244、商業の街スピカ 〜専属執事の休憩室にて
僕は、ファシルド家の旦那様に、精霊憑依を使って見てきたことを簡単に説明した。バトラーさんや、フロリスちゃんの担当黒服も、僕の話をジッと聞いている。
ただ、僕が切り札を持つという話は隠しておいた。切り札というのは、黒い兎ブラビィのことだろう。
あの日、スピカの街に現れた堕天使は、天から降りてきたと思っている人が多い。僕との関わりを知っているのは、ごくわずかだ。
おそらく天兎のぷぅちゃんも、堕ちた神獣ゲナードやその配下を討つことができるだろう。だけど奴は、フロリスちゃんを守ることしか考えていないもんな。
「そうか、各地で新たな精霊が生まれているのか。数ヶ月前に傷ついた大地が、ようやく正常な状態に戻り始めたのだな」
旦那様は、大きく頷いている。
「だが、それならレピュールは、どう動くだろう」
黒服レンが、ポツリと呟いた。彼はレピュールに利用されていたから、奴らの動きに不安があるのか。
「レン、この街の長は、そもそもレピュールを嫌い、排除している。スピカにいれば利用されることもないだろう。おまえは、フロリスをきちんと守れ」
「はい、かしこまりました」
そっか、フロリスちゃんの担当は、僕じゃないんだよな。旦那様の言葉に、なぜか少し寂しさを感じる。
「しかし、スピカに闇の精霊が多く生まれるというのも、皮肉なものだな。それほど血生臭い事件が多いということか。まぁ、商業が発展する裏では、いろいろあるからな」
僕は、あいまいな笑みを浮かべた。
旦那様はそう言うけど、僕は、貴族の家の、ひどすぎる後継争いが原因だと思う。多くの犠牲と恨みが生まれているんだから。
復活した神獣ゲナードのことには、旦那様はあまり興味を示さない。ゲナードが貴族に紛れ込んでいるという噂があると、料理人さんが言っていたから、旦那様も、知らないわけではないだろう。
ただ、旦那様の様子から見ると、ゲナードを脅威だとは思っていないようだ。天兎のぷぅちゃんがいれば、ファシルド家は安全だと考えているのか。
「では、僕はそろそろ、仕事に戻りますね」
僕は、旦那様に丁寧に頭を下げ、食事の間へと戻っていった。
もう、奥様方の昼食時間は終わり、お子様達の夕食の準備時間か。結構な時間が経ってしまったな。
「ヴァンくん、休憩にしましょうか」
テーブル周りの清掃を手伝っていると、バトラーさんから声をかけられた。確かに、お腹が減った。
「はい、ご一緒させてもらいます」
「では、使用人の食堂へ行きましょうか」
嬉しいお誘いだ。派遣執事には利用できない専属執事の人達の休憩室だ。一度、行ってみたかったんだよな。僕は、笑顔で頷いた。
「おかえりなさいませ」
バトラーさんに連れられて、専属執事の休憩室の扉を開くと、丁寧な仕草で頭を下げる少年がいた。えーっと、何? 専属執事の食堂に使用人がいる?
僕が驚いたことに気づいたバトラーさんは、クスリと笑った。
「ヴァンくん、ここは初めて来るのかな?」
「はい、初めて来ました。ファシルド家の専属執事には、使用人がいるのですか?」
「あはは、そう見えましたか。ここにいる子達は、まだジョブの印が現れていないんですよ」
休憩室の中を見ると、かなりの数の黒服やメイドがいるけど、確かにみんな子供か。
「そう言われてみれば、皆さん若いですね」
「ふふっ、さぁ、どうぞ。お腹が減りましたね」
バトラーさんのその言葉に、数人の黒服やメイドが動いた。すばやく奥へ歩いて行く子、テーブル席の食器の配置を変える子、席に案内しようと笑顔でこちらを見る子……。
「なんだか、客人になったような気分です」
「私に近寄ってくる子は、ほぼ仕上がっていますからね。ヴァンくんは、わがままな客人として振る舞ってもらって大丈夫ですよ」
「ええっ?」
バトラーさんは、筆頭執事だからか。
僕が驚きの声をあげると、また、クスクスと笑っている。
席につくと、すぐにスープが運ばれてきた。給仕をする人数が多い気はするけど、みんなキチンとできている。そうか、専属執事の食堂は、執事やメイドの見習いの練習場なんだな。
「さぁ、いただきましょう」
「はい。なんだか、かわいい黒服さんとメイドさんに囲まれると、緊張してしまいますね」
