215、商業の街スピカ 〜ファシルド家、裏庭の異変
この姿は……アマピュラス。
昔、神官家の戦争を止めたと言われている、天からの使いだ。その怒りに触れると、人間なんてひとたまりもない。その視線だけで、何万という人間を瞬時に消し去る。そう、魔導学校で習った。
僕は、何というモノに変化してしまったんだ。
だけどアマピュラスは、実在しない架空の獣かと思っていた。まさか、天兎の戦闘形だったなんて……。
村全体に意識を向けてぐるりと見回すと、すべての状況が瞬時に情報として頭に入ってくる。もう、危険はなさそうだな。僕は、変化を解除した。
「ヴァンか……。はぁぁあ、死ぬかと思った」
「村長様、すみません。過激なスキルを使ってしまいました」
「い、いや、助かった。まさかの神獣人アマピュラスが現れるなんてな。伝説上の生物かと思っていたが……」
「僕も、驚きました。イメージだけで変化を使っているので……あはは」
「姿が変わっただけじゃないだろう? 圧倒的な威圧感というか、畏怖で……胸が締め付けられるように苦しくなったぞ」
「それは、すみません。でも本物じゃないですから、安心してください」
「あ、あぁ……」
説得力のないことを言ってしまった。村長様は、苦笑いだ。さすがにマズかったよな。
「じゃあ、僕は失礼します」
僕は、軽く挨拶をして、村長様の屋敷を出た。
逃げた奴らは、上層部にどんな報告をするのだろう。手引きをしていた男は、僕が化ける瞬間を見ている。さらに、僕を捕まえようとする依頼が増えるか。
いや、そんなことより……ノレア様が、正式に僕の暗殺依頼を出すかもしれない。どうしよう……。
『ノレアの坊やのことなら、気にしなくていい』
えっ? デュラハンさん、どういうこと?
『天兎は、精霊より格下だからな。アイツが怖れているのは、精霊を滅ぼす可能性のある偽神獣だ。オレに闇の神獣の悪霊をぶつけて、両方を消し去ろうと考えている』
はい? なぜ、そんな……デュラハンさんは妖精じゃないか。ノレア様は、精霊を束ねる役割が……。
『そう、精霊がこの世界の支配者でいたいらしい。アイツは、格下の妖精のことなんて、ただの道具としか考えてねーんだよ』
そんな、ひどい!
『そこで、だ。オレは当然、消えるつもりはない。だが、ノレアの坊やが危惧している神官家の愚行には、オレとしてもこれ以上黙っていられない』
う、うん。嫌な予感しかしないんだけど、何?
『ヴァン、さっさとオレを精霊にしろ。そうすれば、闇の神獣の悪霊くらい、オレなら倒せる』
はい? どうやって?
『おまえなー。オレは首を見つければ精霊になれると、話しただろ? 忘れたのかよ』
あー、そんなことを言ってたね。でも、どうやって探すの?
『はぁ? 海竜の島で、オレが妖精の印を付けていたのを忘れたか?』
涙形の印だよね。覚えてるけど? あっ、オレの首を探せー、とか言ってたっけ。見つかったの?
『あぁ、見つかったというか……やはりな、という感じだ』
うん? どういうこと?
『王宮にある。ノレアの坊やが、隠しているんだ』
えっ、ノレア様が?
『オレを自由に操りたいんじゃねーか?』
それって、デュラハンさんが危険だからだよね。
『は? こんなかよわい妖精に向かって、何を言ってんだ? ノレアの坊やは、自分のせいで世界の秩序が崩れてしまうと焦っている。アイツが王宮の神殿教会の神父になってからは、神官家が舐めたことばかりしているからな』
世界の秩序?
