202、商業の街スピカ 〜暗殺貴族レーモンド家
僕は、ボックス山脈で異界の番人に遭遇した二年前のことを、必死に思い出そうとしている。だけど、若い女性のことが思い出せない。
目がクリクリっとしているお嬢様っぽい人だけど、ジョブ『暗殺者』なんだよな。そんな風には見えないけど。
もう一人のレミーさんのことは、思い出した。僕を薬師学校にスカウトしてきたジョブ『薬師』だ。冒険者ギルドでは、たまに彼女の噂を聞く。トレジャーハンターとして超有名人なんだ。
すると、彼女……クリスティさんは僕の疑問に気づいたのか、ふわりと笑みを浮かべて、レミーさんの方を向いた。
「先生、そんなことをバラさないでよ〜。マルクくんが、私のことを覚えていないのは当たり前だよ。私のジョブの技能だもん。二年も前のことなんて、覚えてるわけないよ」
「あら、クリスティ、あの頃から技能を使っていたの?」
「いつも勝手に発動してるの」
暗殺者だから、自分のことを忘れさせる技能があるのか。なんだか、怖い。それになぜ、レミーさんについて来たのだろう。僕のことが気になっているって……怖すぎるんだけど。
マルクが、レミーさんをここに呼んだんだよな? 僕に会わせるため? 女性客が来るとわかっていたから、奥さんのフリージアさんは、部屋に戻ったのかな。
「あはは、ヴァンが困った顔をしてる。訳わからないよな、ごめん。レミーさんが、トレジャーハンターなのは知ってるよな?」
マルクが、二人をテーブル席に促しながら、そう言った。
「うん、レミーさんは超有名人だから」
「やーん、その言葉は、そのままお返しするわよ〜」
はい? 意味がわからない。マルクは、苦笑いだ。
「ヴァン、さっきの話だけど、レミーさんにも貸してるんだ。一階では、冒険者の消耗品を安く売ってるみたい。地下では、マナ玉や魔法袋を売ってるよ」
「それで、彼女を呼んだのか」
「そうそう。顔合わせをしておく方がいいと思ったからね。闇市では、地下通路をはさんだ向かいの店になるからさ」
一階の店は、向かいではないのか。広場があるからだな。地下通路って……以前、ゼクトさんと通ったあの地下道のことだよな。
カラサギ亭から地下道へ潜って、裏ギルドに行ったんだっけ。そういえば、僕を捕まえるというミッションは、あのままだ。それらしき襲撃には遭ってないけど。
「へぇ、それは嬉しいわね。ヴァンくんのエリクサーは、なかなか手に入らないのよね〜」
「レミーさん、ヴァンは、魔法袋が欲しいみたいだよ」
あー、それで、さっき、マルクは魔法袋の話をしていたのか。でも、容量の大きな魔法袋って高価なんだよな。
「じゃあ、店に来てくれたら嬉しいわ。私は地下の店には顔を出さないんだけど、そのときは、マルクくんが事前に連絡をくれるわよね?」
「いま、ここで商売してもらってもいいよ」
「ごめんなさい。今は、手持ちの魔法袋はないわ。地下の店に置いてある分だけよ」
マルクは、軽く頷き、クリスティさんの方をチラッと見た。クリスティさんを見る目つきは、マルクらしくない冷たい目だ。
そういえば、ボックス山脈じゃなくて、どこかで会ったって言ってたよな。覚えているってことは、最近のことなのか。
「クリスティさんは、なぜ、ここについて来たんですか」
マルクは、警戒した様子で、彼女に話しかけた。
「ふふっ、そんなに警戒しなくても、私はドルチェ家を狙っているわけではないわ。今は、先生と冒険者をして遊んでいるの」
彼女は、ドルチェ家に接近したのだろうか。マルクは、まだ警戒しているようだけど、その表情は、少しやわらかくなった。
「レミーさんと、同じパーティだと言っていましたね」
「ええ、私、先生みたいなトレジャーハンターになりたいかも」
彼女は薬師学校の学生だったから、レミーさんのことを先生と呼んでいるのか。
「マルクくん、この子は、ヴァンくんに興味があるのよ。だから、ついて来ちゃったのよねー」
レミーさんはそう言うと、僕に視線を移した。なんだか意味深な笑みを浮かべている。嫌な予感しかしない。マルクもそれに気づいたみたいだ。
「ヴァンに興味を持つ人は、多いからね。レミーさんが連れてきたってことは、変なことじゃないんだよね? ヴァンを害する気なら、許さないよ」
「マルクくん、勝手に連れてきて、悪かったわ。この子が、マルクくんと関わったことがあるなんて、知らなかったんだもの」
「そう……。それで、ヴァンの何に興味があるのかな」
レミーさんの言い訳に軽いため息をつき、マルクは再び、クリスティさんに視線を向けた。
「マルクさん、それは、裏ギルドに行けばわかるわ」
「へ? 裏ギルド?」
「ええ、私は王都の裏ギルドに出入りをしているの。仕事は、そこでしか受注しないと決めているから」
クリスティさんは、マルクや僕の反応に、ふわっとした笑みを浮かべている。余裕ある笑顔が、逆に怖い。
「クリスティ、話が見えないわ。私にも理由を教えてよ。貴女が、誰かに会いたいなんて言ったのは、初めてだもの。気になるわよ」
レミーさんがそう言うと、彼女は、ふーっとため息をついた。なんだろう……バカにしているのかな。でも、先生って呼んでるのに?
