262、王都シリウス 〜神官家御用達の老舗宿
扉の先は、僕にはあまりにも場違いな、高級感あふれる広いロビーになっていた。格式の高い老舗の宿なのだろう。
にこやかな笑顔の黒服が近寄ってきた。
今の僕は、魔道具メガネによって、貴族っぽい雰囲気に見えているはずだ。焦る必要はない。
「おはようございます。ご宿泊でしょうか」
とても洗練された丁寧な動き。媚びることもなく当然見下すこともない、自然な笑顔。ほとんどの客に良い印象を与えるだろう。完璧な接客だな。
「いえ、知人と待ち合わせを」
「屋上のレストランですね。ご案内致します」
違う。泥ネズミ達は、地下だと言っていた。だが、地下へ通じる階段はなさそうだ。外からしか行けないのだろうか。
「場所は決めていないんだけど、屋上ではないと思うんだ。高い所は苦手な人だから。ここで待たせてもらってもいいかな」
「かしこまりました。そちらのカフェスペースをご利用ください」
黒服は、にこやかに、僕を誘導する。
確か、こういう場所では、貴族はチップを渡すんだよな。マルクに教えてもらったことがある。だけど金額がわからない。
『普通なら、銅貨10枚程度だな。だが独立志望の貴族は、その10倍を渡して、自分を印象付けるみたいだぜ』
デュラハンさん! じゃあ、僕は……。
「こちらの席でよろしいですか?」
げっ、もう時間切れだ。迷っている暇はない。僕は、銀貨1枚を魔法袋から取り出した。
「ありがとう。温かい紅茶を用意してもらえたら嬉しいな」
僕は、そう言って、黒服に銀貨1枚を渡した。
「かしこまりました。直ちに、ご用意致します」
彼は丁寧に頭を下げて、離れていった。銀貨1枚に驚く様子はない。これで正解だったみたいだ。
いやいや、ちょっと待て。今の僕は、ゆっくり紅茶を飲んでいる場合ではない!
だが、地下の情報が必要だ。地下にも店があるなら、さっき黒服は、そのことを話しただろう。話さないということは、気軽に入れる場所ではない可能性が高い。
カフェスペースを見回してみると、朝食を食べる人達で、席は半分ほど埋まっている。
魔道具メガネは、彼らを様々な色に染めている。僕が目を向けると、急に敵視するような色に変わった人がいた。あぁ、視線を向けると、サーチされているとわかるんだっけ。
感情しかわからないのに、能力サーチをされていると感じるんだよな。気分を害するのは当然だ。
すぐに紅茶が運ばれてきた。カフェスペースの制服を着た人ではなく、さっきの黒服だ。
「お待たせ致しました」
「ありがとう。とても丁寧な所作だね」
僕は思わず、そう言ってしまった。黒服の動きは、とても僕には真似できないほど、優雅で洗練されている。
「恐れ入ります。旦那様、お差し支えなければ、お待ち合わせの方の特徴を教えていただければと存じます」
ここに案内しようという配慮だな。
「女性なんだ。特徴かぁ……僕は、素敵な人だと思っているんだけどね」
僕がそう言うと、黒服は笑顔で頷いた。
「旦那様をお探しの素敵な女性がいらっしゃいましたら、こちらへご案内致します」
僕は、やわらかな笑顔を返しておいた。
しかし、どうしよう。早く地下へ移動したい。でも、地下への階段が見当たらなかったよな。何か、地下へ行けるキッカケを探さなければ。
とりあえず、紅茶を一口飲んでみた。うん? イマイチだな。高級感あふれる雰囲気から、期待しすぎたのか。
「お兄さん、見ない顔だね」
さっき敵意を向けていた人が、僕の席にやってきた。ちょうどいい。でも、いきなり地下の話をするのはおかしいか。えーっと……。
「王都には初めて来ましたからね。ちょっと教えていただきたいのですが……」
僕は、少し声のトーンを落とした。
「なんだい? 面倒ごとならお断りだ」
「あの、今の黒服なんですが……」
「うん? あぁ、副支配人か。どうした?」
えっ、そんなに偉い人?
