263、王都シリウス 〜地下の倉庫へ
「ありがとう。俺は、妹……クリスティを捜したいんだ。あんたと何かの仕事をすると聞いていたが、それはもう終わったのか」
王宮の兵であり、この老舗宿の警備を頼まれることもあるという彼は、やはり余裕のない表情をしている。
だけど、この人は、おそらくクリスティさんのお兄さんではない。暗殺貴族に生まれた人なら、僕なんかに頼るわけがないんだから。
裏ギルドの話はできないな。
「仕事? あぁ、例のクスリの密売ですか」
僕がそう言うと、彼は、ハッとした表情を浮かべた。感情を隠せない人なんだな。絶対に暗殺貴族ではないと確信できた。
「あんた、まさか、あのエリクサーを王都に持ち込んだ闇市の商人か。アレのせいで、多くの死人がでているぞ」
えっ……。あー、そういえば、カラサギ亭で、薄めた木いちごのエリクサーの話を聞いたっけ。金を生むエリクサーだから、いざこざが多いのか。
ドルチェ家は、王都で、普通に販売しているみたいだけどな。絶対数が少ないから、奪い合いになっているのだろう。
アレを作っている僕としては、複雑な気分だ。人を救うためのエリクサーなのに。
「いや、すまない。気分を悪くしないでくれ。アレで助けられた人も多いんだ。ただ、性能が良すぎる薬は、王都では金儲けに使う奴らが多くて……」
僕が無言になったことで、彼は焦っている。演技には見えない。彼は、本気でピオンを頼っている。
「僕は、ここに、人に会いに来たんですけどね」
とりあえず、クリスティさんとは無関係を装っておこう。従業員の目もある。さっき、僕が魔獣サーチを使ったことは、カフェスペースだけではなく、ロビーの黒服も気づいているだろう。やたらと視線を感じる。
「頼むよ。金なら、可能な限り用意する」
僕が闇市の商人だと思って、金で雇おうということか。まぁ、スピカで闇市をやってるから、闇市の商人とも言えるんだけど。
新たな魔獣サーチの情報が届いた。うわっ、なんだ、これ? 泥ネズミ達が言っていたのはこれか。
土ネズミの変異種が10体。そして、泥ネズミが12体。この泥ネズミは、僕が覇王を使った奴らとは別の泥ネズミだ。
コイツらが、追加で派遣されたんだな。奴らは、地下に隠れていた土ネズミ変異種5体がいる方へ向かっている。
時間がない!
「また、ネズミが増えたみたいですよ。地下に何かある。クリスティさんの姿は確認できませんが……」
「じゃあ、地下の倉庫へ行こう! あんた、同行してくれるよな?」
「ですが、一般人は入れないのでは?」
「カフェスペースの厨房から、地下に降りる階段がある。外にも納品業者用の出入り口はあるが、基本、施錠されているんだよ」
彼は、勢いよく立ち上がった。
僕は、ただの待ち合わせを装っているから、困ったような顔をして、あたりを見回した。
「どうなさいました?」
カフェスペースの制服を着た人が、慌てて駆け寄ってきた。それほど、彼は焦った顔をしているんだ。
「ちょっと、地下の倉庫を見せてもらう」
彼は、カフェスペースの厨房へと進んでいく。
「えっ? それは、困ります」
従業員は、僕に助けを求めるような視線を向けた。どうしようか。怪しまれたら終わりだ。この店で食事をしている土ネズミは、監視係だろうからな。
土ネズミは、念話を使う。怪しまれたら、僕達がたどり着く前に、対策されてしまう。
「いいから、兄さん、早く行こう」
彼は、強引に突破しようとしている。だけど、無理だ。客のフリをする土ネズミだけでなく、数人が警戒色に染まっている。事情を知る協力者か。
何か、理由が必要だな。
あー、そうだ。いいことを思いついた。
「僕をこの席に案内してくれた黒服を呼んでもらえませんかね」
カフェスペースの制服を着た従業員に、そう依頼した。紅茶の件を怒っていると気づいたらしく、すぐにロビーへと、すっ飛んでいった。
すぐに、笑顔をはり付けた黒服がやってきた。へぇ、やはり、警戒色だな。この人も、地下に何があることを知っている。
「旦那様、先程は、湿気を帯びた茶葉を使ってしまったようでして、大変失礼致しました」
黒服は、洗練された仕草で、丁寧に謝罪をしている。つい、許してしまいそうな気になる。
