267、王都シリウス 〜フランが断る理由
黒いネズミ達のじゅうたんが消えると、人型をした土ネズミの変異種が目立つ。
いつの間にか、この倉庫の外にいたはずの5体も、近寄ってきて、僕にひざまずいている。
泥ネズミならまだわかるけど、なぜ、土ネズミが……しかもベーレン家が創り出した変異種が、こんなことをしているのか理解できない。
「お兄さん、この愚かな者達には、姉さんから厳しい叱責がありました」
ベーレン家の無料宿泊所の管理人バーバラさんが、そう説明してくれた。姉さんというのは、魔女三人の中で一番戦闘能力が高い、教会にいる人だっけ。
「叱ったの? あっ、念話かな」
そう尋ねると、バーバラさんはコクリと頷いた。やはり、少女のような仕草だな。見た目は年配の女性だけど。
彼女はまだ、生まれて7年くらいなのに……この姿をなんとかしてあげたい。だが、僕の力では無理だ。『薬師』極級になれば、何かできるようになるだろうか。
「姉さんは、簡単に騙されて他の主人を得た愚かな者達に、目を覚まさせるようなことを言っていました。話し合いをした結果、お兄さんに仕えることに決めたのです」
「えっと、うん?」
全く意味がわからない。僕には、話せないことなのかもしれないが。
「私達は、道具ではなく、生きている魔物です。これまで出会った主人達は、私達の命には関心がなかった。でも、お兄さんは、私達を操る力があるのに、それを使わない。だから私達は、お兄さんのような人を逃してはいけないと考えました」
「別に僕は、大したことなんて、できないよ」
するとバーバラさんは、ふわりと微笑んだ。
「お兄さんの、そういうところが、私達のような魔獣を魅了するのです」
バタバタと、こちらに走ってくる足音が聞こえる。
「クリスティ! 連れてきたよ」
クリスティさんの兄だと言っていたカーバー家の彼が、王宮の兵を引き連れて、戻ってきた。
「おまえ達、わしらは……」
「この者達は、アウスレーゼ家の恥です! 堕ちた精霊に取り憑かれた者の言葉に、耳を傾ける必要はありません!」
神官様にピシャリと言われ、アウスレーゼ家の神官達はうなだれている。憎々しげな表情を浮かべる者もいる。
「きゃはは、恨めしそうな顔をしているオジサンは、もう完全にダメだね〜。神官のジョブが消えちゃうよ。後天的なジョブ無しになるね。うふふふっ」
クリスティさんは、めちゃくちゃ楽しそうだな。
「皆さん、連れて行ってください。あっ、この拘束具って、どうやって外すんだ? クリスティ」
カーバー家の彼に問われて、クリスティさんは不敵な笑みを浮かべた。
「死んだら、外れるわよ」
死ななきゃ外れないってこと?
「レーモンド様、外していただけませんか?」
王宮の兵は、クリスティさんの素性を知っているんだ。
「ここで外したら逃げられるわよ? 貴方達、悪霊に取り憑かれた神官を、王都に放ちたいのかしら?」
クリスティさんの言葉に、王宮の兵は、ぶるっと身震いする人もいた。悪霊に取り憑かれた神官が、どういう災いを起こすのかなんて知らない。だけど、彼らの反応を見る限り、かなりマズイんだろうな。
「ですが……」
「じゃあ、そのうち、王宮に外しに行ってあげるわ。国王様とは、最近会ってないから、そろそろ遊びに行こうと思っていたの」
クリスティさんが、国王様のところに遊びに行く!? 彼女は、一体、どういう人なんだ? 暗殺貴族の当主って、影に隠れている存在かと思っていたけど。
「かしこまりました! そのように、お伝えいたします」
王宮の兵達は、アウスレーゼ家の神官達を連れて、倉庫から出て行った。
「クリスティ、意地悪しないで、今、外してあげればよかったじゃないか」
彼女の兄だというカーバー家の彼は、文句を言っている。親しそうだよな。暗殺貴族である彼女に、文句を言うなんて、普通の関係では無理だと思う。
するとクリスティさんは、チラッと僕の顔を見た。
「ピオン、こいつは、ただ、バカなだけよ。また、私の兄貴だとか言ってたんでしょ? ただの幼馴染だよ」
「へぇ、そうなんですね。だから親しそうなんだ」
「あら? やきもちかしらぁ?」
「いえ、別に」
「ふふっ、そういうとこって嫌いだわぁ。ピオンは、お世辞とか言わないんだもの」
