270、王都シリウス 〜無料宿泊所に戻ってみると
「ちょっと! どうして帰ってきちゃうのよ」
ベーレン家の無料宿泊所の門をくぐると、中庭で何かをしていたクリスティさんに怒鳴られた。
あれ? ピオンに付き添う使用人のフリは、やめたのか? 中庭には、教会の人らしき大人達がたくさんいる。これは、どういう状況なんだろう?
「いつまでも、倉庫にいるわけにはいかないでしょう?」
僕は、ベーレン家の血筋らしきピオンの口調で、彼女に返事をした。だけどクリスティさんは、不機嫌なんだよな。
「せっかく完璧に整えたのに、なぜ、貴方って人は、私の思い通りに動かないのかしら」
クリスティさんは、僕が神官様に、再び告白すると考えていたらしい。僕は、ピオンだとは知られたくないんだ。
そう考えていると、クリスティさんは、頭に手を当てて首を横に振っている。やはり、僕の考えは覗いているんだな。呆れたのだろうか。
「そんなことより、ここで何をしているの?」
僕が、中庭にいた人達に目を移すと、彼らはビクリとしている。うん? あー、魔道具メガネが創り出しているこの顔に、驚いたのか。
クリスティさんは、不機嫌だ。
「別に、貴方の下僕に、何かをしようとしているわけじゃないわよ? ただ、説明していただけよ」
僕の下僕? ここにいる人達は、土ネズミの変異種なのか? 魔獣サーチをしないとわからないけど、見た目では、普通の教会関係者に見える。
「お兄さん、おかえりなさい」
木造の建物の中から、宿泊所の管理人バーバラさんが中庭に出てきた。
「バーバラさん、ただいま。さっきは、ありがとうね」
「いえ……ふふっ」
バーバラさんは、また少女のように照れ笑いをしている。見た目は、年配の女性だけど、実年齢では少女だもんな。
「管理人さん、彼ってば、なぜか戻ってきちゃったわ」
クリスティさんは、めちゃくちゃ不機嫌だ。
「そうですね。私達を心配してくださったのでしょう。ですが、問題はありません。私達は、ベーレン家に逆らうわけではありませんから」
バーバラさんがそう言うと、中庭にいた人達も頷いている。やはりみんな、土ネズミの変異種か。
「これは、何の集まりなの?」
僕が尋ねると、バーバラさんは、チラッとクリスティさんの顔を見た。すると、クリスティさんが不機嫌そうに、口を開く。
「私との契約よ」
「契約?」
「ええ。ちょっと、私だけでは手に負えなくなってきたからね。まさか、貴方が、私と同じモノを追っているとは気づかなかったわ。お気楽うさぎが隠していたみたいね」
クリスティさんの狙い? 神官家の誰かを暗殺したかったんだよな? たぶんアウスレーゼの誰かを。
「お兄さん、私達がベーレン家から命じられている使命も、同じなんです。私達が全滅してでも、殺せと命じられています」
「バーバラさん、それって……」
まさか、ゲナード? 奴が、ベーレン家の一部の人やレピュールを利用して、偽神獣を創らせたんだよな。
堕ちた神獣ゲナードは、この世界を支配しようとしている。偽神獣は、水属性の一体が、人の姿を得てしまった。ゲナードの忠実な配下として……。
もともと闇属性の未完成の偽神獣だった個体は、なぜか僕を気に入ったんだ。僕が奴に変化したからかもしれないけど。
奴は、今では黒い天兎となり、僕の従属に収まっている。いつでも術返しができるみたいだけど、絶対にしないだろうと、ゼクトさんが言っていた。デュラハンも同じことを言ってたっけ。
僕の従属を外れると、奴を黒い毛玉に押し込めた天兎ぷぅちゃんの眷属に戻るらしい。それよりは、僕の従属でいる方が、自由で楽しいみたいだ。
黒い天兎は、僕がレア技能、覇王を得られるように、誘導したみたいだ。僕が、奴に名前をつけ、そして偽神獣の討伐を命じ、奴がそれを受け入れたことで、黒い天兎ブラビィは、堕天使の役割を得たんだ。
堕天使の姿のブラビィは、とんでもなく強かった。三体の偽神獣を一瞬で倒し、水属性の人間の姿を得た偽神獣にも深傷を負わせたんだから。
天兎のぷぅちゃんも、堕ちた神獣ゲナードに、浅くない傷を負わせた。
天兎は、神の神殿に仕える獣人だ。天使も、天兎の成体のひとつの役割だという。神に仕える天兎は、神獣よりも格上なのだそうだ。