「とても優れた黒服だと感じたんですが……」
僕は、紅茶のカップを見つめた。
「何? 毒でも盛られたか」
「いえ、この紅茶がイマイチだと思いましてね。僕が田舎者だからと、なめられたのでしょうか」
すると、彼は僕の横の席に座った。そして、何かの術を使っているようだ。
「へぇ、よく見抜いたな。これは、安い紅茶に、上質な香りをつけた物のようだ。初めての客は、試しているんだろう。ちょっと、待ってろ」
そう言うと、彼はカフェの制服を着た人に、紅茶の文句を言ってくれた。すると、すぐに新しい紅茶が運ばれてきた。うん、これは、とても美味しい。
「チップを渡さなかったから、意地悪されたのかもな」
「いえ、渡しましたが」
「じゃあ、多すぎたんだろ。厄介な客なのか、ただの世間知らずかを試したのだろう」
「趣味悪いですね」
「あはは、全くだ。ここは、神官家御用達の老舗宿だからな。いろいろな意味で、趣味が悪い」
彼は、この宿の警備をしている王宮の兵だという。
王宮の兵が、宿の警備なんてするのか? この話し方から考えても、ただの兵ではないだろうな。おそらく彼は、有力な貴族だ。
僕は不覚にも、王宮という言葉に、ギクリと反応してしまった。ついつい、ノレア様を思い浮かべてしまう。
「王宮に、何かあるのか?」
「いえ、まぁ、強いて言えば、顔を合わせたくない人がいる程度です。王宮には、行ったこともありませんし」
すると、彼はニヤッと笑った。王宮の兵だと言っていたのに、王宮のことはあまりよく思っていないのか。
きゃっ!
少し離れた場所で、悲鳴が上がった。チャンス到来だ。
僕は、スキル『魔獣使い』の魔獣サーチを使った。泥ネズミ達は、土ネズミがたくさん地下にいると言っていた。魔道具メガネは通用しなくても、魔獣サーチは効くはずだ。
たくさんの情報が流れ込んでくる。
地下に意識を向けると、魔獣がいる付近の光景も見える。だけど、神官様やクリスティさんの姿は見えない。まだ、遭遇していないんだな。
土ネズミは、普通の個体があちこちに10体程度、さらに、変異種が5体、何かに隠れているようだ。コイツらは、公園で会った奴らか、もしくは同じタイプだ。知能は人間以下だが、物理戦闘力が高い。
このカフェスペースにも、土ネズミが3体ほどいる。いや、5体だ。人型の変異種が2体、客のフリをしている。
客の土ネズミは、魔道具メガネでも感情がわかる。地下にいる奴らよりも圧倒的に弱いな。
土ネズミはベーレン家が使っているんだよな。変異種の一部は、アウスレーゼ家みたいだけど。
「こんな場所で、今度は魔獣サーチか」
「あっ、すみません。悲鳴が聞こえたから、ネズミかと思って。不快でしたね。昨日も、宿で叱られてしまいました」
「兄さん、訳ありか。いや、何も言わなくていい。俺も、少し訳ありでな。サーチ結果を教えてくれないか?」
「土ネズミが、わりといるようですね」
「まぁ、どこにでも湧いてくるからな。特殊な個体はいないか?」
「はい?」
「あー、いや、忘れてくれ。俺の仕事だ」
何の仕事だろう? この宿の警備なら、彼を上手く利用すれば、地下へ移動できるか。
「ここに2体、地下には戦闘力の高いタイプが5体。ここにいる2体は、普通に食事をしています。地下の5体は、隠れている。ちょっと気になります」
すると彼は、僕の顔をパッと見た。
「あんた、ピオンか」
「ピオン?」
「とぼけないでくれ。探しに行こうと思っていた。俺の……妹と連絡がつかなくなったんだ」
「妹さん?」
「あ、あぁ。この付近で、消えたんだ」
彼の表情には余裕がない。なぜ、ピオンを探しているんだ? 暗殺者だろうか。
「さっき貴方は、この宿で警備をしている王宮の兵だと言っていましたよね? どれが嘘なのでしょう」
「チッ! あんた、洗脳系のヤバイやつ持ってんだろ?」
うん? クリスティさんが宿で言っていたことだ。無料宿泊所の関係者か。
僕が黙っていると、彼は、ふーっとため息をついた。
「王宮の兵は、事実だ。この宿の警備を頼まれることもよくある。だが今は、その仕事中ではない」
「ですよね。警備をしている人が、カフェスペースで食事をしているのもおかしな話です」
「で? 妹は……クリスティはどこにいる?」
えっ? クリスティさんのお兄さん? いやいや、おかしい。暗殺貴族に生まれた人なら、僕に頼らなくても、いくらでも捜す手段はあるはずだ。
「彼女にお兄さんがいるなんて、聞いたことがありませんよ」
僕は、冷たく言い放った。だけどこれは、僕がピオンだと認めたことになるだろうな。
すると、彼は、フッと笑った。




