219、ボックス山脈 〜ジョブ無し
うっそうとしたこの森林には、ビードロのすみかがあるそうだ。
スキル『迷い人』のマッピングで確認してみると、ここは、山の中腹あたりだ。僕がビードロと初めて会った平原へも、この森は続いている。あの平原は、狩りをする場所らしい。
「この森は、ワシらの森だ。人間は入ってこないから、ゆっくりすればいい」
僕は、ビードロの言葉をみんなに伝えた。うん? なんだか、マルクは僕が伝える前からわかっていたみたいだ。マルクも、スキル『魔獣使い』の通訳を使ったのだろうか。
マルクが魔法袋から、大きなテントを出してきた。まだ、昼前だよ?
「みんな、テントに入ってくださいね。少し早い昼食にしましょう」
「マルク、わざわざテントなんて……」
「マルク先生、さすがですね。ありがとうございます」
アラン様は、マルクに礼を言って、テントに入った。フロリスちゃんもマーサさんも、そしてマルクが僕を手招きする。
テトさんは、見張りをするつもりなのか、テント横で立っている。
「ヴァンさん、魔物に背後を襲われないためです」
テトさんが、そっと教えてくれた。匂いが漏れるからというわけではないのか。
「ヴァン、給仕してよ〜」
僕がテントに入ると、マルクはニッと笑って、変なリクエストだ。でもまた、ケラケラと笑うんだろうな。
携帯食を食べるだけなのに、給仕が必要なのかな。あっ、そうか、初めてボックス山脈に来た人達への配慮か。
「じゃあ、紅茶をいれますね」
テント内の棚を物色すると、備え付けの魔法袋を見つけた。マルクが好きに使っていいと言っている。好きに使って、何かをしてほしいんだよな。
テトさんの方が黒服歴は長いけど、テントの見張りだ。たぶん、気を利かせたんだろう。
僕は、紅茶をいれた。備え付けの魔法袋の中には、生クリームも入っている。二年前にフロリスちゃんが喜んでくれた、あれをやろうかな。甘いホイップクリームで花の形を作り、氷魔法で冷やした。
いつの間にかテーブル席についている彼らの前に、紅茶を置いていった。そして、フロリスちゃんの前には、クリームで作った花も置いた。
「わぁっ! ヴァン、何これ」
えっ……忘れてるのか。
「甘いクリームです。紅茶に浮かべてみてください」
「うんっ!」
フロリスちゃんは、器用にクリームの花をカップに入れた。すると、みるみるうちにクリームは溶けていく。
「よく混ぜて召し上がってくださいね」
「うんっ。ふふっ、お花が入った紅茶ね」
上品に微笑むと、少女は綺麗な所作で紅茶を飲んでいる。いつの間にか、すっかりお嬢様だな。
「ヴァン、俺も、お花が入った紅茶がいい」
マルクが変なことを言ってる。
「えっ? 甘いよ?」
「甘さ控えめにしてよ」
な、なんだ? この悪戯っ子のようなニヤニヤは? はぁ、こういうところって、子供なんだよな。それなら……。
「かしこまりました。ルファス様」
僕がそう言うと、マルクは、ブフォッと吹き出して笑ってる。おいおい、ガキかよ。
リクエストに応えるため、僕が離れると、キャッキャとフロリスちゃんの笑い声が聞こえてきた。マルクが何か言ってるんだな。
でも、フロリスちゃんが笑うことで、アラン様もマーサさんも笑顔になっている。なるほど、マルクは、それが狙いか。二人は、ボックス山脈の空気感にのまれて、ガチガチに緊張しているもんな。
甘くないクリームだけで花の形を作るのは難しい。ほとんど、凍らせたような仕上がりになった。
「わっ! 大人のお花はキラキラなの」
フロリスちゃんは、思わず立ち上がって、皿を覗き込んでいる。そして、すぐにハッとして、澄まし顔で着席する姿が、また穏やかな笑いを誘う。
もう、アラン様もマーサさんも、大丈夫かな。
僕も席につき携帯食を食べた。温かい紅茶があるだけで、携帯食も美味しく感じる。
マルクは席を立って、新しいカップに紅茶をいれている。そして、そっと外へ出て行った。テトさんに渡しに行ったんだろうな。
「坊や、森の端に、子竜が迎えに行くと言っているぞ」
休憩を終え、マルクがテントを片付けていると、従属のビードロから、そんな伝言があった。
「チビドラゴンさんが来るの? 何か、この先に危険があるのかな。そういえば、さっき走ってるとき、変な臭いがしたよね」