あっ、もしかして、これは、この黒服のスキルか。だとすると、彼はその効果に絶対的な自信を持っているだろう。ふふっ、その油断を利用しようか。
「副支配人さんだそうですね。僕が田舎者だと思って、試したのかな」
「いえ、とんでもございません。不愉快な思いをさせてしまいまして、大変申し訳ありません」
じゃあ、もういいよと言いそうになる。何の技能だろう? 黒服にとっては、ある意味、無敵じゃないか。
「さっき、窓際から、女性の悲鳴が聞こえたのですが、お気づきですか? 僕は、癖で、すぐにサーチを使ってしまうんだけどね」
「いえ、少しバタバタしておりまして。サーチというのは?」
「魔獣サーチですよ。こないだ神矢で得たスキルだから、つい使いたくなってしまってね」
そう言うと、何人かの警戒色がやわらいだ。神矢では、超級までしか得られない。超級と極級では、技能の精度や効果に大きな差がある。
クリスティさんの兄だと言っていた彼は、何かを言いそうになって口を閉ざした。この人、素直すぎるよな。
「ネズミでもいましたか」
黒服がそう尋ねた。土ネズミは、どこにでもいる。だけど、泥ネズミは水辺にしかいないんだよな。街の中にいる泥ネズミは、従属化されていて、諜報活動中だ。
「ええ、女性の近くにネズミがいたようです。でも、地下にもネズミがいるみたいですよ? 地下は倉庫だと聞きました。僕が飲んだ紅茶は、地下倉庫での管理状況がマズイのではないですか」
「いえ、倉庫は、完全な結界に守られておりますから……」
ふっ、失言だと気づいたか。黒服は、途中で言葉をのみ込んだ。
「ふぅん、結界ですか。サーチを通さないような?」
すかさず僕が、意地の悪い表情を浮かべて尋ねると、黒服の瞳がわずかに揺れた。注意していなければわからない、かすかな動揺だ。
「どうでしょう。私は、あまり詳しくはございませんので」
ジッと顔を見ていると、黒服は、またわずかに瞳が揺れた。魔道具メガネを通して見ると、やはり何かの効果を与えるのかな。
「待ち合わせの彼女と連絡が取れないんですよ。地下に入り込んでしまったかもしれません。好奇心の強い人なので……。確認しに行きたいのですが、同行していただけますか」
「地下に、一般のお客様が、迷い込んでしまうことはございません」
「彼女は、冒険者をしていましてね。魔道具も持っているみたいなんですよね」
すると、カフェスペースの制服を着た男性が声をかけてきた。
「そういえば、外の鍵が外れていました。今はもう施錠してありますが、昨夜の納品業者が、鍵を閉め忘れたようです」
うん? なんだか、違和感を感じる。この人も、魔道具メガネでは、感情の色がわからない。地下から土ネズミが上がってきたのか。
もう魔獣サーチの効果は切れている。再び使うのもマズイか。
「では、地下へどうぞ。もしかして、出られなくなってお困りかもしれませんね。私は、同行は申し訳ないのですが……」
「それなら、俺が行きますよ。ちょうど倉庫に用事があります」
声をかけてきた魔道具メガネのサーチを弾く従業員は、そう言うと、僕を手招きした。当然のように、クリスティさんの兄だと言う彼も、ついてくる。
おそらく、地下で、待ち構えられているよな。
厨房の階段を降りていくと、白い壁の細長い空間が広がっていた。食材だけでなく、いろいろな物が並んでいる。
「クリスティ! いるかー?」
従業員は、怪訝な顔をしている。僕が待ち合わせをしている女性を捜すという理由で、地下へ来たのに、なぜか、彼が、必死に名前を叫んでいるんだもんな。
「旦那様が、お捜しの方は、こちらの男性とお知り合いなのですか」
従業員がそう言ったことで、彼はハッとした顔をしている。この地下には、土ネズミが隠れている。嘘は、バレるか。
「彼は、妹さんを捜しているそうです。妹さんとは、僕は商売上の付き合いがありますから、顔は知っていますが。僕が捜してしているのは、別の女性ですよ」
「そうでしたか。でも、人は居ないみたいですね」
ふぅん、今ならまだ引き返すこともできそうだな。僕達が何かを見つけたら、土ネズミ達が襲ってくるのか。
倉庫内を歩いてみたが、誰も居ないみたいだ。
あれ? さっきとは、なんだか違う?




