226、商業の街スピカ 〜フロリスを送り届ける
「堕ちた神獣ゲナードは、彼によって傷を負ったようです。しばらくは、何もできないはず。何か動きがあるとすれば、まずは、フロリス様を狙うでしょう。皆さんは、彼女を守って差し上げてください」
そう言うと、赤いリボンの神殿守ラフィアさんは、パチンと指を鳴らした。
「あれ? 魔物がいるお庭……」
僕達は、白い石造りの神殿前に移動していた。すごい転移魔法だ。あまりにも突然すぎて、挨拶する隙さえなかったな。
中庭の草原では、ビードロを追いかけて遊ぶ子竜達の姿が見える。あれ? ずっと追いかけているのか?
「ほへ? チビ、もう戻ってきたのか?」
「チビドラゴンさん、僕達、結構長い時間、不思議な場所にいたんだけど?」
「いま、送り届けたばかりだぞ」
チビドラゴンは、首を傾げている。そうか、時間の流れが違うのかもしれない。うん? チビドラゴンの視線が……。
振り向くと、そこには獣人の姿をしたぷぅちゃんがいる。そっか、初めて見るから驚いたのかな。
「チビドラゴンさん、彼は……」
「白い人だぞ。でも、見たことのない白い人だぞ」
「フロリス様が抱いていた天兎だよ」
「ほへ? 成体になったのか。見たことのない白い人だぞ」
チビドラゴンは、見たことのない……を連呼している。ハンターという使命のことを言っているのかな。
「ヴァン、先程の女性が、フロリスが狙われると言っていたが、どういうことなんだ?」
アラン様は、不安げに妹を見ている。
「アラン様、天兎は、天の導きのジョブを持つ人に仕えると聞いたことがあります。フロリス様は、まだジョブがわかりませんけど、天兎が仕えるようなジョブなのかと思うんです」
「天の導きのジョブ? あっ、フロリスの母は、アウスレーゼ家の人だったからか。すると、ぷぅちゃんに怪我をさせられた奴が、その仕返しにフロリスを狙うということか」
「仕返しかはわかりませんが……」
フロリスちゃんと、ぷぅちゃんの使命との関係がわからない。だけど、少女が、天兎の弱点であることに変わりはない。
「オレの使命は、住人を守ることだ。それを失敗すると、オレの使命が消える」
使命が消える? ハンターではなくなるということか。獣人の姿で、ぷぅちゃんがアラン様に説明している。しかし、上から目線だよな。
「そうか、ぷぅちゃんがフロリスを守ってくれるんだな」
「影の世界の住人からは守れるが……」
ぷぅちゃんは、悔しそうな表情を浮かべた。影の世界の住人には、絶対的に強くても、この世界では弱いのか……まぁ、天兎だもんな。
「ぷぅちゃん、兎の姿には戻れないの?」
フロリスちゃんの問いかけに、天兎はギクリとしている。
「もう、オレは、完全に成体になってしまったから……」
「ふぅん、そっか」
ありゃ……天兎は泣きそうな顔だ。そんなに、フロリスちゃんの腕の中に居たかったのか。いや、かわいいと思われたい?
奴は、僕をジト目で睨んだ。なるほど、かわいいペットでいたいのか。うん? ペット? あっ……。
「ぷぅちゃん、それなら、スキル『道化師』超級の神矢を探せばいいよ。僕がいろいろな魔物に化けられるのは、『道化師』超級の、なりきり変化の技能だから」
「なっ!? そんな神矢が……」
ぷぅちゃんの表情は、パッと明るくなった。あー、でも、天兎が使うと、人間にしかなれないのかもしれない。マリンさん達は、人化するために、この技能を使うもんな。
「ふん、その神矢なら、海竜がかき集めている。その辺には落ちてないぜ」
なぜ、それを知っているんだ? 黒い兎は、ぷぅちゃんに嫌味を言いたいらしい。そもそもコイツは、なぜ僕を守ってくれていたのだろう?
