2、リースリング村 〜【スキル】の青い矢と【富】の赤い矢
ここから本編です。プロローグの10年前、主人公の少年期になります。
パララ〜ッ!
陽気な管楽器の大きな音が、空から地上へと響き渡った。昨日と同じだ。
僕は、剪定作業の手を止めて、空を見上げた。日差しを遮っていた厚い雲が、サーっと流れていく。
すごいな、天候を操る魔法なのかな。
そして、雲ひとつない青空に、巨大な映像が映し出された。いよいよ始まるんだ。くぅ〜っ、ワクワクしてきた〜。
◇◆◇◆◇
ここは、リースリング村。
ほとんどの住人がぶどう栽培で生計を立てている、田舎の小さな村だ。冬の寒さは厳しい。雪が積もって、外に出られなくなる年もある。
僕の生まれた家も、ぶどう農家だ。今、僕は家の手伝いをしながら、スピカという街の魔導学校に通っている。魔導士になるためではない。将来、役に立つかもしれないからなんだ。
そもそもまだ、僕の【ジョブ】はわからない。十三歳になったら、すべての人に、神官から【ジョブ】の印が授けられる。だから、明日になればわかるはずだ。
この【ジョブ】というものは、生涯務めなければならない仕事や役割なのだそうだ。生まれたときには、既に決められているらしい。
でも、成人である十三歳になるまでは、印は現れない。様々な知識を広く身につけるためだそうだ。
おそらく僕の【ジョブ】は生産職だと思う。なぜなら、親と同じものを与えられることが多いからだ。
そして、生産職の中の何になるかは、ランダムなのだそうだ。親と同じなら『農家』になる。
生産職は、魔法の能力が高い方が【ジョブ】のレベルが上がりやすい。だから、僕は今、魔導学校に通わされているんだ。
だけど、僕には野望がある。
ある日、魔導学校で聞いたハンターの英雄伝に、僕は衝撃を受けた。この学校の卒業生には、凄腕のハンターが何人もいるそうだ。
その中でも特に印象的だったのが、最年少の二十五歳で極級に到達した、ゼクトさんのエピソードだ。まだ若いのに、すでに伝説のハンターと呼ばれているらしいんだ。
この日を境に、僕は変わった。
生産職しか知らなかった僕にとって『ハンター』は、キラキラと輝く、まぶしすぎる憧れの対象となったんだ。
ただ、生まれたときから定められている【ジョブ】は、変えられない。でも【スキル】なら、努力によって得ることができる。
だから僕は、『ハンター』の【スキル】を得て、凄腕のハンターになりたい。家族にも村の誰にも言えない、僕の密かな野望なんだ。
◇◆◇◆◇
「ワシらには、関係ないじゃろう」
「でも、ちゃんとしてなきゃ。空からは、すべてが見えているんだからね。失礼があってはいけないよ」
畑のあぜ道には、近所の爺ちゃん達が椅子を並べている。昨日、空を見上げていて、目が回って倒れた人がいたからかな。
パラッパラッパラ〜
いよいよ始まる。ん? あれ?
昨日は、青い矢だった。そして神の矢が選んだのは『王』の【スキル】だ。
だから今日は、赤い矢、すなわち【富】の矢を射るはずなんだけど……。
空に映る天使は、二本の矢を持っている。一本は赤い矢、もう一本は金色の矢に見える。
「どういうことじゃ!? 金色の矢も射るおつもりか」
「はひゃ〜、た、大変だよ、あわわわ」
畑のあぜ道で爺ちゃん達は、騒ぎ始めた。椅子があってよかった。なかったら、また誰か倒れているかもしれない。
僕も、魔導学校で習ったから知っている。金色の矢を射る意味、それは神託だ。金色の矢は、神からのギフトであり、そしてメッセージなのだそうだ。
世界に危機が近づくとき、神は金色の矢を射る。そうすると、世界の価値観や富のバランスが、大きく変わることがあるそうだ。
これはチャンスかもしれない。
空の右の方に、別の天使が現れ、大きな丸い的の横に立った。的には、たくさんの文字が書かれているらしい。でもこの場所からでは、黒い点にしか見えない。
空の左の方には、弓を持つ神が現れた。神は、的をチラッと見ると、柔らかく微笑み、天使から赤い矢を受け取った。
的の横の天使が、的を下にグイッと引いた。すると、的はクルクルと回り始めた。
いよいよだ。くぅ〜、ドキドキする〜。
神は、的に向かって、シュッと、赤い矢を放った。
トン!
