245、商業の街スピカ 〜すれ違うふたり
立ち上がった僕に、黒服やメイド見習いの子達の驚きと戸惑いの視線が突き刺さる。僕の頬を涙が流れた。最悪だ。
「ヴァン、座りなさい。貴方、全然成長しないわね」
呆れ顔の神官様……。彼女の前で涙を見せてしまったのは、二度目だ。なぜ、涙が出てくるんだよ。僕は、自分自身に苛立ち、抑え切れない感情に困惑していた。
はぁ……もう、いいや。
神官様の隣に座る奥様も、目を見開いている。バトラーさんは、居心地が悪そうだ。
いまさら取り繕うには遅すぎる。はぁ、格好悪い。でも、もういいや。言いたいことを言ってしまおう。
彼女は独立して、新たな神官家の当主となる。そうなると神官様とは、もう会うことがないかもしれないんだから。
「フラン様、この際だから、言っておきます!」
「何? 座りなさいって言ってるでしょ」
僕は、素直に座る気になれない。
「僕は、貴女のおもちゃじゃない! 僕は、一人の人間です。それに、もう成人の儀から三年経ちました。フラン様と初めて会ってから三年経ちました」
彼女は、片眉をあげた。その表情は読めない。怒っただろうか。
「だから、何?」
「僕は、神官家のことも貴族のことも、知識としては知っていても、理解できません。僕にとって、結婚というのは、事務的に決めることじゃなくて、損得で決めることでもなくて……」
だめだ……涙が止まらない。何を言ってるんだよ。僕が言いたいことは、こんなことじゃない。
「そう、じゃあ、いいわ。婚約の話はなかったことにしましょう」
えっ……。そんなにあっさり?
神官様は、立ち上がり、バトラーさんに笑みを見せた。
「バトラーさん、貴方が証人ね。わざわざ、この場所を提供してくださってありがとう」
「フラン様、まだ、ヴァンくんの話は……」
「いいのよ。この子は……」
彼女は、何か言いかけた言葉を飲み込んだ。そして、僕の方をチラッと見て微笑み、スッと部屋を出て行った。
いつもとは違う上品な微笑みに、僕は突き放されたかのようなショックを受けた。引き止めるべきだったのかもしれない。だけど、僕は、何も言えなくなったんだ。
「ヴァンくん、あの……」
しばらく呆然としていると、バトラーさんが気遣うような優しい声をかけてくれた。いけない。ここは、黒服やメイド見習いの子達の練習場だ。
「バトラーさん、すみません。僕は、仕事に戻りますね」
「いや、ヴァンくん、今日はもう大丈夫ですよ。それに、フラン様があんなことをおっしゃるのは、キミを巻き込みたくないのかもしれません」
「優しい言葉をありがとうございます。大丈夫です。僕は……ずっと、僕の片想いだと、わかっていますから」
「えっ? ヴァンくん、それは……」
さらに言葉を探してくれるバトラーさんの優しさに、また涙が出てきそうになった。はぁ、情けない。
「では、僕は、今日はこれで失礼しますね」
なんとか笑顔をつくり、僕は部屋を出て行った。
そして、スキル『道化師』の変化を使って鳥に姿を変え、ファシルド家を後にした。
◇◆◇◆◇
「バトラー、なんなの? あの二人」
残された奥様が、面白そうに問いかけた。
「ベルベット奥様、おそらくフラン様は、こうなることを予測して、奥様や私を同席させられたのかと……」
「まさかとは思うけど……あの子、フランのことが好きなの? フランが一方的に、あの子に固執しているのだとばかり思っていたわ」
「片想いだと、ヴァンくんは言っていましたねぇ」
「それが、どうして婚約解消って話になってしまうのかしら? ちょっと、面白すぎるんだけど」
彼女は、ケラケラと笑っている。
「フラン様がいろいろと方針転換をされたのも、ヴァンくんの影響なのでしょうが……」
「そうね。独立する際に、王宮や有力貴族の伴侶を得ないと言い出したときには、驚いたけど……。それに、使用人も、使われる側に選ばせるとか、訳の分からないことを言っていたわよね?」
「ええ、だから、この場所を提供しました」
壁沿いには、黒服やメイド見習いの子達が並んでいる。彼らは、この話を聞き、驚きの表情を浮かべている。
「フランは、自分に自信がありすぎるのかと危惧していたけど、どうやら逆みたいね。裏切られることが怖いんだわ。今や、有名すぎる薬師であり精霊師の彼と結婚すれば、一気に揺るぎない地位を得られるはずなのに」
ベルベットは、ため息まじりに呟いた。
「奥様は、フラン様が幼少の頃から親しくされているから、よくお分かりになるのですね」
「歳もそれほど変わらないからね。私は、フランの姉のつもりでいるわ。あの子に神官のジョブが現れなければ、今頃は、ここで穏やかに過ごせていたのにね」
ベルベットは、昔を懐かしむような遠い目をしている。そして、何かを切り替えるように首を振った。
「はぁ、私が何とかしてあげないといけないわね。世話のかかる妹だわ。バトラーも協力しなさいよ」
「はい、奥様、よろこんで」
◇◆◇◆◇
僕は、繁華街のカラサギ亭の扉を開けた。
「いらっしゃい。あら、黒服?」
「仕事終わりなんで……カウンター空いてます?」
「空いてるわよぉ。どうぞ〜」
顔馴染みの店員さんが、カウンターへと案内してくれた。だけど、いつもとは雰囲気が違う。必要以上のことは何も話しかけてこない。
席に座ると、すぐにエールが出てきた。うん? マスターも、無言だ。僕は、エールを一気に飲み干した。ふぅ……。
カウンターの他の客が僕に気づいた。絡まれたくないなと思っていたら、マスターがその客を制している。うん?
