18、リースリング村 〜湯が湧き出す川のある場所
「えっ!? 村が全滅?」
思わず大きな声になってしまった。マルクや村の人達が、一斉にこちらを見た。
「ヴァン、どうかしたのか?」
僕の大声のせいで、何か勘違いをしたようだ。村の役場の人が険しい顔をしている。この人は確かジョブは農家ではない。だから妖精さんからの情報が耳に入らないんだ。
農家の人達にも、ガメイの妖精さんの声は聞こえない。でも、自分の畑のリースリングの妖精さんの声は聞こえているはずだ。
だけど、リースリングの妖精さん達は、男の子の話はしていない。隠しておきたいのかな。でも、そういうわけにもいかないんだよな。
「他のぶどうの妖精さんが来ているんです」
「どこかのぶどうの生産地が全滅したのか? そんな話は聞いたことがないぞ」
「主要な村じゃないみたいです。魔物に襲撃されて、今は荒野になっているそうです」
「えっ? 教会には知らせたのだろうか。そういうことは、ベーレン家の神官様が対応してくださるはずだ」
「そうだよ、困ったことは教会にいる神官様に相談すれば、なんとかしてくださる」
村の人達は、心配そうにしている。村が魔物の襲撃で全滅したなんて他人事とは思えないのだろう。このリースリング村にも、最近は魔物が入り込むんだから。
ベーレン家というのは、神官三家のひとつだ。いろいろな街にある教会は、このベーレン家の神官様が神父を務めている。
成人の儀を担当するアウスレーゼ家や、統制や制圧をするトロッケン家とは違って、庶民派で優しい神官様が多いんだ。
僕も、スピカの魔導学校の帰りに、何度か立ち寄ったことがある。別に何か困ったことがあったわけではないけど、教会に行くと、不思議な感じがするんだ。心が落ち着くというか、迷いが消えるというか……。
神父様とは、話したことはない。でも、優しい笑みで、街の人達に接する姿を見たことはある。同じ神官でも、家が違えば大違いなんだよな。
「妖精さんは、街のソムリエに、その話をしたようです。だからソムリエから教会へ、話が伝わっているんじゃないかな? ちょっと、確認してみます」
僕は、男の子に、再び話かけた。
「ガメイの妖精さん、街のソムリエには話したんだよね? どこの街?」
「スピカだ。だけど、忙しいから他を当たれと言われて、ロクに話を聞いてくれなかった」
「スピカのソムリエ? 村が全滅した話はしたの?」
「あぁ、そしたら面倒くさそうな顔で知らんって言われた。アイツは、商人の家のソムリエなんだ。だから、自分の儲けにならない話は無視する」
「商人の家のソムリエか……。それで、ここに来たんだね。じゃあ、教会に伝えていない可能性もあるかな。その小さな村があった荒野の場所はどこ?」
そう尋ねると、男の子は山の方を指差した。
「えっ? 山にあるの?」
「山間にある。旅人がよく来ていた。湯が湧き出す川があるから」
「湯が湧き出す川?」
そこまで話すと、話を聞いていた村の人が何か思い出したみたいだ。僕の声しか聞こえていないのに、わかったのかな?
