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16.囲炉裏の前 / 七郎の懺悔

「あいつらは、俺を無視したのです。俺は雨に打たれながら、こんなに寂しかったのに、手を差し伸べてくれなかった。それどころか、水をかけてきたのです。それで謝りもしない。俺だけが悪かったのではないのです。それだけは間違いないのだ。俺はね、皆勤賞だけが自慢なのです。あの国の教育を一日も休まずに受けたのだ。道徳の授業だって無論です。だから知っているのです。人が困っていたら、助けなさいって、教科書にはそう書いてあった。俺は褒められるべきですよ。いわば、礼拝に毎日出席していたようなものですからね。なのに俺があんなに辛い時に誰も助けてくれないなんて、こんなに酷い話ってないでしょう。それならいっそ、道徳の知識なんて知らない方が良かったことになる。だってそうでしょう、道徳というルールを頭に入れていたから、道徳に従わない人をみて傷つくのですから。初めから道徳を知らなければ、道徳に従わない人をみたって何も思うはずがありませんからね」


「ああ、話が反れた。こんなに長く話すこと自体が久しぶりなのです。定型文ばかりで会話しているから、俺自身の話をすることさえ困難になってきたのです。何から、話せばいいのか、何がまとめなのかもよく分からないのです。とどのつまり、俺は幼稚で、あの母の胸に飛び込んで泣きたかったのです。頭を撫でられながら乳を吸いたかったのです。あの時の俺は、もはや言葉を発することも嫌になっていたのです。何かを言えば、お前は間違ってると言われるに違いない。俺は悲しいと言っても自業自得だと言われるに違いない。それなら、もう、言葉なんて使いたくないのです。俺は議論がしたいのじゃなくて、会話がしたいだけなのに、それも許されていない。でも、それでも俺は一人が嫌なのです。いかにも悟った風に、一人で生きていくのだという連中は、一人で生きていくことを選んだだけで、俺のように選ばされた人間ではないのだ。ああ、また反れた」


「言葉を使いたくないけれど、一人は嫌だから、俺は人を殺したのです。強姦でもよかったのですが、母はともかく、男の子供なんて何の価値もないから殺したのです。殺したら、母子は俺の思い通りに動かなくなって、血まで流してくれた。俺の意を汲んでくれたのです。ようやく俺は、一度きりだけども、俺とコミュニケーションをとってくれる人間を得たのです。俺がいけなかったのは、二人を殺した後に、逃げてしまったことです。せっかくコミュニケーションをとれたのに、急に怖くなったのです。何せ、人と関わるのに慣れていないのですから、敏感だったのです。動揺してしまったのです。どうしようもないほどに、てんやわんやになって、何が何だか分からなくなってしまったのです」


「だけど、今は反省しているのです。だから、さっきまで懺悔していたのだ。この村に来てから、俺は、何のことなしにコミュニケーションをとって生きている。俺は、殺しなんてしなくても人と関わっていけたのに、どうしてあんなことをしてしまったのだろうと思ったのです。でも、こうも思います。あの世界にいたから、人殺しをしてしまったのだと。そうしなければどうしようもなかったと、俺のいた世界は、それだけ俺には辛いものだったのだと。そう思うと、俺は俺を可哀想に思うのです。この村で生活していると、人殺しなんて、するのもされるのも恐ろしくてたまりません。だから、きっとあの母子も、今の俺と同じくらい怖い思いをしたに違いない。そうだとすると、俺は懺悔しなければいけない。申し訳ない。それで、泣いて詫びたのです。そんなことで許されるとは思いませんが、今、こうして別の世界にいる以上、むしろ俺にはそんなことしか許されていないのです。俺は、これから先もこの村で暮らしていきたいと思っています。せめて、あの母子に申し訳ないという気持ちは忘れずに、生きていこうと思っているのです」


 囲炉裏の火の揺らめきを見つめながら、一頻り喋り終わった七郎は、喉の焼けるような痛みを、そこで初めて感じるのだった。そして、ミツの方を見やると、ミツはいつの間にか寝転がって、いびきを立てていた。七郎は、呆れながらも少し安心していた。話し終わってみると、ずいぶんまずいことを言っていたことに気づいた。だから、もしかすると家から追い出されてしまうかもしれないと不安だったのである。しかし、眠っているのなら、問題はない。


「……話が長ぇろ。ホントに眠りそうらった」


 眠っていなかったのである。七郎は飛び上がって、屋根裏に頭をぶつけた、ようなほどに驚いた。いびきは単に息をしていただけだったのである。七郎は己ばかりが慌てて、ビクついているのがいい加減アホらしくなってきて、もうどうにでもなれと寝転がった。つま先が火にあたってチリチリと焦げていたが、もうどうでもいいのである。ミツは七郎の焼ける匂いを不快がって、囲炉裏の火を消した。そして、「いいや、もう寝ら」と暗闇の中で言って、寝床に向かっていった。七郎は、しばらく床に寝転がっていたが、まだ乾いていない身体の部位が急に凍えるように寒さを訴えたので、急いで布団の中へと潜った。


(どうして、あんなことを長々と話してしまったのだろう。ミツは俺を軽蔑したに違いない。だから、素っ気なく離れていってしまったのだ。明日の朝、俺はミツから「出て行け」と言われるかもしれない。もし、そうなったら、どうしよう。ああ、また俺は不安になっている。ようやく、この村に来て、安心できたのに。しかし、今は、良い明日を願って眠る他にはないのだろうな。よし、眠ろう、眠ろう。どうにでもなれ)


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