いま、ゲナードを倒すことができるのは、戦闘系の成体となった天兎だけだ。僕が知る範囲では、天兎のハンターぷぅちゃんと、黒い天兎の堕天使ブラビィだけだ。
「はい、見た目も気配も、自由に変えられるから、なかなか特定ができないのですが、さっきは、ジル殿と呼ばれていました」
「堕ちた神獣ゲナード、か。ベーレン家の一部の人やレピュールは、奴に操られて、とんでもないものを次々と創り出していますね」
魔道具メガネは、僕をクールすぎる顔に見せている。僕がそう言うと、中庭にいた人達に緊張が走った。
「お兄さん、私達も、その中の一部です……。この世界には存在しないはずの魔物です」
バーバラさんは、小さな声で、そう呟いた。あー、僕の言葉は、彼女達の存在自体を否定するように、聞こえたのか。
「バーバラさん、ごめん。キミ達を批判するつもりで言ったんじゃないよ。創り出した者に責任がある。キミ達は、被害者だよ」
「お兄さん……」
彼女は、嬉しそうな笑みを浮かべた。無邪気な少女のようだな。この姿も、なんとかしてあげたい。今の僕のチカラでは、不可能だけど。
「ピオン、ここの神父は、欲深いけど正常よ。さっき、話をしておいたわ。貴方が、ベーレン家の血筋じゃないと知って、ガッカリしていたけど」
正常? あー、偽神獣や、蟲、妙な精霊イーターには関わっていないということか。
「素性を明かしたんですね」
「私のことはね。ふふっ、真っ青な顔をしていたわ。ピオンのことは話してないけど、裏ギルドの暗殺者だと思ってるみたいよ。裏ギルドにも、ゲナードの討伐依頼は出ているからね」
「なるほど、そうですか」
「あぁ、そうそう、ピオンは、教会には行かない方がいいよ」
クリスティさんは、急に楽しそうな表情を見せた。何? 何か、仕掛けた?
「すべての教会ですか?」
「うふふ、王都の教会はすべてかしら」
「何をしたんですか」
「ええ〜っ? 私を疑ってるの? ひっどぉい。何もしてないわよ〜。事実を教えてあげただけだもの」
事実って、何?
僕が呆れた顔になったのだろうか。この魔道具メガネは、彼女好みの顔に見せている。クリスティさんは、めちゃくちゃ楽しそうなんだよね。
「王都のネズミは、もう使えないよって教えてあげたの。ビビってたわぁ」
「はい? 僕がチカラを使ったのは、あの小さな公園の泥ネズミだけですよ?」
「洗脳系のヤバイ技能って、勝手に拡張していくのよ? おそらく、王都にいる泥ネズミすべてに、効果が広がるわ。土ネズミは、別の妙な信仰心ね。管理人さんの仕業かしら?」
「そんな強い技能じゃないですよ」
やはり、覇王ってヤバすぎる。でも洗脳系じゃないよな?
「別の一族には、効果は弱まるはずなんだけど、別の何かも働いているわね。それが何かは、わかんないけど〜」
クリスティさんは、ニヤニヤしてるんだよね。きっと、その理由もわかっているんだろうな。
すると、管理人バーバラさんが、口を開いた。
「土ネズミが、お兄さんに従うと決めた理由と同じだと思います。いえ、泥ネズミ達はそれ以上でしょう」
「うん?」
「お兄さんが、私達を道具扱いしないからですよ。任務のために無理をしないようにと気遣ってくれる。怪我をしたら、薬をくれる。それに、空を飛びたいお調子者達の願いを叶え、お兄さん自らが技能を使って、遊んでくださる。それを見ていますからね」
あー、甘やかしすぎたのかな? でも、アイツらが、神官様の居場所を教えてくれなかったら、彼女は今頃、殺されていたかもしれない。当然の報酬だと思うんだけど。
バーバラさんは、ニコリと微笑んだ。あっ、考えが見られているんだっけ。
「そっか。でも、キミ達は、諜報活動に専念してほしいよ。彼女との契約は、わからないけど……。奴は……堕ちた神獣ゲナードは、キミ達には倒せない」
「レーモンド様との契約にも、ゲナードの討伐は、入っておりません。私達には倒せないとおっしゃいました」
バーバラさんは、クリスティさんをチラッと見た。クリスティさんは、ニヤニヤしている。
「ゲナードは、人間には討てないのは、わかってきたよ。だけど、ピオンなら何とかできるでしょ」
ちょ、何、その言い方? 僕が天兎かのような、誤解を招くんだけど。