『ただの傲慢だぜ。いや、器が小さいんだよ。坊やでは無理だってことだ』
デュラハンさん、毒舌だね。まぁ、そうなるか。
僕は、こっそりと家に戻ると、そのまま私室へと入った。
「ヴァン、どこへ行っていた!?」
「うげっ、父さん、なぜ僕の部屋にいるんだよ」
「ここで待っていないと、戻ってきても気づかないだろ」
まぁ、ごもっとも。
「ちょっと、仕事の件で、貴族の屋敷に行っていただけだよ。伝言を頼まれていたからね」
「じゃあ、なぜ、コソコソする?」
それを怒っているのか。今はもう、デュラハンの加護は強めていない。だけど、父さんの考えはだいたいわかる。
「父さんも母さんも、僕のことを十歳の子供だと思ってるよね? 父さん達がスピカに移り住んで、もう五年以上も経ったんだよ? もっと僕のことを、信用してくれてもいいじゃないか」
「何を言っている? 子供が間違った方向に進もうとしているのを正すのが、親の役目だ。おまえは、まだまだ子供じゃないか」
「成人の儀は二年以上前に終わったし、仕事もしている。父さんこそ、何を言ってるんだよ」
「それなら、なぜ、裏ギルドに……」
そこまで言って、父さんは口を閉ざした。そっか、知ってるんだ……僕の暗殺依頼が裏ギルドに出ていることを。
だから、こんなに噛み合わないんだ。僕が人に恨まれるようなことをしていると、心配しているのか。
『ヴァンくん、起きていますか?』
ファシルド家からの呼び出しの魔道具だ。僕は、父さんをチラッと見て、手で制した。
「はい、起きています。バトラーさん、急患ですか?」
『おぉ、よかった。すぐに来られますか? ノワさんの手に負えないみたいで』
「はい、ちょっと一瞬、待ってください」
そして、父さんの顔を見ると、父さんは部屋から出て行った。ちょ、伝言を頼みたいのに。
僕は、食卓でくつろいでいる爺ちゃんに声をかけた。
「爺ちゃん、ファシルド家から、急患の呼び出しなんだ。出かけてくるね」
「こんな夜遅くにかい? わかった、気をつけてな」
僕は頷き、呼び出しの魔道具に触れた。
「バトラーさん、大丈夫です」
『夜遅くにすみません。転移しますよ』
僕は、爺ちゃんに手を振り、スッとその場から消えた。
◇◆◇◆◇
「はぁ、ヴァンのやることが、俺には全く理解できないよ」
ヴァンの父ケビンは、ポツリと呟いた。
「おまえは、これまで、ヴァンのことを見ていなかったからな。それに、珍しいジョブじゃ。ワシらと生き方が違うのは、当たり前だろう」
「でも、父さん……ヴァンは、何かに巻き込まれているようなんだ。裏ギルドに出入りする人から、ヴァンらしき少年の暗殺依頼が出ていると聞かされたよ」
「あぁ、そんなことを、導きの声も言っていたな」
「なっ? 父さんは、それを知っていて、ヴァンを自由にさせているのか」
「ケビン、おまえよりもヴァンの方が大人じゃぞ? 何を焦っているのだ。あの子には、精霊様の強き加護がある。おそらく、神様から、何かの使命を与えられて生まれてきたのじゃろう」
「ただの農家の子供なのに」
ケビンは、寂しげに呟いた。
「何か、大きな変化の時期にきているのかもしれん。村で預かるフリックにも、不思議なチカラがあるようじゃ。ワシらは、若い子供達を信じて見守ってやるべきだろう」
「はぁ……ヴァンには、そんな力なんて……」
「ふっふっ、いい加減に子離れするのじゃ、ケビン」
◇◆◇◆◇
「ヴァンくん、夜遅くにすみませんね」
僕は、ファシルド家の屋敷裏の畑に、移動していた。暗くてあまり何も見えない。ノワ先生の姿も見当たらないんだけどな。
「大丈夫です。えっと、急患じゃないんですか?」
「怪我人ではないんです。ノワさんには、全くわからないらしくて」
そう言いながら、バトラーさんは、畑のあぜ道を歩いていく。この先は、フロリスちゃんの部屋の裏の泉跡に繋がっている。
「畑で、何か異変でも?」
もしかして、こんな場所にも、あの趣味の悪い魔道具が隠されているのか? だとしたら、大変だ。
「畑ではなく、泉の方なんですよ。この先は、何かの力で進めなくなるので、ノワさんは、屋敷の横から様子を見てくれているんですが……」
「フロリス様の部屋の裏の泉跡ですか?」
バトラーさんは、頷いた。まさか、フロリスちゃんが狙われている? 最近は、かなりマシになっていたはずなのに……あっ、あの黒服か。
「まさか、あの黒服が……」
「いえ、レンくんではありませんよ。彼は、あれ以来、いろいろと清算したようです。今では、フロリス様の盾となっていますよ」
「そう、ですか」
僕は、なんだか少し寂しさを感じた。もう、フロリスちゃんの黒服は、アイツなのにな。
「ここからでも見えますよ。私はこの先へは、進めないのですが……」
バトラーさんが指差した先には、たくさんの妖精が集まっていた。ほぼ枯れていたはずの泉が復活している。
急に、マナが濃くなったように感じる。
「あの泉付近から、ずっと歌声のようなものが聞こえているんですよ。気味が悪くて、奥様方から眠れないと……」




