242、商業の街スピカ 〜少女の新たなペット
「ヴァン、とっても大切なお願いがあるの」
つぶらな瞳の少女に真っ直ぐに見つめられて、そのお願いを断ることのできる黒服がいるだろうか?
「はい、フロリス様、何でしょう?」
「みるるんを探してきてほしいの」
「えっ……はい、かしこまりました」
僕はいま、ファシルド家にいる。薬師契約は、相変わらず継続中だが、今は派遣執事として短期契約で来ているんだ。
今回の契約は、食事の間での給仕補助だ。誰かを担当するわけではない。逆に言えば、すべての手伝いをしなければならない気楽な何でも屋なんだ。
フロリスちゃんの探し物は、最近、新たに少女のペットになった天兎だ。ぷぅちゃんが男の子だからと、メスの天兎をどこからか、手に入れたつもりらしい。
彼女としては、ぷぅちゃんが喜ぶと考えたみたいだけど……少女の隣の席で食事をする彼は、面白くないようだ。
みるるんと名付けられた天兎は、まだ小さな幼体だ。フロリスちゃんが言うには、みるるんは恥ずかしがり屋だから、すぐに隠れてしまうらしい。
だけど、黒い兎ブラビィは、みるるんがオスだと言っていた。ぷぅちゃんが、縄張り意識から、少女に近寄らせないようにしているという。
うーん、縄張り意識というよりは、ぷぅちゃんの嫉妬だと思うんだけどな。フロリスちゃんを独り占めしたいという独占欲かもしれない。
僕は食事の間から、中庭へと出て行った。そして、スキル『魔獣使い』の魔獣サーチを使った。
あー、また、あんな所に。どうしようかな? 一応、フロリスちゃんの指示を仰ぐ方がいいか。
フロリスちゃんの部屋の裏の泉には、最近は、たくさんの妖精が集まっている。みるるんは、その妖精達に囲まれて、眠っているようだ。
「フロリス様、みるるんは、泉でお昼寝中みたいですよ。どうしましょうか」
「え〜っ、じゃあ、みるるんのご飯をもらってきて」
少女の背後にいる黒服が動こうとしたのを、少女は制した。この人は初めて見る顔だ。いつもの黒服は不在か。
「ヴァンが、もらってきてちょうだいっ」
「はい、かしこまりました」
僕が黒服として接すると、なぜか少女はワガママになる。そして、僕がそのワガママに従っていると、キャッキャと楽しそうなんだ。
魔導学校で僕のことを先生と呼ぶ反動だろうか。
そして、そんな少女をチラッと見て、僕をジト目で睨む天兎。僕にも嫉妬しているらしい。
厨房へと移動して、僕はそのまま中へと入った。
「おっ? 薬師が何の用だ?」
「料理人さん、今日は僕は黒服なんですよねー」
「確かに、黒服を着てるとは思ったけどよ。何の用だ?」
「はい、小さな天兎のご飯をもらいに来ました。あっ、適当に持っていきますね」
「は? そんなことは、担当の黒服の仕事だろ? あっ、そういえば、レンは旦那様の手伝いか」
レン? あー、フロリスちゃんの担当の黒服の名前だ。元神矢ハンターで、今は盗賊だっけ。昨日まで居たのにな。
「彼は、旦那様の手伝いをしてるんですね」
「あぁ、特殊なジョブだろ?」
盗賊、ってことか。
「何か、訳ありなお手伝いですかねー」
「だろうな。あの噂絡みだとは思うぜ?」
「うん? 噂?」
料理人さんは、僕を手招きして小声で囁いた。
「復活したゲナードが、貴族に紛れ込んでいるらしいって噂だ。初めて会う貴族には、気をつけねぇとな」
「それで、レンさん?」
「あぁ、レンの危機感知って最強だろ? しかも、サーチ阻害無効持ちだ。どんな相手のサーチもできるらしいぜ」
「へぇ、すごい。それなら安心ですね」
だから、あの黒服は、レピュールに利用されていたのか。
「サーチ阻害無効だなんてレア技能は、よほどのことをしないと得られないぜ。レア技能持ちには気をつけろよ。あー、ヴァンは精霊師だから、加護があるだろうけどな」
「僕は、レアスキル持ちですからね」
おどけてみたが、真顔で頷かれると困る。まぁ、いっか。
「レア技能って、たくさんあるんですか?」
「知られていないモノが多いだろうから、実体はわからねぇよ。みんな隠すからな。あぁ、トロッケン家の一人が持っていた覇王っていう技能は有名だぜ。当然、そいつは暗殺されたらしいけどな」
覇王を持っていると、暗殺されて当然なのか。背筋がヒヤリとした。絶対、言えないな。