「ヴァン、湯が湧き出す川だって? もしかして、山間にある温泉村のことじゃないか? 確か、名もない村だ。宿屋で成り立っているはずだ。砂地になっている場所に、そういえば、ぶどう畑が広がっているよ」
村の人の声は、妖精さん達には聞こえるようだ。男の子は、力強く頷いた。
「そこで合っているみたいです」
「事実なのか? 大変だ!」
「妖精は嘘はつかないぞ。知っていることを知らないと言うことはあるが、作り話などしない」
村の人達は、騒ぎ始めた。
「どうする? 冒険者ギルドに調査を依頼してみるか? 教会に伝えるにしても、状況がわからない」
「そうだな、あの山間の村が全滅したのなら、山のふもとの村も危ないかもしれん。すぐに村長に知らせなければ」
今から冒険者ギルドに調査依頼を出すと、早くて数日、下手すると、ひと月かかる。
ガメイの妖精さんは、時間がないと言っていた。精霊イーターに狙われていたということは、彼は弱っているんだ。彼のぶどうの木が、生命力を失い始めているということだろう。
どうすればいいんだ。間に合わないかもしれない。
「ヴァン、今から冒険者ギルドに依頼していたら、間に合わないんじゃないか?」
マルクも同じことを考えていたんだ。
「うん、僕も、今、その心配をしていた」
「山間の村……湯が湧き出す川か。その川は、どこに流れていくのかな? 山間の村へは、山越えしか行く手段はないのか?」
「魔導士さん、その川は、レイン川に合流して、アスト平原を南に流れていますよ」
レイン川は、とても長い川だ。川幅も、広い場所なら向こう岸が見えないほどなんだ。このリースリング村も、レイン川の霧の恩恵を受けることがある。ぶどうの生育にとって、ありがたい霧なんだ。
そっか、山間の名もなき村は、その上流にあるのか。
「そうですか。それなら、行けそうです。ヴァン、あれを利用しようぜ」
「マルク、何?」
マルクは何かの合図をしてくるけど、僕にはわからない。すぐに諦めたらしく、苦笑いされてる。村の人達の前では話せないことだろうか。
村の人達は、マルクにお礼を言って、戻っていった。村長様に知らせに行った人もいるようだ。
僕は、ガメイの妖精さんに近寄った。
「ガメイの妖精さん、かなり弱っているんだよね。何か食べられるものがあるなら言って」
「俺は平気だ! 俺は……」
妖精って何を食べているんだろう? そういえば、婆ちゃんは、いつも、高い木につるした木箱に、焼きたてパンを入れていたっけ。
俺は、魔法袋から、婆ちゃんのぶどうパンが入った紙袋を取り出した。すると、リースリングの妖精さん達が、鼻をひくひくさせ始めた。
中から、ぶどうパンをひとつ取り出して、ガメイの妖精さんの目の前に置いた。食べられるかな?
「僕の婆ちゃんが焼いたパンだけど、食べら……ははっ」
食べられるかどうかを聞こうとしたのに、ガメイの妖精さんは、もう、パンにしがみついている。そして、すごい勢いで、パンにたくさんの穴ができた。男の子は、手当たり次第、パンをちぎって口に運んでいる。
妖精さんって、こんな風にしてパンを食べるんだ。身体よりもパンの方が大きいのに、全部食べてしまいそうな勢いだね。
あれ? 干しぶどうは避けているのかな。
いや、違う。干しぶどうは、リースリングの妖精さんに奪われている。他のぶどうの妖精に食べられたくないのか。
「うぉ〜、ほんとに、ここに妖精がいるんだな。パンがどんどん小さくなっていく」
マルクは、なんだか感動しているようだ。姿が見えないから、不思議な感じがするのかもしれない。パンにしがみついて必死に食べていることは、内緒にしておこうかな。
「ヴァン、ひとつしか持ってないの?」
「クソガキだけだなんて、ずるくない?」
やっぱりね。視線を感じていたんだよね。
「妖精さん、こんな夜に食べるの? ガメイの妖精さんは、弱っていたけどさ」
僕がそう言うと、妖精さん達は、なんだかクネクネと飛び始めた。えっと……弱っているアピールなのだろうか?
素直に、ちょうだいって言えばいいのに。
僕は、紙袋の中身をすべて、長椅子に出した。うん、パンはあと二つ入っていたんだね。
すると、リースリングの妖精さん達も、パンにしがみついて幸せそうな顔をしている。ケンカしないで分けてくれたらいいんだけど。
「ヴァン、俺の分も出す方がいいか?」
「いや、大丈夫だよ。マルクは、夜食に食べて」
「わかった、じゃあ、そろそろ戻るかな。俺の世話をしてくれている人が、待っているみたいだ」
マルクの視線の先には、村長様の屋敷で働く使用人の男性がいた。そっか、マルク専属の人がいるのか。
「うん、じゃあ、おやすみ。また明日ね」
「おやすみ、ヴァン、いろいろありがとうな」
そう言うとマルクは、待っている男性の方へと走っていった。ありがとうって? ふふっ、こちらこそなんだけどな。
僕は、必死にパンにしがみつく妖精さん達の様子を確認した。うん、元気にケンカしてるね。彼女達の日常のようだから、まぁ、放っておこう。
「婆ちゃん、ただいま」
「おや、ヴァン、ちょうど入れ替わりになっちまったねぇ」
「うん? 何?」
「今さっき、アリアさんの使いの人が来てたんだよ」
えっ……嫌な予感しかしない。
「何か僕に用事?」
「薬草を摘む手伝いをお願いされていたのかい?」
「あー、うん」
毒薬草なんだけど。
「明日、護衛の冒険者が来てくれるらしいよ」




