209、リースリング村 〜畑が臭い?
「えっ? 異界の住人!?」
僕には、異界の意味がイマイチ理解できていない、この世界以外をすべて異界と呼ぶ。神様が住む場所も異界だし、この世界の影のような世界も異界だ。
ボックス山脈に出没する異界の番人や神の使いは、影の世界に住むという。異界の番人と呼ばれる怪物は、ボックス山脈にいる魔物を食べているみたいだ。僕達の住む世界の番人なのだろうか。
「驚きますよね。ルファスさんも、初めて自己紹介をしたときは、ヴァンさんと同じような反応でしたよ」
マルクの方を見ると、苦笑いだ。たぶん、僕よりもさらにビビったんじゃないかな。
「スキャットさん、僕は、異界の住人と言われてもよくわからないです。巨大な異界の番人や、神の使いをイメージしてしまいました。でも、スキャットさんは、人間と同じくらいの大きさですよね」
彼は、ただ、やわらかな笑みを浮かべている。無言で拒絶されているように感じた。
「それより、その悪霊はどうしたのですか? 不思議ですね。なぜ、ヴァンさんのことを守っているのでしょう」
「いえ、僕を乗っ取ろうと狙っていると聞いています。ただ、僕には、奴の姿も気配も何も感じないんですけど」
「ええ、悪霊は、街の外に居ますからね。ただ、ヴァンさんとパスを繋いでいるから、貴方に何かあれば、すぐに現れるでしょうね」
クリスティさんも、悪霊となった闇属性の偽神獣が、僕を守っていると言っていたっけ。パスを繋いでいるってどういうことだ?
「なぜ、守っているとわかるのですか」
僕がそう尋ねると、スキャットさんは、やわらかな笑みを浮かべた。この質問にも答えてくれないか。
「いずれ、時が来れば、わかりますよ。なるほど、だから、ヴァンさんの暗殺依頼ですか。ノレアの坊やが焦っているようですね。なんとも面白い」
ノレア様が焦っている? というか、ノレア様のことをノレアの坊や? 確かに地上に降りたノレア様の息子だと聞いているけど……。スキャットさんは、ノレア様を呼び捨てにできる地位にいる人なのか。
「スキャットさん、ヴァンにその話は通じないよ」
「ふふっ、そうでしょうね。ただ……貴方達が思っている以上に、古き者達は変化を怖れる、ということは覚えておく方がいいですよ。一方で、変化を許容する古き者達も大勢いる。自分達の目で見極めなさい」
そう言うと、スキャットさんは、スッと消えた。
「ヴァン、面接は合格みたいだぜ」
「へ? 何、それ?」
「スキャットさんは、異界の人、つまり、この世界のバランスを保つ役割を担う人なんだ。ドルチェ家が雇っている形だけど、主従関係はない。対等に接してくれと言われているんだ」
「この世界の人間に紛れ込んでいるってこと?」
「ごめん、これ以上は話せないんだ」
そう言いつつも、マルクは否定しない。そうか、スキャットさんは、この世界に潜入している異界の人なんだ。きっと、何かの任務を遂行中なのだろう。
面接は合格って……認めてもらえたということなのかな。そんな人が、僕のポーションを使ってくれているって、なんだか恐縮してしまうよな。いや、ただ、持っていただけかもしれないけど。
「あっ、学長先生からの伝言を忘れてた」
「えー、今から魔導学校に行くのはキツイな」
僕達は、ドルチェ家の倉庫から出て、地下の店舗に戻ってきた。ここは、とりあえずは、カウンターだけの店でいいよな。
「いや、違うよ。ヴァンは、新学期まで休みでいいって」
「まだ、あと1回、魔物学の実習が残ってるよ?」
「たぶん、それは延期じゃないかな。ボックス山脈が不安定だからさ。それから、これも届いてたよ」
マルクから、僕宛ての封書を渡された。魔導学校のマークが記されている。中を開けてみると……。
『新学期から、魔物学実習の引率をお願いします』
学長先生のサインがある。短い手紙と一緒に、スケジュール表も入っていた。
「おっ、ヴァン、出世じゃん」
「そうだね、出世というか、まぁ、うん、そうかな。でも、スケジュール表を見てると不安になってくる」
「うん? あー、あの人との神矢集めに支障が出るからか」
「それもあるけど、それ以上に、ノワ先生の呼び出しが……」
虫が活発に動く季節は、しょっちゅう、ノワ先生の泣き顔を見ている気がする。
「あはは、確かにな。でも、魔物学の実習なら、複数の講師がついているんだから、途中でしばらく抜けても大丈夫だろ。ヴァンの、ファシルド家との薬師契約は、有名だからさ」
「それならいいんだけど……」
マルクには言えないけど……それより僕は、裏ギルドに、僕の暗殺依頼や捕獲依頼が出ていることの方が気になっている。学生達を危険な目に遭わせてしまうのではないか……。
「まぁ、何かあれば、交代の講師もいるから、気楽にいこうぜ。あっ、一階と地下の店員の募集は、こっちでやっておくけど、リースリング村の貴族の子供の件は頼める? 一階の店舗が出来る頃に、ドルチェ家から使いを行かせるけど」
「わかった。事前に、貴族の屋敷の人達に話をしておくよ」
「うん、あ、三階の部屋は、使ってよ? ずっと不在だと寂しいし」
「あはは、ありがとう。爺ちゃんや婆ちゃんに、部屋を借りたって話してみるよ。スピカにいる方が便利だし、両親と妹もスピカにいるからね」
「鍵は渡せないから、来客時は、さっきの広い階段を使ってもらって。三階には、必ず案内がいるから、ヴァンが不在でも対応できるよ。万能鍵は、俺とテトも持ってるから」
マルクは、家族で住んでもいいと言っているのかな?
