17、リースリング村 〜ガメイの妖精
ガメイというのは、赤ワイン用のぶどうだ。ヌーボーに使うことで有名な品種。渋みが少なく、とてもフレッシュで飲みやすい赤ワインになる。
スピカの街の秋の収穫祭では、ガメイで作ったヌーボー……すなわち新酒は、欠かすことのできない主役なんだ。特殊な製法で醸造するから、収穫からわずかな期間でワインになる。
そんなガメイの妖精さんが、どうしたんだろう?
「どうして、ガメイの妖精さんが、こんなところにいるのかな? あの犬みたいな精霊イーターに狙われて、ここまで逃げてきたの?」
男の子は喋らない。話せないわけではないよね? さっき、声が聞こえてきたんだから。精霊イーターが近くにいるからか。
「ヴァン、この子は、妖精と話せる人を探しにきたの」
「リースリング村のヴァンなのに」
「でもソムリエだから、みんなのヴァンだよ」
「泣き虫だけど〜」
「もう泣かないって言ってた〜」
「それ、嘘だよ。すぐに泣いちゃうもん」
また、一斉にしゃべるんだから……。でも、さっきのようなピリピリした感じは消えている。隠していた男の子の存在が僕にバレたから、開き直ってるのかな。
「そっか。妖精さん、心配してくれてありがとう。でも、僕が彼の話を聞いてあげなきゃいけないよね」
「ヴァンは聞かなくていいよ」
「街のソムリエには話したみたい」
「でも無視されたんだよねー、ガメイだから」
「ガメイ村の人に言えばいいんだよ」
「でも、ガメイ村のことじゃないよ?」
「リースリング村には関係ないもん」
「ヴァンは泣き虫だもの」
「赤ん坊だもん」
いやいや、ちょっと待った。また、話が逸れてる。
「ヴァン、魔法はすべて弾かれる。弱点はマヒ毒だ。マヒ状態になれば、どんな魔法でも効く。薬師なら、何か持ってないか? 雷撃も何も効かないから、マヒ状態にできない」
マルクが、そう叫んだ。
大型の犬みたいな二体の精霊イーターは、マルクを警戒しているようだ。さっきの場所から全く動いていない。精霊イーターは、人間は襲わない。だけど、それなりに強いはずだから、仕掛ければ反撃されるだろうな。
「ちょっと待って。作れるか考えてみる」
「急いでくれよ」
僕は、辺りを見回した。夜だけど、マルクの照明魔法の効果はまだ続いているから明るい。
うーん、毒になる草はないよね。逆に、しびれを和らげる効果の草なら、生えている。あっ、そっか、効果を逆転させればいいんだ。『薬師』の改良と調合の技能を使って、僕は、しびれを増加させる水薬を作った。
あの魔物は、毛がなくて、つるんとしているから、浴びせればすぐに吸収するはずだ。浴びさせることができれば……なんだけど。
「マルク、しびれを増加させる水薬ができたけど、浴びさせる方法がわかんない」
「マヒ薬じゃなくて、増加?」
「うん、たぶん。村の中に毒薬草なんてないから」
「わかった、俺に渡して」
いや、うーん、そう言われても、僕の右手から浮かんでいる水の玉を、どうすればいいかわからない。
僕がもたもたしていると、水薬がマルクの方へ、スーッと移動した。えっ?
そして、マルクの手の上に乗ると、ピリピリとイナズマを帯びたようになって……。
ババババ、バリリリリィ〜!
