210、リースリング村 〜わがままな妹ミク
風呂からあがって、食卓のある部屋へ移動すると、懐かしい声が聞こえてきた。
「ちがうの。じぶんでできるのっ」
「ミクちゃんは、自分でできるのかい? エライのぅ」
「じいちゃん、おくちくちゃい。あっちいって」
「おろろん、すまぬ……」
「ミク、爺ちゃんにそんなことを言っちゃダメよ。父さんも、ミクに甘すぎますよ」
僕が、髪を拭きながら話を聞いていると、母さんが僕に気づいた。
「ヴァン、また背が伸びたわね」
「母さん、帰ってたんだね。父さんは?」
「いま、村長様の屋敷に行っているわよ。導きの声が聞こえたんですって」
妖精達の声だな。それで風呂にお湯が入ってたのか。妖精達は、父さんの風呂も覗き見していたんだな。
「にいちゃん? あたまびちょびちょは、だめなの」
妹のミクは、僕を指差して仁王立ちだ。なんだか、光の精霊様みたいな仕草に見える。母さんが叱るときの真似をしているんだろうけど。
「ミク、大きくなったね。もうすぐ五歳かな?」
「うん?」
おいおい、自分の年齢がわかってないのかよ。妹は、指を折って数えている。
あっ、挫折した。おい、おまえなー。
僕は、フロリスちゃんの黒服をしていた頃のことを思い出した。少女は、やせていて小さかったけど、あの頃は五歳だったよな。妹のミクも、もうすぐ五歳の誕生日だ。
なんだか、あまりにも違う。フロリスちゃんがしっかりしているのは、ファシルド家の娘だからというだけではない。多くの辛い事を乗り越えてきたからだ。
まぁ、ミクも、母さんがずっと働いているから、寂しい思いをしているのだろうけど。
髪を、風魔法で乾かして、食卓の自分の席に座った。すると、ミクは、ボケーっと僕の顔を見ている。
「びちょびちょがなくなってる。どうして?」
「風魔法で乾かしたんだよ」
「ふひゃー」
なんだよ、その叫び声は……。
「ミクちゃんも、魔導学校へ行けば、使えるようになるぞ。ヴァンは、魔導学校で先生をしているのじゃ」
爺ちゃんがそう言うと、妹の僕を見る目が変わった。
「にいちゃん、すごいっ」
「ありがとう」
ミクのキラキラした視線を浴び、僕は、ちょっと逃げたい気持ちになってきた。魔導学校の講師をしているのは、魔術の試験に受からないからだとは、口が裂けても言えない。
晩ごはんを食べた後、畑を見るために、僕は外へ出て行った。妹がなぜかついてくる。
「ミクは、家に居なさい」
「やだっ」
「もう暗くなってきたよ? オバケが出るよ」
「やだっ」
妹は、口を一文字に固く結び、イヤイヤと頭を振っている。うーむ、少し前までなら、オバケが出ると言えば、すぐに泣きべそをかいて、母さんの所へ逃げていったのにな。
成長したということか。
ウチの畑をざっと確認してみたが、特に異変は感じなかった。妹と畑を見回るのは、初めてのことだ。危なっかしい歩き方をするから、あぜ道から畑へ落ちないかとヒヤヒヤする。
「ミク、そんな端っこを歩くと畑に落ちるよ」
「おちないもんっ」
妹は、よろけたり、つまずいたりしているが、なぜか転ばない。僕よりも運動神経が優れているのだろうか。
「ここより、あっちが臭いの」
「泣き虫ヴァンの妹は、泣き虫じゃないね」
「妹の方がえらいの?」
「妹の方がえらそうなの」
僕のまわりをリースリングの妖精達が、うるさく飛び交っている。村長様の畑が特に臭いらしい。
リースリングの妖精達は、ミクのことには、あまり興味がなさそうだ。ということは、妹のジョブは、妖精とは関係のないものなのかな。
「ミク、僕は村長様の畑を見に行くから、家に入ってなさい」
「やだっ」
「村長様だよ? 悪い子は、すっごく叱られるよ」
「えっ……やだっ」
はぁ、ダメか。
妹は、僕のズボンをぎゅっと握っている。懐かれているのかといえば、そんな感じでもない。とんでもなくワガママな子に育っているよな。反抗期なのだろうか。
村長様の屋敷には、父さんが居るはずだ。ミクは、それがわかっているのかもしれない。
村長様の屋敷へと向かっていくと、貴族の冒険者の人達が屋敷から出て行く様子が見えた。村長様の畑へと向かっているようだ。父さんの姿はないな。