すると、黒い兎が、ぴょーんと僕の肩に乗ってきた。
「おまえが面白いからに決まっているだろ?」
「はい? 僕が面白いかな?」
「悪霊の声に耳を貸すな。そいつは、ヴァンが極級になったら、実体をくれると思って、恩を売りまくっているだけだ」
獣人ぷぅちゃんが、冷ややかにそんなことを言った。
「極級って、どのスキルのこと?」
「精霊師に決まっているだろ。新たな精霊を創造する力があるんだからな。とんでもなく魔力を消費するが」
「へぇ、そうか。黒い兎さんは、精霊になりたいのか」
「別に。おまえが面白いだけだ」
うーむ、黒い兎の表情はよくわからない。まぁ、いいか。兎の身体を得たということは、もう、偽神獣ではないってことだよな。
白い獣人も、黒い兎も、僕の疑問には答えない。沈黙は肯定ということだろうか。それとも……。
「チビ、そろそろ帰る方がいいんだぞ。嵐が来るんだぞ」
神殿跡から岩壁を越えると、チビドラゴンは、突然慌てたようにそう教えてくれた。僕は、子竜の言葉をみんなに伝えた。
「ヴァン、今なら転移の魔道具も使えるみたいだ」
「じゃあ、スピカに戻ろう」
木いちごのエリクサーを作れなかったけど、マルクは気にせず、帰ることを選んだ。フロリスちゃんも一緒だからだよな。
僕達は、チビドラゴンやその妹と弟に見送られ、ボックス山脈から、スピカへと移動した。
「テトは、先に帰っていて。俺はファシルド家に用事があるから」
マルクは、テトさんに何か目配せをしている。
「かしこまりました」
転移の魔道具で、マルクの屋敷の広場に到着したのに、マルクは、転移魔法を唱えた。僕達は、再び転移の光に包まれた。
もしかすると、追手をまくためだろうか。なんだか、そんな気がする。フロリスちゃんだけでなく、アラン様も、僕も……いろいろと追われているもんな。
ファシルド家に戻ってくると、バトラーさんがすぐに飛び出してきた。
「アラン様、フロリス様、ご無事でしたか。よかったぁ」
「バトラー、何を慌てているんだ?」
「ボックス山脈に、大量の魔道具が仕掛けられているという知らせが入りました。さっき王都から、高位の魔導士団が派遣されたようです」
「俺達がいた地区は、冒険者くらいしかいなかったぞ」
アラン様は、堕ちた神獣ゲナードとの遭遇を話さないつもりらしい。バトラーさんに心配させたくないのか。
「彼らは、王都専用地区付近に向かったそうです。突然、未知の施設に占領されたようです」
それって、湖の底にあったという建物か。マルクと目が合った。マルクも同じことを考えているんだな。
「バトラー殿、それはおそらく、人工的な魔物を生み出している施設です。王都の魔導士団が派遣されたのなら、問題は解決されるでしょう」
マルクは、いつもとは違う口調だ。忘れそうになるけど、マルクは貴族だもんな。
「そうでしたか。ルファス様にそう言っていただくと、安心できます。フロリス様の護衛をありがとうございました」
バトラーさんは、マルクに深々と頭を下げている。
「いえ、あの、ファシルド様は、いらっしゃいますか。ドルチェ家として、少し商談がございまして」
「はい、すぐに確認して参ります」
バトラーさんは、マルクを屋敷へと案内している。ぷぅちゃんには気づいてないんだよね。マルクの関係者だと思ったのかな?
僕は、どうしようか。
「ヴァン、今日はありがとう。また、近いうちに」
「あ、はい、アラン様、ありがとうございました」
アラン様も、屋敷へと入って行った。
振り返ると、フロリスちゃんは、眠そうにしている。お昼寝しなかったもんな。
「おい、おまえ、さっさと帰れよ」
獣人ぷぅちゃんは、フロリスちゃんを気遣いながら、僕を睨んでいる。はぁ、全く。なぜか敵視されてるんだよね。いや、まぁ、理由はわかるけど。
「フロリス様、僕は、これで失礼しますね。よかったら、これ、使ってください」
眠そうな少女に、りんごのエリクサーを数個渡した。フロリスちゃんは、背負っていた可愛いリュックに入れて、にっこりと微笑んでくれた。
「ヴァン、ありがとう。これ、甘くて美味しいの」
「ふふっ、この素材のりんごは、さっき会ったチビドラゴンが用意してくれたんですよ」
「へぇ、じゃあ、あの神殿の果樹園のりんごなのね」
「神殿の果樹園?」
神殿って、ただ広い草原が広がっていただけだよね?
「フロリスちゃん、コイツには見えていないんだ。ただのカスだからな」
「ぷぅちゃん、そんな悪口を言っちゃダメでしょ。ヴァン、果樹園が見えなかったの? 真っ白な大きな屋敷の横に果樹園があったよ。何か甘い匂いがしたよ」
「えっ? 屋敷があったんですか。僕には、広い草原に見えていました」
「うん? 大きな屋敷の中庭で、お茶をいただいたのに?」
フロリスちゃんは不思議そうに首を傾げていた。




