28、ボックス山脈 〜正方形のゼリー状ポーション
やはり、来るべきじゃなかった。検問所で、あの時、帰ればよかったんだ。僕のせいで、マルクも……。
僕の頬をツゥーッと、涙が流れた。
グォォオ!
目の前の大きな魔物が、雄叫びをあげた。
背後には登れない崖、目の前にはヒョウのような魔物だ。逃げられない。
爺ちゃん、婆ちゃん、ごめんなさい。僕、家に帰れないよ。行き先を言わなかった……嘘をついて出てきて、こんな場所で魔物に喰われて死ぬんだ。きっと、僕が死んだことさえ、爺ちゃんや婆ちゃんにはわからない。ずっと心配させる、ずっと、ずっと……二人の命が尽きるまで、ずっと僕は心配させる……ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい。
僕は、涙が止まらなくなった。
こんなことなら、せめて行き先を言っておけばよかった。僕が死んだことを……誰か知らせて。妖精さん……気づいて! 爺ちゃんと婆ちゃんに、ごめんなさいって伝えて……。
グォォオ〜!
再び、魔物が口を開き……僕は、とっさに目をつぶった。
グォォ〜、グォォオ
あ、れ?
衝撃がこない。ガブリと頭から喰われるかと思ったのに……丸呑みされたのか?
だけど、何かが、何かを掻き分けながら歩く音は鮮明に聞こえる。腹の中ではない。魔物は大きいけど、僕を丸呑みするほどのサイズではない。
恐る恐る目を開けた。
う、うわぁ! な、なんだよ、何体いるんだ? ヒョウのような獣は、十体いや、二十体はいる。
まだ僕が喰われていないのは、エサの取り合いをしているのか。何か、互いに話しているように見える。何を話しているのだろう。誰か、通訳してくれたら……えっ!?
僕の身体が、一瞬ふわっと熱くなった。魔力が流れた?
『人間の子供じゃないのか?』
『この高さを落ちて、生きているんだぜ?』
『純血の人間ではないな。まさか、吸血鬼か』
『吸血鬼が泣くかよ』
『ワシらの言葉も理解できぬようだ。どうする?』
『崖の上に戻ろうとしていたが』
『トカゲのエサになるぞ』
『崖の上に親がいるのではないか』
『泣く子には勝てんな。だが、この崖は登れんだろう』
『ぐるりと山あいを回ってやるか?』
『だが、人間共が撒いた毒が漂っているからな』
『困ったな……』
えっ? な、何、この声?
や、やばい! 僕が、魔物達を見ていることに気づかれてしまった。喰われる、殺される!
グォォオ〜
『子供が怯えているぞ』
『近寄りすぎなんじゃないか』
すると、近くにいた個体が、僕から少し離れた。この声って、魔物の声!? 直接頭に響くような不思議な感覚だ。吠える声も聞こえるけど、不思議な声も聞こえる。だけど、なぜ?
『ほら、やはり近寄りすぎていたんだ』
『泣き止んだようだな』
『どうする? 親とはぐれた子供なら……』
『困ったな、子供だから言葉が理解できないのか』
『いや、人間にはワシらの言葉は理解できないだろう』
『この高さを落ちて平然としているのだ。ただの人間ではない』
ヒョウのような魔物は、数体がウロウロと、僕の前を行き来している。これは、一体……?
この声を信じるとすれば、とりあえず、今すぐ僕を喰うつもりはなさそうだ。何か対処できる技能はなかったかな。
僕は、右手のグローブをめくり、印に触れ、ジョブボードを表示した。
えっ!? 何これ?
◇〜〜◇〜〜〈ジョブボード〉New! ◇〜〜◇
【ジョブ】
『ソムリエ』上級(Lv.1)
●ぶどうの基礎知識
●ワインの基礎知識
●料理マッチングの基礎知識
●テースティングの基礎能力
●サーブの基礎技術
●ぶどうの妖精
●ワインの精
【スキル】
『薬師』超級(Lv.1)
●薬草の知識
●調薬の知識
●薬の調合
●毒薬の調合
●薬師の目
●薬草のサーチ
●薬草の改良
●新薬の創造
『迷い人』中級(Lv.6)New!
●泣く
●道しるべ
『魔獣使い』中級(Lv.1)New!
●友達
●通訳
【注】三年間使用しない技能は削除される。その際、それに相当するレベルが下がる。
【級およびレベルについて】
*下級→中級→上級→超級
レベル10の次のレベルアップ時に昇級する。
下級(Lv.10)→中級(Lv.1)
*超級→極級
それぞれのジョブ・スキルによって昇級条件は異なる。
〜〜◇〜〜◇〜〜◇〜〜◇〜〜◇〜〜◇〜〜
あ! 忘れていたスキルだ。『迷い人』のレベルが5も上がっている。それに、新たなスキル『魔獣使い』?