「ふふっ、そんなことを言われたのは初めてですね。時間のあるときには、適当なゲストを連れて来るのですが、大抵がお暇な奥様なので……」
バトラーさんの視線が、別の席に向いた。見たことのあるような奥様が、小さな黒服を叱っている。なるほど、教育熱心な奥様か……。
「ここで働く子達は、執事やメイドの家系に生まれた子なんですか」
「ええ、小さな頃から仕事を覚えさせているのですよ。ジョブが別の物だったとしても、執事やメイドのスキルは得られますから」
「僕が、家の手伝いをしているのと同じですね」
僕がそう言うと、バトラーさんは、軽く頷き、やわらかな笑みを浮かべた。うん? 彼の視線が不自然に動く。何か、あるのだろうか。
メインの料理が運ばれてきた。屋敷の人達が食べる物とは違って、質素な料理だ。だけど丁寧に給仕されるからか、豪華な食事に見えるから不思議だ。
食事が終わり、紅茶が運ばれてきた。給仕をする子は、試験かのように緊張している。まぁ、バトラーさんのテーブルだもんな。
「ヴァンくん、少しお話があるのですが、構いませんか」
バトラーさんは、姿勢を正して、僕にそう問いかけた。また、彼の視線が不自然に動いている。
「はい、何でしょう?」
僕が返事をすると、給仕をしていた黒服やメイドの子供達が、壁沿いにズラリと並んだ。うん?
「お気に召した者は、いましたか?」
「へ? あの、お話が見えないのですが」
するとバトラーさんは、何か笑いをこらえるかのように、壁沿いの子供達に視線を移した。
「ここにいる子達は、フラン様の新たな屋敷に仕える候補者なのですよ」
うん? 神官様?
「えっと?」
「ふふっ、何も聞いておられませんね。彼女もイタズラが過ぎますねぇ。まぁ、いろいろと方針転換をされて、お忙しかったのでしょうが」
僕には、バトラーさんが何を言っているのかわからない。神官様とは、黒い兎ブラビィが堕天使になった日以来、会ってないんだよな。
「バトラーさん、なぜ、ヴァンに選ばせないで話しちゃうのよ? 打ち合わせしたでしょ」
えっ……。奥から、神官様が姿を現した。そして、呆気に取られている僕に、パチンとデコピンをして、前の席に座った。
ちょ、またデコピン? 地味に痛いんだけど。
「フラン様、突然、それはないですよ。痛いんですよ?」
「あら、そう。ヴァンが、ボーッとしているからよ」
いや、むちゃくちゃだろ。バトラーさんが席を立とうとしたのを、神官様が制した。
「バトラーさんが居てくれる方がいいわ」
「かしこまりました。同席させていただきます」
別の席にいた見たことのあるような奥様も、なぜか、彼女の隣に移動してきた。えっと、何が始まるんだ?
「ヴァン、私ね、少し前に二十歳になったの」
「は、はい、おめでとうございます」
あれ? 彼女は片眉をあげた。意味がわからない。
「21歳になれば、独立できるのよ。今、その準備も、だいたい整ってきたわ」
あっ、アウスレーゼ家からの独立か。
「おめでとうございま……痛っ。デコピン、痛いですって」
隣に座った奥様が、驚いているじゃないか。
「ヴァンが生意気だからよ。独立は直前が一番大変なのに、わかってないでしょ。すぐに潰しに来るんだから」
そんなこと、わかるわけないだろ。
「はぁ、そうなんですね」
「ヴァン、貴方はどうするの?」
はい?
「どうする、とは?」
「私の婚約者でしょ。結婚する気があるのかと聞いているのよ」
「えっ……」
僕の頬は熱くなった。いきなり、何を言い出すんだよ? しかも、こんな場所で打ち合わせをするかのように……。
打ち合わせ……か。
そっか、そうだった。神官家や貴族の結婚って、好き嫌いじゃないんだ。
僕は、頭がスーっと冷えていくのを感じた。
「フラン様、僕にそれを決める権利があるのですか」
「は? だから、聞いてあげているんでしょう」
こんな場所で? しかも、事務的に?
ダン!
僕は、テーブルを叩き、思わず立ち上がった。失礼なことをしている自覚はある。だけど、僕には抑えられない。
「フラン様、ひどいですよ! こんな場所で事務的に決めることですか! もし僕の何かを利用したいなら、そうすればいい。でも、僕は、こんなのは嫌だ!」
やばっ……涙が出てきた。




