4.ニシムラと無能 / 七郎の順位
七郎は朝礼の時間にニシムラが現れる直前まで、ニシムラが死んだニュースが流れることを期待していた。できれば車に轢かれて死んでほしいと思っていた。ニシムラは自己中心的な男だから、七郎は内心ニシムラのことを「エゴムラ」と呼んで馬鹿にしていたのは余談だが、横断歩道を渡る時には例え信号が点滅し始めても歩くスピードを弱めない男だ。だから轢かれて死ぬのじゃないかと七郎は思った。
まず足を潰されてほしかった。そうして剥き出しになった骨と溢れる血にパニックを起こすのが前菜だった。次にニシムラは動けなくなり、そこに後続車、右も左も見れぬ老人が運転する鉄の塊が来て、ニシムラの上半身を潰す。続けざまにもう一台が通り、今度はニシムラの顔を潰していくのだ。ニシムラは第一波では一丁前な悲鳴を上げるが、顔を潰される時にはもう碌な声も出せず、ウェ、ウェ、というように鳴いて、誰にも見つからないまま絶命する。これが七郎の思い描くニシムラの最期であった。
しかし、ニシムラは彼の陳腐な妄想に反して、いつも健康であった。ヤニでやや黄ばみがかった歯を覗かせて「アハハハ」と笑う。三十過ぎで子持ち、出世街道を走るこの男に将来への不安はないのだろう。たかが小売りの分際で、と七郎は言いたかったが、それは余りに己の分際を履き違えていた。
(俺はニシムラの子供を見たことが無い。しかし、どうせブスだろう。あんな性悪の人間の子供なのだから。たとえ美しかったとしても、将来はズタボロにされるのが確約された人間に違いない。そうでなければ、フェアじゃない。あんな奴が幸せなんて不条理なことがあっていいはずがない)
配送センターの朝礼では月初めにノルマ商品と数が発表され、その後は「今日もヨロシク」と言うばかりで終わる。朝礼はセンターのリビングルームで行われ、室内の掲示板には店舗のチラシと、ノルマ商品の切り抜きが貼られていた。そして、その横に全配送員の顔写真に併せて、各々のノルマの売り上げ達成具合を表す棒線グラフも貼られていた。
競争を煽る職場や学校では、よく結果が目に見えるようにしておくことで互いの競争意識を高めようとすることがある。しかし、それは大半がエリートである場合だけで、配送のように殆どが肉体労働の職場で働く人間達に湧くのは競争心などではない。恐怖心だ。
配送員たちが気にするのは「自分の位置」と「最下位」だけである。自分の位置にしても、最下位でなければいいというだけで、自分より上の人間と争うという気はないし、ましてや業績を上げようなどという意欲など微塵も無い。
七郎はいつも最下位だった。棒グラフの伸びはお情けで加えられた数ミリばかりあるだけで、大抵の場合は月終わりまでグラフが伸びることはない。他の配送員たちは七郎がいる限りは自分が最下位になることがないことを喜んでいただろう。どれだけ己が仕事で失敗しても、「どうでアイツより下がることはない」と安心できるからだ。彼らの自尊心は七郎の落伍ぶりよって支えられている分も多かったろうが、彼らはそれに気づくことはない。社会の中での無能者が有能者の自尊心を温めるためのスケープゴートにされることは、あまりに有り触れている。
きっと、この国の人間達のDNAには無自覚ながら無能者の使い道に長ける頭脳が備わってきたのだろう。だが、それによって無能者は生かされてきた。同情ではなく自我保身の利己心によって無能者は有能者に生かしてもらえるのだ。もし、有能者が自我より社会の利益の方を優先していたとすれば、いまごろ無能者はたちまちに処刑される。もしくは生まれる前に間引きされているだろう。
よく己が無能なだけなのを「差別」と言って荒ぶる無能者がいる。七郎が沈んだ顔で歩いているところを捕まえ、「あなた、今シアワセですか?」と尋ねてくるような人間だ。「虐げられていませんか?」と尋ねてくる人間だ。七郎は「いえ」と断って先を歩く。無能者を救おうと考えるのは、自分が救世主になりたいだけの無能者に他ならない。それは無能な働き者である。無能は生まれながらの無能である。差別は有能な人が有能な人を無能扱いするから差別なのであって、生得的に無能な人間が無能として扱われるのは当然だろう。猫を猫として扱うことに怒る人はいない。
七郎は己が最下位なのを気にしても仕様がないと思っていた。しかし、己が最下位より上にいけるとも思っていなかった。だからといって「俺は最下位でいいや」と割り切ったら、ニシムラに益々いびられるのだから、内心は兎も角、表向きは前向きにならなければならないと思っていた。俺はもっとやれるはずだと思い込まなければならなかった。そうして心の隅では、もしや本当にそうかもしれない、などと愚かなことも考えざるを得なかった。
(この仕事が俺に向いていないだけで、本当はもっとやれるのではないか。今まで勉強も運動も人間関係も仕事も恋も人生も思い通りにいかなかったが、もしや俺が気づいていない分野が、俺にはあるのではないか)
勉強も運動も人間関係も仕事も恋もろくにできないのが無能者だが、多くは七郎と同じように、自覚しようともしきれない愚かさを持ち合わせているのだろう。