「へぇ……。あっ、天兎のご飯を持っていきますね。あまりお待たせすると、叱られますから」
「は? フロリス様が叱るかよ。あの子は、誰にでも天使のような優しい笑顔を向けてくれるんだ」
フロリスちゃんは、使用人達に好かれているみたいだな。よかった。僕は、あいまいな笑みを浮かべ、少女のテーブルへと戻った。
「お待たせしました。みるるんのご飯です」
「もうっ、ヴァンってば遅いよっ。何をおしゃべりしてたのよ〜」
フロリスちゃんは、叱るじゃないか。
「申し訳ありません。厨房内が忙しそうだったので、僕が、みるるんのご飯を用意していたものですから」
「ふぅん、おしゃべりしながら?」
「あ、はい」
なぜ、こんなにフロリスちゃんは、ぷりぷりしているのだろう? 横で、ほくそ笑む天兎。何か入れ知恵でもしたか。はぁ、全く……。
「ヴァンがなかなか戻ってこないから、もう、食事の時間が終わっちゃったじゃない」
「では、部屋に戻られたら、魔導学校のお勉強ですね」
「むぅぅ〜。ぷぅちゃん、行こっ」
フロリスちゃんは、みるるんのご飯を両手でしっかり持って、食事の間を後にした。ふふっ、天兎が手を繋げなくて焦っている。なんだか面白い。
「あら、ヴァン、居たのね」
子供達の食事時間が終わると、奥様方の昼食時間になった。今日は、人が多いな。
「はい、食事の間のお手伝いです。派遣執事として来ております」
僕は、にこやかな笑顔を浮かべ、他の黒服の補助をしていった。最近は、いくつかの屋敷で派遣執事をしていたから、だいぶサマになってきた気がする。
「少し見ない間に、なんだか大人っぽくなったわね」
「ありがとうございます。つい先日、十六歳になりました」
僕がそう答えると、奥様方は、驚きの表情を浮かべた。えーっと……また、老けているとか言われるのだろうか。
「ヴァン、何をのんびりしているの? 婚約していたあの人は、どうなったのかしら」
「えーっと?」
「しらばっくれなくてもいいわよ。フランさんだったかしら? アウスレーゼ家の神官よ。婚約者を何年待たせているの? チャラチャラ遊んでないで、しっかりなさい!」
なぜか、めちゃくちゃ激怒されている……。別に、僕は、チャラチャラ遊んでいるつもりはないんだけどな。
「奥様、あの……ですが、どうすれば良いのか、僕にはわからないんです」
「あら、そうなの? まぁっ、うふふ」
何が、うふふなんだよ。
「そんなことより、保水薬はあるかしら?」
突然、話が変わった……。
「あ、はい。少しならございますが、どれくらい必要でしょう?」
僕は、魔法袋から、10個ほど取り出した。もうすぐ雨季なのに、なぜか乾燥するそうだ。昨日も、保水薬を欲しがる奥様が多かったっけ。
「とりあえずは、これでいいわ。お代は、バトラーに請求すれば良くてよ」
「はい、そうさせていただきます」
僕は、やわらかな笑みを浮かべ、ひらひらと手招きする別のテーブルへと移動した。一人に渡すとこうなるんだ。また作っておかないといけないな。
「ヴァンくん、ちょっといいですか?」
珍しく、バトラーさんがこんな時間に、食事の間にやってきた。その表情は険しい。
「はい、どうされました? 怪我人ですか」
「いえ、ちょっと、旦那様がお呼びです」
何かあったのか。
バトラーさんに案内されて、入ったことのない部屋に足を踏み入れた。半地下になっている宝物庫のようだ。
中には、フロリスちゃんの黒服も居た。まさか、彼はジョブ『盗賊』だから、何かを盗んだのか?
「ヴァン、悪いな。こんなチカチカする部屋に」
「いえ、旦那様、どうされました?」
すると、旦那様の視線が床に向いた。一部が老朽化しているためか、ひび割れている。しかし、それ以外に異変は感じない。
「この下なんだがな。何かあるようなのだ。ヴァンなら、わかるのではないかと思ってな」
「えーっと、少しお待ちください」
僕は、薬師の目を使ってみた。だが、特に毒物はなさそうだ。ひび割れに触れてみると、手が凍りそうにひんやりする。なぜ、こんなに冷たいんだ? 半地下で、日が当たらないにしても、ジャケットがいらない季節だ。
もしかして、奥様方が保水薬を欲しがるのは、これが原因か? でも、一体……。