「うん、わかった、ありがとう」
「じゃあ、リースリング村に送るよ」
マルクに転移で村の入り口まで送ってもらった。彼は、僕を送り届けるとすぐに、転移で戻ってしまったんだけど。
ふと、空を渡る鳥の群れが見えた。スピカからリースリング村までなら、鳥なら飛べる距離じゃないかな。
スキル『迷い人』のマッピングを使ってみた。あー、けっこうな距離があるか。飛竜ならすぐにたどり着けそうだけど、空を飛竜が飛んでいると騒ぎになるよな。
やはり、スピカへは転移屋を使うしかないな。でも、スピカの街の中なら、適当な鳥に化ければ移動できる。僕に貸してくれた部屋の、一方通行の転移魔法陣もうまく活用したいな。マルクがわざわざ設置してくれたんだから。
「婆ちゃん、ただいま」
「ヴァンちゃん、おかえり。なんだか事故に巻き込まれたんだってね。大丈夫だったのかい」
誰かが、家に連絡してくれてたのか。
「うん、僕は怪我もしていないよ。マルクは大怪我してしまったんだけど、もう完治したから大丈夫」
「そうかい。それならよかったよ。マルクさんは、痛い思いをしたんだね。かわいそうに」
婆ちゃんは、眉をしかめている。怪我に敏感なんだよな。
「ヴァンちゃん、晩ごはんは食べたかい? もうすぐできるんだよ」
「まだ食べてないよ。先に風呂に入ってくるね」
婆ちゃんは頷くと、裏庭へ出ていった。僕の分のごはんを追加してくれるんだな。
僕は、そのまま、風呂に直行した。あれ? 浴槽にお湯が入ってる。誰かが入浴したのかな。
ザバっと風呂につかると、家に帰ってきた実感がわいてくる。うん、やはり、スピカに完全に引っ越す気にはなれないよな。
「泣き虫ヴァンが帰ってきた〜」
「なんだか疲れてるみたい」
「年寄りなのかも」
「きゃはは、泣き虫ヴァンなのに、爺ちゃんなのー」
また、リースリングの妖精達が覗き見している。この声も、家に帰ってきたって実感するよな。
「妖精さん、僕はまだ十五歳なんだけど?」
「十五歳で爺ちゃんって、笑っちゃうよね〜」
「だめだよ、そんなことを言うと、ヴァンが泣いちゃう」
いや、泣かないから。
「爺ちゃんも泣くの?」
「ヴァンだもん、泣き虫だもん」
今日は、ちょっとクドイな。
「妖精さん達、なんか、機嫌悪そうだね〜」
僕がそう言うと、さらに集まってきた。
「畑が臭いんだもん」
「ヴァンのせいだよ」
「僕が、何かしたっけ?」
「何もしてないから、臭いの。昨日からずっと臭いの」
今は雨季だから、土のニオイが上がってくるのかな。いや、妖精達が土のニオイに文句を言うわけはないか。
「晩ごはんを食べたら、畑を見に行ってみるよ」
「忘れて寝ちゃだめだよ」
「爺ちゃんだから、かわいそうかも」
「でも、臭いと寝られないもの」
なんだか、ケンカが始まりそうだな。
「妖精さん達、いつまでお風呂を覗いているの?」
「きゃーっ、エッチね〜、きゃははっ」
彼女達は、笑いながら離れていった。




