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6.配送中 / 七郎の身長

 定期配送を契約する顧客の内訳は、多忙のために買い物をする時間を省きたい一人暮らしや育児に追われる家庭、高齢のために買い物に行けない老人など様々である。配送員たちは一人暮らしの顧客のもとへ訪れる場合は、ほとんど不在だから玄関前に荷物を置いておく。それ以外の家庭の場合は本人ないし他の家族がいるから、直接手渡すことになる。


 配送トラックに乗り込んだ七郎は、朝の通勤と同じように高ぶるエンジンの音に耳をまかせながら仕事を始めた。運転している時間は必ず一人だから、七郎にとっては心の落ち着く時間でもある。


 トラックは普通車より車高が高いから、運転中には歩行者と他の車を見下す形になる。それはあくまで物理的な高低差に過ぎないのだが、七郎にとってはどこか己が車になったような気がして、気分が高揚する感を覚える。


(チビ共が。この俺にひれ伏せ。俺の一ハンドルでお前らはマンホールみたく地面にめり込んでしまうのだ。しかし、俺は善人だから思いとどまってやっているのだ)


 七郎は周りの男と比べると低身長の部類に入る人間だった。学生の頃から身長順に並ぶと必ず前の方に位置し、中学二年の時に一六〇センチに達して以降は身長が伸びなくなった。配送をやるような男たちは大柄な男が多く、大半は一七〇センチを裕に越していた。七郎は子供の頃から背の高い男が羨ましかった。


 学生時代、学期初めに行われる身体検査の時、己の前の番号の男が背の高い男だと憂鬱だった。前の男の番で上がった身長測定器が、七郎の番になると容赦なく下ろされる。その時、七郎はどうしようもない屈辱感を覚えた。俺は前のアイツより体が小さい。「ただそれだけだ」と割り切れない劣等感が彼にはあった。なぜなら彼は目に見えない大きさ、それは知識や人間性の類だろうが、それさえも秀でていなかったからだろう。チビでバカな無能の七郎は、「アイツらは所詮、図体だけだ」と言い放てるだけの気概さえ持っていなかった。


 背の成長が止まってからは、歳を取れば取るほどに劣等感は増した。背は成長しなくとも、己の身体は確実に大人になっていった。声変わりし、陰毛が生え、髭も伸びていく。腋毛も生い茂り、すね毛も目立ってくる。しかし、身長は伸びない。


 己の横を、己より身長の高い小学生が通り越してゆく。七郎は顎鬚を生やしているのに、あの餓鬼には陰毛さえ生えていないのに、身長は俺より高いのだ。そう思うと、七郎は急に己が、その小学生とそう変わらない人間ではないかと感じる。そうして恥と劣等感が震えのように身体を蠢き始めるのだ。


(後ろ姿を見れば、あのガキと俺とは区別がつかない。いや、あのガキの方が歳上に見られるかもしれない。俺はガキより小さいし、頭もデカいから。つまり俺は、髭と陰毛くらいでしか、あのガキより上であることが示せないのだ。しかし、あのガキに髭や陰毛が生えていたら?俺はただ早く生まれただけの、二十数年生きただけの小学生ということになるのだ。ああ身長が欲しい。せめて一七〇は欲しかった。そうすれば、こんな下らないことで悩む必要もなくなるのだ)


 七郎は配送トラックの運転中だけは身長コンプレックスから逃れられる気がした。普段、町を歩いている時には見上げなければならない男を見下せるのが快感だった。背が高いとは、こんなに気持ちのいいものなのかと思った。しかし、配送先に到着すれば魔法はたちまち解かれ、七郎は再びチビの醜い姿に戻らなければならない。この「逆・美女と野獣」のような状況の繰り返しが七郎の仕事だった。


 一件目の配送先は一人暮らしだった。七郎は玄関先に荷物を置き、インターホンを押す。もし、中に居たとすれば、無断で玄関先に置いておくのは失礼にあたるかもしれない。しかし、大半は出てこないから、七郎は「出るな、出るな」と願っている。できるだけ人と話さないままに次の仕事へ移りたいからだ。


 もし、インターホンに反応して、顧客が出て来た場合、七郎は彼が不得意なセールストークをしなければならなくなる。できるだけ時間をかけて、今月のノルマ商品である「蟹」を売らなければならなくなる。七郎はもう小売の店舗にいるわけではないから、己が客に売りつける蟹がどのようなものか知らない。どこ産なのかさえ知らない。にも関わらず、七郎は蟹を売らなければならない。


 一件目の配送先の顧客は不在だった。七郎は安堵してトラックに戻り、次の配送先へ向かった。車内に戻れば、七郎はまた高身長の魔法の中に入る。そうすると、なぜか気の方も大きくなって、俄然やる気も出てくるような気がした。


 しかし、蟹のことを考えると、七郎はまた俄然やる気を削ぎ取られた。今月中に、七郎は一〇〇セットの蟹を売らなければならない。売らなければ、またニシムラに嫌味を言われるのだ。


(蟹なんて、どうやって売ればいいのか。「今、蟹が旬ですよ。いかがですか」と言えばいいか。しかし、いきなりセールストークをしたら、いやらしさが出てしまうじゃないか。会話の中で自然な形で蟹を出さなければいけない。無理だ!蟹に繋がる話題なんて無い!ああ、どうすればいいのだろう。どうすれば、いいのだろう)


 大きなトラックの中に居ても、七郎の内心は小さく萎んでいく気がして仕方がなかった。それは、かつて七郎が背の高い人間に言ってやりたかった罵倒を思い起こさせた。そうして、その言葉は今の七郎自身に返って来るのを感じ、益々みじめに思った。


「この、ウドの大木が!」



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