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6.村長 / 七郎の朝

 朝の日差しを嬉しく思ったのは子どもの頃以来のことだった。昨日までの朝陽はマグライトのように痛い光で、警察が犯人を発見した時に照らされる光だったから、気分としては「まずい! 見つかった!」という罪人の心地であった。朝陽は太陽の光だから、あくまで癒しを与える自然光に違いないのだが、朝が来るのを拒んでいる人間にとって、そんなことはどうでもよいことである。


 七郎は兎のように飛び起きると外へ出た。穏やかな朝の風に揺れる草木の匂いを感じる。空気は澄み、空は快晴であった。淀みない自然を、七郎は大きく吸い込んだ。自然は身体に澄み渡り、昨日までの鬱屈した気分さえも晴れやかにしてしまう。瞳からは朝露のような涙が、一筋流れた。


(あぁ、自然! 素晴らしい! そうだ、俺は、ここで生まれ変わるのだ。出社しなくてもいい朝なんて、いつぶりだろう。こんなに余裕のある気持ちも久しぶりだ。今日はどんなことになるだろう。楽しみだ。良いことが起こるような気しかしない。俺は、こんなに楽天的な人間だっただろうか。なぜだろう、俺はなろう小説のように、この先、バカみたいに上手くいくことしかない展開になる気しかしないのだ)


 涙は止まらなかった。意図せず放り込まれた世界には不安を他所に追いやるまでの希望があって、それは根拠のない希望だけれども、前にいた世界の地獄を思えば、やはり希望に胸は震える。七郎はここからまた人生をゼロから始めようと決意した。まだ、この村の一員になったわけではないけれども、もしダメでも、トラックのガソリンが尽きない限りは何とかなるだろうと思っていた。


 家に戻って朝飯を食うと、ツルの父は「さ、はやく行くぞ」と言って七郎を急き立てた。なぜ、そこまで急ぐのかは分からなかったが、ツルの家には恩があるから、何も言わずにツルの父の後をついて、七郎はまた外へ出た。昨日のことから考えると、これから村長の家に行くことになるのだろう、と七郎は思った。


 村長の家は村の端の、寺のすぐ横にあって、恐らく村の中で最も大きかった。それまでにも何軒かの民家の前を通ったが、ほとんどはツルの家と見てくれは同じであった。七郎を誘導するツルの父の顔はどこか緊張している。それは犯罪者を送還する警察官のそれにも似ていて、七郎に嫌な予感を走らせる。色の生える表戸をひくと、ツルの父は「村長!」と、これまた格式ばった役人のような声を出して言い、七郎は更に緊張した。


 奥の方から、こつこつと杖をつく音が先に聞こえ、その後に出て来たのは白髪で顔を覆い隠されている老婆だった。老婆だと分かったのは、七郎の方に向かってくるに際して、あげる「あぁ」とか「うぅ」とかいう声が、喉の震える声高な、うがいのような声だったから、恐らく老婆なのだろうと感じた次第であった。


「朝っぱらからなんだ、お前か。何かあったか」

「村長、行くアテのない流浪人がいるんです。面倒みれませんか」


「何を馬鹿な。村に、そんな余裕はないぞ」

「あるでしょう。男が必要な場所が」


「……ミツの家か」

「はい」


 七郎は、ツルの父と村長の腹の中がどのようになっているか分からずに、ただ聞いていた。二人とも、七郎の方を見ずに、どうやら村の状況を把握した上で、何やら思案しているらしい。しかし、話しぶりからして追い出されることはなさそうであることは分かったから、さほど心配することはないだろうと思っていた。


「……よし、では、そちらの方」


「何も分からんとは不幸なことだ。よろしければこの村で養生していきなさい。焦らず、ゆっくりしていきなさい」


 初めて姿を現した時には不機嫌そうであったのに、今の村長は七郎を歓迎する調子で、元々曲がっていた腰を曲げてお辞儀をしている。七郎は胡散臭いと思わないでもなかったが、村長なぞこういうものだろうと思い、「ありがとうございます」と返した。本心がどうかは知らないが、兎にも角にも七郎の望む通りになったのだから、感謝の言葉は、かつての社会で言っていた機械的な言葉ではなく、心からの言葉であった。


 七郎の言葉にご満悦の村長の横でツルの父も笑っていて、七郎の肩をつかみ、「何かあったら頼ってくれ」と言いながら、七郎をまた他のところへ行かせようとしているのが、肩に乗っかっている手の力の強さから伝わってきた。それは、「もう逃がさない」という意思すら感じるほどの力の入りようだった。


「じゃ、行くか」


 ツルの父は、また七郎を誘導して村長の家を離れていった。そして、村長の家まで行く時には通らなかった道に向かって歩いていった。それまでは村の端の道を通っていて、七郎がトラックで走ってきた道なりに歩いていたのだが、今歩いていたのはそこから村の内部への続く道であった。七郎は、いよいよ己が後戻りできないところまで入っていくことを期待し、また少しだけ恐ろしく感じながら、ツルの父の背中を犬のようについていくのだった。


 それは半ば引き寄せられるような強制力もあり、もし、今トラックの方に逃げ出しても、きっと、ツルの父に捕まるのではないかという不安が作用しているのだろうと、七郎は思った。そうして、なぜ、これからの住処を見つけてくれたこの恩人にそのような疑いをもってしまうのかを疑問に思った後で、これもそれも、前までいた悪夢のような社会にいたからに違いないと思うのだった。


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