296、自由の町デネブ 〜精霊シルフィの救出
『シルフィ、せっかく穴から出られたのに……』
風の妖精ピクシーは、朽ちた大樹にしがみついて、必死に声をかけている。
だが、この大樹に宿る精霊は、巨大な蟲と化し、ピクシーのことを獲物として狙っているかのようだ。
「ピクシーさん、精霊様は蟲になってしまってる……」
『この子はシルフィなのに、穴から出たら、こんなに気持ち悪い姿になってたの。どうして? ねぇ、あんた、薬師なんでしょ。何とか……きゃっ』
巨大な蟲が、シュッと何かを伸ばした。ピクシーは、ギリギリのところで避けている。もう少し遅かったら、串刺しだ。
ギリリ、ギリリッ
『シルフィ、あたしのこと、わかんないの?』
また、巨大な蟲は、シュッと何かを伸ばしてきた。触手だろうか。今度は、ピクシーは、さらりとかわしている。すごい、すばしっこいんだな。
ギリリ、ギリリッ
「ピクシーさん、精霊様は、穴の中で姿が変わってしまったのですか」
『わかんないよ。でも森が焼けたとき、変な獣がシルフィを何かで包んでしまって、そして人間が、シルフィを木の中に閉じ込めて……』
偽神獣が精霊シルフィを喰おうとしたのか。王都の兵が、それを阻止しようとして、大樹に隠したまま放置したということか。
大樹が朽ちたのは、蟲の毒だろう。偽神獣が精霊を捕獲しようとした何かの中で……精霊は死んだのか。そして、その怨みから蟲として生まれ変わった?
『ヴァン、それは違う。シルフィは死んでいない。ただ、妙な何かを取り込んでしまったんだ。助けてやってくれ』
えっ? 精霊ブリリアント様!? あの、どうすれば……。あっ、精霊憑依を使えば?
『今の状態では、どの精霊の力も及ばない。人工的な神獣の影響を取り除かなければ……』
あ、偽神獣の何かに包まれたと、ピクシーさんが言っていました。それを精霊シルフィ様が、吸収してしまったのでしょうか。
『おそらく、その偽神獣が死んだことで、シルフィを覆っていたものが変質したのだろう。精霊の力では不可能だ。ヴァン、何とか助けてやってくれ』
そうか、さっきの邪霊の分解・消滅で、分解されない蟲なんて、おかしいよな。広域回復でも回復しなかった。
この巨大な蟲には、精霊師の技能が全く効かないんだ。
ギリリ、ギリリッ
巨大な蟲は相変わらず、ピクシーを狙って、何かを伸ばしている。だけど、朽ちた大樹からは動けないみたいだ。
僕は、薬師の目を使った。
蟲の体内の状態が、なんだかおかしい。まるで二つの命が同居しているかのようだ。
もしかして……。
ブラビィ! 聞こえる?
お気楽うさぎのブラビィさん!
「あぁ? 何?」
あれ? 普通に声が聞こえる。辺りを見回しても、ブラビィの姿は見えない。
あっ、居た。いつの間にか、僕の腰に、飾りのフリをして黒い毛玉がぶら下がっている。
「いつから、そこにいたの? 気づかなかったよ」
「は? いま、呼んだから来てやったんだ。せっかく、くそ生意気なリースリングの妖精を言い負かしてたのによー」
リースリング村で遊んでいたのか。
「そっか、あのさ、この蟲に、偽神獣が取り憑いてたりしないかな?」
「うん? あぁ、風属性の獣か。復活しやがったのか」
黒い天兎ブラビィは、巨大な蟲に、ぴょこぴょこと近寄っていった。ブラビィが近寄ると、蟲は動きを止めた。
ギギ、ギリッ
「ブラビィ、精霊シルフィ様を助けられる?」
「無理。オレ、精霊の回復なんてできねーから」
「精霊師の技能は、弾かれるんだよ」
「ふぅん、じゃ、毒薬でも使えば? 蟲の内部に精霊が引きこもってる感じだぜ。オレが蟲を割いて、精霊を引っ張り出してもいいが……いや、引っ張り出してる最中に、獣に喰われるか」
「毒薬? 蟲……いや取り憑いている偽神獣に効く?」
「効くように作ればいいだろ。おまえ、新薬作れるだろーが。蟲を傷つけると、精霊だけが傷つくぜ。獣が動けねー状態になったら、オレが精霊を引っ張り出してやるよ」
「わかった、ちょっと待ってて。ブラビィがそこにいれば、ピクシーさんが助かる」
「また、くそ生意気な妖精かよ」
そう言いつつも、ブラビィは、警戒するピクシーをからかうように……なんだか、挑発しているようだ。
僕は、薬草を探しに行かないと!