クリスティさんに嫌いだと言われると、命の危険を感じる。だけど、彼女は言葉とは逆で、機嫌が良さそうだ。
彼女は、僕のことをチラッと見た後、神官様の方を向いた。ちょ、また、変なことを言う気じゃないだろうな。
「フランさん、気が変わったんじゃない? ピオンが、ネズミ達を従えてしまったのには、私も驚いたもの。きっと、まだまだピオンに従うネズミは増えるわよ」
「そうね。ピオンさんがその気になれば、魔獣を使って、神官家も貴族も、思うように操れてしまいそうね」
はい? そんなことできるわけないじゃないか。
「フランさんが独立する上で、これ以上ない夫になると思うわよ?」
また、その話? 神官様が困っているじゃないか。
「クリスティさん、私ね、婚約者がいるの」
えっ!? 新たな婚約者が見つかったのか……。そっか。そうなんだ。僕は、ガンと頭を強打されたようなショックを受けた。だから、僕のことは、いらないんだな。
ファシルド家で、婚約はなかったことにすると言われたときのことが、鮮明によみがえってきた。彼女は、淡々と、事務的な感じで、僕との話をなかったことにすると言った。
まぁ、でも、実際には、婚約者ではない。婚約者のフリをしていただけなんだ。だから、その婚約者のフリをやめると言われただけだ。
「フランさん、私、暗殺貴族レーモンド家の当主だよ?」
「……そうね」
「婚約者はいないでしょう? ピオンにしておきなさいよ」
僕は、複雑な気分だった。クリスティさんの言葉に、思いっきり振り回されている自分が情けない。
「クリスティさん、ごめんなさい。それは、できないわ」
「ピオンが暗殺者でも、気にしないって言わなかった?」
「私は、ジョブに偏見は持たないわ」
すると、クリスティさんは、楽しそうに笑った。何、それ? 悪いことを考えてる顔だよな。
「じゃあ、ピオンが嫌い?」
すると、神官様は、パッと僕の方を見た。不意打ちのように目が合う。思わず、ドキッと心臓が悲鳴をあげた。
「ピオンさん、私が失礼なことはわかっています。そのことについては、お詫びします」
僕は、首を傾げた。神官様が何を言っているのか、理解できない。あー、目の前で、断っているからか?
「別に、ピオンがフランさんに、求婚しているわけじゃないんだし。私が、二人をくっつけたら楽しそうだなって思ったのよ」
「えー、クリスティさん……」
おい! クリスティ! 思わず、僕は心の中で、彼女を呼び捨てにした。クリスティさんは、ニッと笑ってる。はぁ、この人、小悪魔すぎるんじゃないか?
「フランさん、理由を聞かせてよ。じゃないと、納得できないわ。そうよね? ピオン」
ちょ、こっちに話を振らないでくれ。僕は、あいまいな笑みを浮かべておいた。
「そうですよね。お話します……」
そう言いつつ、神官様は、バーバラさんや、他の土ネズミを気にしているようだ。土ネズミは、僕、ピオンに従うと言ったけど、もともとは、ベーレン家が創り出したからかな。
「土ネズミなら、大丈夫よ。ピオンにしか報告しないわ」
クリスティさんがそう言うと、神官様は頷いた。
だけど、しばらくの沈黙が流れた。頭の中を整理しているかのような沈黙だ。彼女は、誠実に、本当の気持ちを話すつもりみたいだ。
クリスティさんが、他人の頭の中を覗く技能があることを、わかっているからだろう。
僕は、この沈黙時間を長く感じた。
やがて、神官様は覚悟を決めたように、口を開いた。
「私ね、たぶん、好きな人がいるみたいなんです」
僕は、また、頭を強打したような気分になった。だけど、魔道具メガネは、僕のそんな動揺も隠してくれる。
「たぶん、ってどういうこと?」
クリスティさんは、すかさず、質問している。
「うーん、自分でも気付かなかったから、かな」
「どんな人? 貴族? 神官家?」
クリスティさんは楽しそうだよね。
「普通の子よ。何の地位もない。だけど、不思議な力があるの。一緒にいると、私は、ありのままの自分でいられる」
「不思議な力って、何かあったの?」
「ええ。絶対に無理だと思っていたことを、彼は、やり遂げてしまったの。私にはない力だわ。悔しいけど、尊敬もしている」
僕は、絶望的な気持ちに、押し潰されそうになっていた。