イナズマを帯びた水薬は、魔物二体に向かって雷撃のように飛んでいった。
キャイイイ〜
二体の精霊イーターは、イナズマを帯びた水薬を浴び、逃げ出した。酔っ払いみたいにヨタヨタしてる。マルクの雷魔法が効いて、マヒしているみたいだ。
「チッ! 逃がしたか」
ふふっ、そんなこと言っているけど、マルクは追撃できるのに動かなかった。もともと倒す気なんてなかったようだ。
「マルク、すごいね、今のバリリリリィ〜ってやつ!」
「たいしたことないよ。ヴァンの薬がなかったら、魔法は完全に弾かれたから、さっきの水薬がすごいんじゃないか?」
「ありがとう。そう言ってくれると、役に立ったんだって嬉しくなるよ。僕なら、水薬は作れても浴びせることができないから」
「あはは、俺達、半人前同士か?」
「かもね〜、ははっ」
村の人達が何人か、近寄ってきた。精霊イーターが逃げるのを待っていたみたいだ。照明魔法の効果が薄らいできた。薄暗くなってきたな。でも、村の人達は、夜に戻ってきてホッとしているようだ。
「魔導士さん、す、凄かったです! ありがとうございます」
「いえ、たいしたことはしていません」
「これで、もう大丈夫ですな」
「今の魔物は、動物を追っていたわけではないようです。山側の柵が壊れているから、そこからいろいろと入り込んでいます。早急に皆さんで、柵を直していただけませんか」
「あぁ、そういえば、年々、柵がもろくなっていたな」
「去年までは、縄を張っていたんじゃが、支柱も雨風で吹き飛んでしまったからな」
村の人達は、そういえばと、数年前のことまで話している。マルクは、苦笑いしながらも話を聞いて、丁寧に対応している。だから余計に、村の人達は、マルクと話したがるようだ。
みんな、魔導士と話せて嬉しいんだと思う。マルクが貴族だと知らないから、普通に話せるんだよね。貴族だとわかったら、きっとビビるだろうから。
僕は、村の人達のことはマルクに任せて、ガメイの妖精さんがいる長椅子の方へと向かった。
「泣き虫ヴァンが、泣かなかったよ」
「偉いね〜」
「お友達、おっともだち〜」
「泣いちゃうと、お友達に笑われるから頑張ったの」
「偉いね〜」
なんだか、好き勝手な声が聞こえてくる。まぁ、リースリングの妖精さんのことは、放っておこう。
「ガメイの妖精さん、話できるかな?」
長椅子に近づいて話かけると、男の子は、ソーっと顔をあげた。さっきまでの怯えた表情ではない。だけど、驚いているのか、少し落ち着かないようにも見える。
「ヴァン、この子、クソガキなのに人見知りみたい」
「むちゃくちゃなことを言ってたのにね〜」
「ヴァンに会わせろって言ってた〜」
「会ったのに、話せないの」
「ガキんちょだからねー」
リースリングの妖精さん達は、男の子にあまり良い印象はないようだ。彼はリースリング村に入り込んできたから、彼女達は縄張り意識があるのかもしれない。
だけど、縄張り意識があるなら、ぶどうの妖精に共通する性格かもしれない。それがわかっていて、リースリング村に入ってきたのは、余程のことじゃないかな。
「ガメイの妖精さん、この村に来たのは、今日が初めてかな? 別の日にも声が聞こえたような気がするんだけど」
「ヴァン、この子は、ヴァンの誕生日に来たの〜」
「追い払っても、帰らないの」
「変な魔物が入ってきたのは、この子のせいなの」
「リースリング村なのに」
リースリングの妖精さんは話すけど、男の子は喋らない。彼女達は事情を知っているみたいだな。
「どうして、僕に会いたかったのかな?」
「話せるもの」
「他のソムリエには無視されたの〜」
「ガメイだもんね」
「ガメイだからだよねー」
妖精の中では、ガメイの地位が低いみたいだ。なんだか、寄ってたかっていじめているようにも見える。
「妖精さん、あまり男の子をいじめちゃだめだよ」
「いじめてないもん」
「勝手に入ってくるからいけないの」
「リースリング村だもの」
そう言いつつ、彼女達は僕から少し距離を取った。嫌われたかな? だけど、僕が生まれた村の妖精さんなんだから、やっぱり、優しい妖精さんでいてほしいな。
「ひとりぼっちの妖精さんには、優しくしてあげる方がいいと思うよ。僕、優しい妖精さんの方が好きだな」
「優しいもん」
「えー、でも、クソガキが悪いの」
「ヴァンが泣いちゃうよ、優しくしてあげないと」
「赤ん坊だもんね〜」
「泣き虫ヴァンだもん」
はぁ、またそっちに話が逸れていく。妖精さんって、いつも同じことばかり言ってるのかな。
「ガメイの妖精さん、僕に何を言いに来たの?」
すると、やっと男の子は、僕を真っ直ぐに見た。
「助けてほしいんだ。もう時間がない」
「どういうこと? ガメイ村に何かあったの?」
「俺はガメイ村じゃなくて、荒野のガメイなんだ」
荒野? 村じゃなくて、野生のぶどうの木?
確かに、ガメイは痩せた土地でも育つ品種だ。スピカの街だけじゃなく、あちこちの収穫祭ではガメイで作ったヌーボーが飲まれている。だから、いろいろな地で育てられているはずだ。
だけど、荒野?
「ガメイの妖精さん、荒野ということは野生なのかな? 何があったの?」
「もともとは、小さな名もなき村だった。村の人間は、魔物の襲撃で全滅したんだ」