201、商業の街スピカ 〜迷路のような建物
マルクの提案って……僕に闇市をやらないかと言っているんだよな。彼は、ドルチェ家にどっぷり染まっているのか。いや、マルクは貴族だ。僕が住む世界とは違う。価値観も、きっと大きく異なるはずだ。
「マルク、でも、地下で売るとか闇市とか、危険じゃないのかな?」
「あぁ、ヴァンは、ドロドロとした裏の世界を何も知らないよな。大丈夫だよ。ヴァンの名は出さないようにできるし。でも、闇市くらいなら、誰でも利用しているよ」
いやいや、誰でもじゃないだろ。貴族なら当たり前なのかな。
「なんだか、怖そう……」
思わずこぼれた僕の本音に、マルクはちょっと笑ってる。冗談だと思っているのかもしれない。
「とりあえず、ヴァン、これ魔法袋に入る? テーブルが使えないんだよね」
あっ、メイドさんが紅茶をいれてきてくれたみたいだ。僕は、木いちごのエリクサーを、包まれた白い布のまま魔法袋に放り込んだ。白い布から出そうかと思ったけど、服を入れている大容量の魔法袋に、色がつきそうな気がしたんだよな。
「マルク、白い布は……」
「あぁ、保存にも使える。あげるよ」
マルクは、僕の考えをたまに先読みするんだよな。確かに、もらっても大丈夫なのかを、尋ねるつもりだったけど。
「ありがとう。なんとか入ったけど、もうパンパンかな」
トロッケン家のリーフさんからもらって、神官様が改良してくれた魔法袋は、1,000キロの容量がある。服や薬草や非常食もそれなりに入っているけど、かなりの空きがあったんだけどな。
正方形のゼリー状ポーションや、ぶどうのエリクサー、りんごのエリクサーは、マルクからもらった結界バリア付与の魔法袋にいれてある。超薬草やギルドカードなどの貴重品もこっちに入れてあるんだ。容量が10キロだから、お金が増えてくると、容量に余裕がなくなるんだよな。
「ヴァンも、そろそろ魔法袋の数を増やせばいいんじゃない? 魔力値、いくらあるのかは知らないけど、もう少し増やしても大丈夫でしょ」
「うーん、そうだね」
確かに、エリクサー専用の魔法袋があってもいいかもしれない。だけど、容量の大きな魔法袋は、高価だしなぁ。
黒服やメイドさんが、テーブルを整えてくれた。大きなテーブルの端に、ティーセットが三組、セットされている。
「ヴァン、そこに座って」
「うん、ありがとう」
僕が座った席の隣にマルクが座った。コーナーのもうひと席は、フリージアさんの席か。お誕生日席のような、他の席の全員を見渡しやすい場所は、フリージアさんの席なんだろうな。
マルクのルファス家とフリージアさんのドルチェ家では、貴族としての格がどちらが高いのかはわからない。武術系と魔術系なら、魔術系の家が格上らしいけど。
でも、マルクとフリージアさんなら、彼女の方が圧倒的に、地位は高いんだろうな。
紅茶やお菓子を給仕する黒服は、緊張しているのか、所作がおかしい。ファシルド家の黒服は、派遣執事も多かったけど、こんなに下手な人はいない。
「ヴァン、どうぞ」
「ありがとう。フリージアさんを待たなくていいの?」
「へ? どうして? あー、このセット?」
「うん、着替えに部屋に戻られたんでしょ」
「あはは、彼女は、たぶん部屋に戻って寝たんじゃないかな。あの顔は、一睡もしていないから」
すごいな、マルク。よくわかるんだ。まぁ、奥さんだもんな。とは言っても、フリージアさんにはたくさんの夫がいるはずだから、そんなに会う機会もないのかもしれないけど。
「じゃあ、この席は?」
「もうすぐ来ると思うよ。これ、甘いパンなんだ。食べてみてよ」
僕は、マルクが勧めるパンを食べてみた。チョコレートが中に入っていて、お菓子のようなパンだ。他にも、クッキーがたくさん並んでいる。食べ切れない量だけど、完食しなくていいよね?
