「僕は……自分が情けなくて……」
マスターや店員さんの視線が、一斉に僕に向いた。すぐに、さりげなく、そらされたけど……。
「何か失敗でもしたか?」
「大失態ですね。もう、どうしたらいいのかわからない」
その男は、同情するように頷いている。彼は、自分の話をしたいんだろうな。
「お兄さんは、どうしたんです? なんだか負のオーラが見えますよ」
そう言うと、その男は、一瞬ムッとしたようだ。でも、こういう場所では、下手に出すぎると、逆に厄介なことになる。
「俺はな、死に場所を探しているんだ」
面倒くさそうな話になりそうだ。
「何か、やらかしたんですか」
「これから、やらかすんだよ」