エールのおかわりと、小皿料理が出てきた。いつもとは、対応が違う。僕は、小皿の料理を突き、ふぅ〜っとため息をついた。
誰も話しかけてこないのは、僕が暗い雰囲気を漂わせているからだろうか。飲み屋だから、敏感に察してくれるのかもしれない。
ふと、マスターと目が合った。彼は無言で軽く頷いた。もしかして、僕の考えていることがわかるのかな。放っておいてくれるのは、今の僕にはありがたかった。
「ヴァンさん、みっけ! どうしたのぉ? 暗いよ〜?」
隣に、派手な女性が座った。誰だっけ?
「えーっと?」
「わかんない? あ、認識阻害を発動中だっけ」
彼女は、何かの術を使ったらしい。すると、姿が違って見える。王都の暗殺貴族レーモンド家のクリスティさんだ。
「げっ、クリスティさん。まさか、僕の暗殺ですか」
僕が身構えると、彼女は楽しそうに笑った。
「ふふっ、ヴァンさんは人気者だもんね。裏では、人気ベスト10に入ってるよ。私は、そんな無駄なことはしないけど」
「最近は、裏ギルドには行ってませんけど、僕の暗殺依頼が出ているんですね」
「うん、たくさん出てるよ。でも受注しても、ヴァンさんには、たどり着けないみたい」
「僕の居場所がわからないんですか」
「キミの従属が怖いからねー。それに、私のサーチさえ弾くその技能って何かな? あんな従属を従えちゃってるってことは、ぶっ壊れ技能でしょ?」
うっ、覇王のことか。
「さぁ? 大した技能はないですよ。僕は弱いですし」
「ふふっ、ヴァンさんのそういうとこって、大好き〜」
なんだろう? クリスティさんのハイテンション。
彼女が認識阻害を外すと、マスターがギクリとしていた。近くの客の視線も集まる。
「クリスティさん、僕を捜しに来たんですか」
理由はない。何となくの直感だった。
「あら、うふふ、バレちゃったぁ? そのサーチを弾く技能は、人の心を覗く系かしら」
レア技能を知りたがるんだな。
「さぁ、どうでしょう」
「ヴァンさん、婚約解消したんでしょ? 私にしておきなさいよ」
はい?
「クリスティさん、何を突然……」
「あはは、やーね。冗談よぉ。でも、ヴァンさんは私の条件、ぜんぶ満たしてるのよ? まぁ、ウブすぎる点はマイナスだわね〜」
はぁ、こんなお気楽な話に付き合う気にはなれない。どうやって追い払おうか。いや、帰ろうかな。
「マスター、僕、そろそろ……」
「ヴァンさん、ちょっと待って。話があるの」
クリスティさんの話し方が変わった。思わず、ヒヤリとする声に、動きを止められた。何かの技能だろうか。
「おい、こんな場所で、暗殺者の技能を使うなよ」
マスターが軽く注意をしている。クリスティさんは、おどけた笑顔だ。
「何の話ですか」
「うふふ、ちょっと、ベルベットから伝言を頼まれちゃったの」
「ベルベットさん? えーっと?」
「ファシルド家で、さっき会ったでしょ? このままだと、貴方の元婚約者は、21歳の誕生日を迎えられないみたいよ」
皆様、いつも読んでいただきありがとうございます♪
本日より、新作始めました。
『カクテル風味のポーションを〜魔道具「リュック」を背負って行商する〜』の続編ですが、初めて読んでいただいても、わかるように書いていきます。
ただ、本日分だけだと、イマイチわかりにくいかも(*゜・゜)
3話目くらいには、雰囲気がわかるかと思います♪
よろしくお願いします。