「ヴァン、さっきの話、決まりでいい?」
「うーん、まぁ、いいけど」
すると、マルクは無邪気な笑顔を見せた。何? 僕が闇市にエリクサーを出すことが、そんなに嬉しいのかな。
「じゃあ、ヴァン、あとで案内するよ。まだ借り手がついていない店が三軒あるんだ。というか、貸す条件を厳しくしているからね」
「広場を囲む同じような建物なのに、条件を違うの?」
「うん、地下がある店舗は、ドルチェ家の倉庫に行き来できてしまうからね。それに、地下通路から客が来る。信頼できる人にしか貸せないんだ。それに、三階部分は、住居にしてもらう仕様になってる」
「えっ? 三階って、マルクの住居じゃないの? あ、ゲストルーム?」
「ゲストルームとは別だよ。地下店舗と一階店舗、二階が倉庫兼事務所、三階が住居だよ。これは四軒だけなんだ。他の店は、一階店舗と二階倉庫の行き来しかできない造りになってる」
「なんだか、ややこしいね」
「あはは、だから、爺は、迷路って言ってただろ? 三階まで貸している所は、さっきの通路しか通れないんだ。使用人は、みんなワープの魔道具で移動してるよ。彼らの部屋と、この食事の間、そして外の広場の噴水前に、ワープスポットがあるんだ」
「へぇ、なんか、すごい仕組みだね」
マルクは、楽しそうに笑っている。ワープの魔道具で、使用人の行動範囲を定めてあるのか。
ドルチェ家の財力で造ったんだろうけど……マルクの表情からしても、マルクの希望通りの屋敷なのだろう。そういえば、秘密基地みたいだろ? とか言ってたっけ。
マルクは、ずっと、虐げられて育ってきた。だから、これって……彼のお兄さん達から逃げるための構造なのかもしれない。魔法を封じられても、迷路のような屋敷なら、上手く逃れることができると考えたのか。
そうか、僕に闇市のことを言ってきた理由も、そう考えれば納得できる。僕の部屋があれば、もしものときに、逃げ込むこともできるもんな。
僕のことを信頼してくれていることが嬉しい反面、責任の重さを感じた。だけど、それほど、貴族の後継争いは危険だということだよな。
「ヴァン、どうした? パンを睨んでるけど〜」
「えっ? あー、うん。お菓子なのか食事なのか、わからないなと思って」
僕は、適当にごまかした。すると、マルクは首を傾げた。
「パンは、パンじゃない?」
「そういう意味じゃなくてさ〜、ウチは、パンは食事のときにしか食べないんだよね」
「へぇ、これは、菓子パンだってフリージアさんが言ってたよ。王都のパン屋には、普通に売っているんだって」
「菓子パン……じゃあ、お菓子なのか」
すると、マルクはケラケラと笑った。ふふっ、よかった。上手くごまかせたかな。マルクの家のことを考えていたとは言えないもんな。
「旦那様、お約束されていたお客様がいらっしゃいました。同じパーティだという女性とご一緒ですが、こちらにワープを繋げても構いませんか」
黒服がそう尋ねると、マルクは、軽く頷いた。ワープを繋げる? 僕が首を傾げると、マルクはニヤニヤ笑ってる。
「ヴァン、さっき、入ってきた店からのワープだよ。あの店の三階には、何もない空間があっただろ? あそこには、ワープの魔道具が仕込んであるんだ。食事の間と、外の広場の噴水前にワープを繋げることができるんだ」
「へぇ。なんか、すごいね」
「だろ? 嫌な客なら、外の広場に追い返せるんだ」
「三階まで階段を上らせておいて、追い返すの?」
「あはは、そうそう」
マルクは、ケラケラ笑ってる。そんなことしたら、絶対に、お客さんは怒るんじゃないのか。
突然、床の一部が光った。その直後、女性二人が現れた。お客さんって女性なのか。一人は30代前半、もう一人は10代後半に見える。
「レミーさん、こんにちは。その彼女は?」
うん? レミーさん? どこかで聞いたことがある名だな。
「マルクくん、こんにちは。あれ? 会ったことあるでしょ? クリスティよ。ほら、私が薬師学校で講師をしていた頃の学生よ。異界の番人の騒動のときに助けてくれたじゃない」
異界の番人!? ボックス山脈?
「そうだっけ? 別の場所では会ったことがあるけど……まさか、俺を殺しに来た?」
えっ? この女性って暗殺者?
「クリスティのジョブは『暗殺者』だけど、それなら私が連れて来たりしないわよ。この子、ヴァンくんのことが気になってるみたいだから」
へ? 僕?
「レミーさん、ヴァンに会うことをバラしたんですね」
マルクは、ため息まじりに、そう言った。
「マルクくんから、連絡をもらったときに、この子も一緒にいたのよ。この子には、念話の魔道具でも簡単に傍受されちゃうのよね」