貴族の屋敷に出入りする人達は、精霊使いのスキルを持つ人が増えたようだ。リースリングの妖精の声が聞こえている人もいるから、妖精達が、彼らを案内しているんだな。
僕は、とりあえず、村長様の屋敷の前に立った。すると、ミクが大きな声で叫んだ。
「こんばんは〜。だれかいませんかー」
おいおい……。僕の立場は……。
「あら、かわいいお客様ね」
村長様の奥さんだ。ミクは、かわいいと言われてデレデレしている。急に恥ずかしくなったのか、僕の後ろに隠れた。
「奥さん、こんばんは。ウチの父がお邪魔していませんか」
「ええ、いま、貴族の方もいらっしゃっているわよ。昨日から、畑が臭いという導きの声が聞こえているみたいね。どうぞ、入って」
「あの、妹もお邪魔しても大丈夫でしょうか」
「ふふっ、ミクちゃんは、お行儀良いから、大歓迎よ」
はい? まじか。
ミクは、モジモジしながら愛想笑いを浮かべている。まぁ、緊張しているようだから、いいか。
「では、お邪魔します」
大きなテーブルを囲んで、村の人達が集まっているのが見えた。貴族の冒険者も二人いるが、ほとんどは、導きの声……妖精の声が聞こえるジョブ『農家』の人達だ。
「ヴァン、どうしたんだ?」
父さんは、ミクを見て、ちょっと怒っているようだ。なぜ、村長様の屋敷に連れて来たのか……だよな。
「ミクがついてきちゃって……。皆さん、こんばんは」
僕のズボンをぎゅっと握っているミクの様子に、父さんは軽くため息をついた。だけど、ミクを叱らないんだよな。まぁ、下手に叱ると、烈火の如く……泣きわめくもんな。
「ヴァンくんが来てくれたら、安心じゃないか。ミクちゃんは本能的に、誰が自分を守ってくれるかを知っているんだよ」
「いえ、これは、ただのワガママですよ」
「にいちゃんは、すっごいまほうができるのっ」
おい、ちょっと待てよ、ミク。髪を乾かしただけじゃないか。
「あはは、ヴァン、いいところを見せないとな」
村の人達は、僕の魔術の成績が悪かったことを知っている。はぁ、もう、居心地が悪すぎる。僕は、適当に愛想笑いを浮かべておいた。
「貴族の人達が村長様の畑の方へ向かわれたのが見えましたが、どういう状況なんですか? 昨日、魔導士を使って何かしました?」
妖精達が臭いということは、乱れたマナが漂っているのかもしれない。
「よくわかったな。昨日の朝に、冒険者ギルドから派遣してもらって、村長様の畑のテーブルワイン用のぶどうを生育し、収穫したんだよ。テーブルワインも、かなり売れているから、ぶどうが足りないらしいんだ」
やはり、そうか。以前ぶどうのエリクサーを作ったときも、それが原因だったもんな。
「じゃあ、妖精さん達が畑が臭いというのは、乱れたマナですね。また、エリクサーを作ればいいかな」
「ヴァンさん、それは嬉しい! ただ、それだけでもないようなんですよ。だから、ちょっと調べに行ってるんだ」
顔見知りの貴族の冒険者が、そんなことを言った。僕の頭には嫌な記憶が戻ってきた。
ガメイ村では、畑に妖精を捕まえる魔道具が隠されていた。海辺の町カストルでは、海の中のマナを奪う魔道具が設置されていた。そして、ボックス山脈のキャンプ場には、妙なマナの霧を発生させる魔道具……。
嫌な予感がする。頭の中がチリチリしてきた。
「僕、ちょっと、様子を見てきます!」
だが、妹は僕のズボンをしっかり握っていて離さない。なんだよ? コイツ、何かの危機感知でもしているのか?
「ミク、手を離して。父さん、ミクをお願い」
僕の変化に、父さんは気づいたみたいだ。
「ヴァン、危険なことをするつもりじゃないだろうな?」
「父さん、僕が行かないと危険かもしれない。ガメイ村でも、変な魔道具が仕掛けられたんだ。昨日、冒険者の出入りがあって、昨日から畑が臭いということは……」
「何か、仕掛けられたのか? こんな田舎の村に?」
はぁぁ、伝わらない。
「とりあえず、見てくる」
嫌な予感が、さらに激しくなってきた。なんだよ、この感覚。何かのスキル? いや、誰かの警告?
あっ……。
なぜか、畑の一部が見えた気がした。これは……。
「大変だ! ヴァンくんはいるか? 屋敷に入って行くのが見えたんだが」
貴族の一人が、駆け込んで来た。
「止まって!」
僕は叫んだ。
ダメだ、伝わらない。
デュラハンさん!