的の回転はだんだんと遅くなり、やがて静かに止まった。
そして、矢の刺さっている部分が、空に大きく映し出された。
「赤い矢が選んだ【富】は、『ワイン』だよ〜」
天使の可愛らしい声が響いた。
神が柔らかな笑みを浮かべて頷くと、的に刺さっていた赤い矢は、パッと弾け、地上にたくさんの赤い光となって、降り注いだ。赤くキラキラした雨は、とても綺麗だ。
この村にも、何本かの光が落ちたように見えた。地上付近では光が消えるから、どこに落ちたかはわからない。隣の村かもしれないな。
畑のあぜ道の椅子に座っていた爺ちゃん達は、驚きのあまり、立ち上がっている。
赤い矢が選んだ【富】が、『ワイン』だということは、ぶどう農家にも大きな恩恵がある。
神の矢が選んだものは、その価値が上がり、一部の裕福な人達の間で流行するんだ。今年からしばらくは、忙しくなりそうだな。
畑では、隣の婆ちゃんがひっくり返っていた。
「やだ、受け取っちまったよ」
いつも口うるさい婆ちゃんが、まるで少女のように頬を赤らめ、オロオロしていた。その手には、羽根ペンのような赤い矢が握られている。
「おい、婆さん、ボーっとしていないで、【富】に変換するのだ。神から、どんな逸品をいただいたんだい?」
「いや、飲むときまで、このまま大切に取っておくよ。ワインは、温度や湿度で劣化しちまうからね。もうすぐ雨季だろう?」
パラッパラッパラ〜
また、管楽器の大きな音が、響き渡った。
空を見上げると、神は的ではなく、僕達の方を向いている。地上の様子を見渡しているみたいだ。
天使が神に、金色の矢を渡した。神は、優しい笑顔を浮かべて、地上にいる住人に向かって語りかけた。
「皆さん、今回は金色の矢も届けます。その意味を知らない者は、年寄りに尋ねなさい。矢は、災いのある地に多く届くでしょう。頼みましたよ」
神はそう言うと、弓を構え、まっすぐに金色の矢を放った。矢は空中でパッと弾けて、金色の光が地上に降り注いだ。さっきの赤い光とは比べ物にならないくらい、ものすごい量だ。
青い空から降る金色の雨は、あまりにも美しくて、僕は空を見上げて、ぼんやりとしていた。
スッ!
「わっ!?」
僕のおでこに、羽根ペンのような矢が突き刺さった。痛くはない。慌てて手で触れると、矢はスッと消えた。うげっ? どうしよう……触り方を間違えたのかもしれない。畑に落ちた?
慌てて、ぶどう畑を探したが、金色の矢は見当たらない。せっかくもらったのに、あー、もう最悪だ。
「どうしたんじゃ? ヴァン」
「爺ちゃん、僕のおでこに矢が刺さって、触ったらなくなってしまって……。どこかに落ちたみたいなんだ」
「おぉっ! それは青い矢と同じ物じゃ。神から【スキル】をいただいたのじゃ!」
「えっ? 矢が消えたのに?」
「心配はいらん。金色の矢には、ありとあらゆる【スキル】と【富】の矢があるのじゃ。ヴァンは、【スキル】の矢をいただいたのじゃろう」
「そうだよ。【スキル】は通常は青い矢だがね。赤い矢とは違って、青い矢は、触れた者にすぐ吸収されるんだよ」
「ヴァンちゃん、何の【スキル】をいただいたんだい?」
「それは、まだわからんよ。ヴァンはまだ【ジョブ】の印を授かっていないだろう?」
爺ちゃん達は興奮して、弾丸トークだ。
僕は、その勢いに圧倒されながらも、なんとかコクリと頷いた。
そうか、明日になったら、僕に与えられた【ジョブ】と、神からもらった金色の矢の【スキル】がわかるんだ。
「ヴァン、明日は神官様がいらっしゃる。今日は、早めに農作業を終えておくのじゃぞ」
「爺ちゃん、この畑の剪定作業が終わったら、家に帰るよ」
「楽しみだね。ヴァンちゃんが『農家』の印を授かったら、剪定作業も、もっと上手くなるよ。いずれ、ぶどうの木に宿る妖精の声が聞こえるようになるからね」
「それって、姿なき声の導き? 妖精の声なんだ」
「あぁ、そうだよ。『農家』のレベルが上がって、超級に到達したら、声が聞こえるようになるんだよ。明日は朝早いんだろう? 今夜は早く寝るんだよ」
「うん、そうするよ、婆ちゃん」
金色の矢が、『ハンター』の【スキル】だったらどうしよう。村の人達には僕の野望は秘密だ。喜びすぎてバレないように気をつけなきゃ。
その夜は、妙に緊張して、僕はなかなか眠れなかった。