「坊やも気づいていたか。あれは、人間が人間を殺すために撒いている箱の臭いだ。中に仕込まれている妙な怨霊の臭いだよ」
「あっ、蟲の臭い? 人間の姿だとわからないよ」
すると、テトさんが口を開いた。
「ヴァンさん、ボックス山脈に本来いないはずの魔物は、ナワバリ意識の強い奴らが排除しようとします。だから、あえて、魔物に感知できる人間の臭いをつけているのでしょう」
「人間の臭い、かな? なんだか変な臭いだと思いましたけど」
「得体の知れない臭いは、人間が持ち込むのです。だから、ビードロは、人間が人間を殺すための箱だと言って……あっ」
そこでテトさんは言葉を止めた。テトさんも、スキル『魔獣使い』の通訳を使っているのか。
「あはは、テト、バレちゃったね。いや、ヴァンはスキルだと思ってるかも……」
「は、はぁ、失敗しました。まぁ、ここにいらっしゃる方々なら構いませんが」
テトさんは、マルクに何かの目配せをした。
「じゃあ、俺から話すよ。ヴァンも疑問に思ってたみたいだし、アランさんは気づいているだろうから」
うん? 何? アラン様を見ると、頷いている。
「テトはね、ジョブ無しだったんだ」
「マルク、それって、あの女性が言ってたよね」
「うん、クリスティさんみたいなジョブ『暗殺者』には隠せないもんね」
ちょ、あえて、名前を伏せたのに……。
「レーモンド家のクリスティか」
アラン様の問いに、マルクは頷いてる。マーサさんが、ガッツリ緊張したのが伝わってきた。
「テトはね、両親が半魔なんだよ。半魔同士の子供は、ただの人間になることが多いけど、テトは魔物の血を濃く受け継いだから、ジョブ無し」
「そうなんだ。あれ? 緑魔導士では?」
「うん、レモネ家って知ってるよね?」
話が飛んだ?
「僕、一応、雇われてる。まだ一回だけしか行ったことないけど」
「へ? あー、薬師の先生か何か?」
「ワイン講習会……でも、一度もやってないんだよね」
マルクは、なるほどという顔で頷いている。
「じゃあ、ヴァンも、孤児の世話係だな。テトは、レモネ家に居たんだ。成人の儀で、ジョブ無しだとわかって、飛び出したみたいだけど……」
「そう、なんだ」
そういえば、たくさんの子供がいたよな。
「冒険者として自立しようとしたんだけど、ジョブサーチって、わりとできる人が多いからさ……」
マルクはそこで、チラッとテトさんの顔を見た。すると、テトさんが口を開いた。
「ジョブ無し狩りに遭ったんですよ。しかも、街の中で。俺は、あっさりと殺されました。ただ、それを見ていたレモネ家の奥様が、一緒にいた方に俺の蘇生を依頼して……緑魔導士のジョブを得ることになりました」
レモネ家の奥様って、あの人懐っこい女性だよな。シルビア様だっけ? 確か、ラスクさんの奥様の妹さんだ。ラスクさんの家から、いろいろな物を勝手に持って帰るとか言ってたっけ。
ということは、蘇生をしたのは、ラスクさんだろうか。でも、レモネ家の奥様はルーミント家の生まれだから、一緒にいたのは、ラスクさんの奥様かもしれない。
「だからテトは、魔物の言葉は、話せないけど理解できるんだ。今回の同行者として、適任でしょ」
「うん、スキルかと思ってたよ」
マルクは、少し得意げな表情を浮かべている。でも、たぶん、ジョブ無しだったってことは、貴族の屋敷で働くには弊害になりそうだよな。魔物だったってことなんだから。
そっか、マルクは、テトさんを守ってるのか。ドルチェ家がルファス家から引き抜くにも、すべての事情がわかっていないと難しい。マルクは、奥さんのフリージアさんのことも信頼しているんだな。
「坊や、そろそろ出発しよう。子竜がソワソワしているようだ」
「はい、ビードロさん」
僕は、再び、スキル『道化師』の変化を使って、ビードロの姿に化けた。
マルクは、さっきと同じように、僕に手綱をつけ、フロリスちゃんの腰に巻きつけている。この不思議な紐は、変化を解除すると、勝手に消えるみたいだな。
フロリスちゃんの腕に抱かれている天兎は、どさくさに紛れて、また僕の頭を蹴った。コイツ、なんか、僕をライバル視してない?
そして、僕達は、うっそうとした森を駆けていった。