「先生も、裏ギルドに行けばわかるよ。あっ、みんなで行ってみる? うふふ、私、スピカでは、顔バレしていないから大丈夫よ」
はい? 何を言い出すんだよ。裏ギルドって……あ、そっか、暗殺者なら、逆に裏ギルドの方が行きやすいのか。
「へぇ、面白そうね。うん、じゃあ、ヴァンくんが店を出す宣伝も兼ねて……」
「先生、それはダメ。闇市に彼のポーションが並ぶことは構わないけど、宣伝に行くと顔バレしてしまうわ。ヴァンさんは、明日には死んじゃうよ」
なっ!? やはり僕の依頼……。ん? おかしいな、捕まえる依頼じゃないのか? ふぅん、これは、ハッタリか。
僕は、スゥハァと深呼吸をした。うん、大丈夫だ。彼女がジョブ『暗殺者』だというから、ビビってた。でも、よく考えたら、僕にはデュラハンの加護がある。危険な相手なら、デュラハンが知らせてくるはずだ。
『呼んだか?』
うん? デュラハンさん、呼んだわけじゃないけど……。
『その女、レーモンド家だろ。死臭がぷんぷんするぜ』
えっ!? レーモンド家って……王宮の命令で動く暗殺貴族じゃないか。主に、横暴な貴族の暗殺を請け負うんだよね。ちょ、マジ?
『あぁ、間違いねぇな。この歳で間引かれていないってことは、当主の娘だろう。もしくは、とんでもなく能力が高いか、だな』
だから、マルクは警戒してるのか。
王都に暗殺貴族がいるということは、ある意味、様々な抑止力になっている。秩序を守るためには、必要な人達なのかもしれない。
それに、ただの『暗殺者』より、暗殺貴族の方が安全な気がしてきた。王宮の命令でしか、動かないのだろう。
裏ギルドに出入りしているみたいだけど、王宮からの命令が、裏ギルドを通しているのかもしれない。依頼主がわからないようになっていたもんな。
「ヴァン、おーい、ヴァンってば、大丈夫か?」
マルクが顔を覗き込んだ。
「わっ、びっくりした。大丈夫かって何が?」
「いや、クリスティさんが変なことを言ったから……」
あー、そっか、僕は、変な顔をしていたんだ。
「ヴァンくん、もう、裏ギルドに行こうなんて、言わないからね」
レミーさんも、気を遣ってくれている。それに対して、クリスティさんは、ふわっとした笑みを浮かべているんだよな。なんだか苛立ちを感じる。
「あー、すみません。ちょっと考え事をしていました。クリスティさんの話が、僕の記憶と違うので……」
「へぇ、私の何が違うの?」
クリスティさんは、好戦的な笑みを浮かべた。僕を怖がらせようとしているのか。
「最近は、裏ギルドを覗いていませんけど、以前に行ったときは、僕を捕まえる依頼はたくさん出ていたけど、僕を殺す依頼はなかったんですけどね」
彼女は、なぜか驚いた顔をしている。
「ヴァンさん、表の人でしょ。青ノレアだし、裏ギルドに何の用なのよ?」
「僕のことを、何か勘違いしていませんか。いや、僕のことを、なめてません?」
すると、彼女は、なぜか嬉しそうな顔をした。
「ナメるな、なんて言われたのは、初めてだわ。あっ、私の名前を名乗っていないからかしら?」
「クリスティさんでしょ? クリスティ・レーモンドさん」
彼女は、ふわっと微笑んだ。一方、レミーさんは、驚きで固まっている。
えっ、何? 家の名を言ってはいけなかったのか?