僕は、それぞれの技能の説明を表示した。
●泣く……道に迷ったときに泣くと、近くにいる者が助けずにいられなくなる、弱い魅了の一種。
●道しるべ……通った道に目印をつける。つけた目印の保存期限は級による。
僕が家に帰れないと泣いたから、泣くという技能が発動したんだ。だから、目の前で口を開けていた魔物に、喰われなかったってこと?
●友達……魔物や獣に、対等であると思わせる。ただし、親しい関係を築けるとは限らない。
●通訳……魔物や獣の言葉が理解できる。話しかけた言葉を相手に理解させるには、従属の技能を合わせて使うことが必要。
あっ、誰かが通訳してくれたら、って思ったから、通訳の技能が発動したのか。だから、急に不思議な声が聞こえるようになった?
そっか、今、僕は二つの技能を使っているんだ。スキル『迷い人』の泣く、そしてスキル『魔獣使い』の通訳か。
でも、いつの間に、新たなスキルを得たのだろう?
ふと足元を見て、僕はその理由がわかった。この崖を滑り落ちたとき、僕はいろいろなものをつかもうとした。そのときに、【スキル】の神矢に触れたんだ。
足元に転がっていた金色の神矢を手に持ったが、矢は消えない。これは【富】の神矢だな。何の富かはわからないけど、僕はとりあえず、魔法袋に入れた。
『天から落ちたゴミを拾ったぞ』
『人間ではないのか? 天の子か?』
『天の子だと無理だな。どうやって天に返せばいいのか』
『泣く子には勝てないが』
もう僕の頬の涙は乾いた。でもまだ、泣くの効果は続いているようだ。この技能の効果が切れたら……喰われるよな。
幸い、別のスキルを得たことで、奴らの声が理解できる。効果が持続しているか、声に注意すればいい。今のうちに、逃げなければ。
僕は、そろりと横に移動した。奴らは僕の動きを目で追っているけど動かない。僕は、崖沿いに駆け出した。どこか登れる場所を探さないと。
『元気なようだな。足が速い』
『早く親に会いたいんじゃないか』
『崖を登る気じゃないか? ワシらでさえ登れないのに』
『子供だから、わかっていないのだろう』
僕が全力で走っても、奴らは、ポーンと跳躍してすぐに追いついてくる。ダメだ、僕を逃す気はないんだ。
もう涙なんて完全に乾いた。まだ、泣く、の技能が発動中なんだろうか。
あっ、青い神矢だ!
崖に生える草に引っかかった青い神矢が光っている。手を伸ばしても、届かない。崖をよじ登り、青い神矢に触れた。
全身をゾクゾクと何かが駆け巡り……僕はバランスを崩して、崖から落下してしまった。
「痛っ!」
足をくじいた……立ち上がれない。
僕は、ぶどうのエリクサーを一粒食べた。うん、ほんとに、よく効く。だけど、足をくじいただけで食べていると、すぐに無くなってしまうよな。
見渡すと、あちこちに薬草が生えている。崖には、特殊な薬草……超薬草も生えている。ポーションを作る方がいいな。エリクサーは、貴重品だ。軽い怪我に使っている場合ではない。
僕は、薬草を摘んで、ポーションを調合した。うん、これは簡単にできる。魔力もほとんど使わない。だけど、瓶入りの液体って、使いにくいな。ぶどうのエリクサーみたいに、魔法袋から取り出してすぐに食べられる方が便利だ。
さらに薬草を摘んで、新薬を創造してみよう。
瓶入りではない回復薬……そうイメージすると、正方形のゼリー状の物ができた。ひとつ食べてみると、身体を何かが駆け巡った。怪我をしていないから効果はわからないけど、弾力があってほのかに甘い。ミントのような後味だ。
うん、こっちの方が使いやすい。僕は、作った二種類のポーションを魔法袋に入れた。
もっと作ろう!
農家の雑草を引き抜く技能を使って、付近の薬草を一気に引き抜き、ゼリー状のポーションをたくさん作った。
『あの子供は何をしているのだ?』
『甘い匂いがするが』
うっ、忘れてた。ゼリー状のポーション作りに夢中になって、派手なことをしてしまった。
そろりと振り返ると、魔物の数は、さっきよりも増えている。ちょ、どうしよう。ポーションに興味を持って襲い掛かってきたら……。
僕は、ゼリー状のポーションを、奴らに放り投げた。