王宮の魔導士の元へ急ごうと振り返ると、ふわっと草の匂いを感じた。精霊の大樹の近くだからか、神聖な雰囲気だな。あっ、この付近は、薬草だらけだ。
あちこち見回してみると、いろいろな種類の薬草が生えている。さっきの広域回復で、草花は元の状態に戻ったんだ。
だけど、悪霊に効くような特殊な麻痺毒だなんて……普通の薬草からでは無理だ。強い毒薬草か、もしくは超薬草が必要だ。
僕は、スキル『薬師』の薬草のサーチを使った。超薬草か、強い毒薬草……。
「あった!」
虹花草だ! 超薬草だ! これは、調薬の方法によって、その性質が7つに変化する万能薬だ。
それに、諸刃草もある。超薬草だ。これは、熱を加えると毒薬草に変わるんだ。
あとは、いくつかの木の実と薬草を集めた。よし、これならいけるか。
僕は、スキル『薬師』の薬草の改良と、新薬の創造を使った。すべてのモノに効く効用を付与、そして強い麻痺毒……悪霊にも効く麻痺毒……。
「で、できた!」
だが……麻痺毒を、どうやって蟲に使えばいいんだ? 気体化させてしまうと、僕までやられるよな。ピクシーも無事ではすまない。風に乗ると、町に被害が広がる。
気体化しないように、クリーム状に作り替えるか。でも、そうすると、蟲にどうやって塗るか……。
「はぁ、おまえなー。オレがやる。危なっかしくて見てられねーじゃねーか。そんなとんでもない毒薬なんか作ってんじゃねーぞ」
いやいや、ブラビィが作れって言ったじゃないか。
黒い兎は、僕の目の前に浮かべていた麻痺毒を、自分の方へ、ツツーッと引き寄せた。そして、蟲の上へと移動させ、ジャーっとそのままかけてる。
えっ!? ムワッと立ち昇る気体が、木々を枯らしていく。ま、マズイ!
僕は、虹花草から、解毒回復薬を作った。そして、慌てて、空気中に振り撒いた。
「おい、コイツの回復は、それでは無理だぜ」
ブラビィは……堕天使の姿に変わっていた。腕の中には、黄緑色の髪の女性が抱かれている。
「もう、精霊シルフィ様を引っ張り出してくれたの? ありがとう」
「おまえが劇薬を作るからだろーが。オレも、やられたじゃねーか」
「えっ、ごめん」
ブラビィは、精霊を片手で抱いている。蟲の内部から引っ張り出した手が麻痺毒でやられたのか。
ブラビィに、木いちごのエリクサー差し出した。すると、堕天使は口を開けた。手が使えないんだ。口に放り込んだ瞬間、堕天使は複雑な表情を浮かべた。
エサを与えたみたいな状態だもんな。ふふっ、クールな奴には、屈辱なのかもしれない。
「おい、精霊の回復は、知らねーぞ。オレは、あっちを狩る」
そう言うと、堕天使は、精霊を抱きかかえたまま、空いている手に弓矢を出した。そして、そのまま、蟲に向かって、シュッと放り投げた。
すると、蟲からブワンと、何かが出てきた。その次の瞬間、ブラビィの手には黒銀色の剣が現れた。
ギャアァァ!!
堕天使が抱く精霊に飛びかかろうとした悪霊へ、彼は剣を振り下ろした。
悪霊は、真っ二つに切り裂かれ、そのまま蒸発するように消えていった。
腐った大樹には、巨大な蟲がピクピクした状態でひっくり返っている。僕が作った麻痺毒は、悪霊には、一瞬のショック状態にする効果しかなかったみたいだ。
でも、ブラビィは、その一瞬の隙に、精霊シルフィ様を助け出してくれたんだ。
「おい、さっさと回復してやれよ。精霊に触れていると、なんだかイライラしてくるんだよ」
ブラビィは、精霊を地面におろすこともできるのに、堕天使の姿のままで、抱きかかえているんだよね。
ピクシーがブラビィを見て、惚けた顔をしているのが楽しいのかな。
いや、人が集まってきたからか。きゃーきゃーと黄色い声が聞こえる。ブラビィって、騒がれるのが好きだよね。
『ヴァン、ありがとう。私の加護を使っておくれ』
僕の身体が光を放つ。精霊ブリリアント様の加護が強まったんだ。
堕天使がちょっと嫌そうな顔をしているんだよね。今の僕は、ブリリアント様の姿に見えるからかな。
精霊シルフィ様に触れると、僕の身体から光が彼女に吸い込まれていく。彼女は、ゆっくり目を開けた。
『あら、ブリリアント? にしては小さいわね。私は……』
『うっわぁあん! シルフィ!』
妖精ピクシーが、飛び込んできた。




