1.モテない男の通勤模様 / 七郎という男
(彼女が欲しい。俺の将来を一緒に、一番に考えてくれて、そうして俺を深く愛してくれるような、そんな女が欲しい)
最近、七郎は不眠症気味のようだった。通勤用のオートマ軽自動車の中で何度か欠伸をしながら、朝のラジオ放送に耳を傾ける。
「ヤリ山マン子の、モーニングニュース!」
音声だけなので顔は見えないが、その電波の先には、笑顔を浮かべる女性アナウンサーがいるのだろうと、七郎は思った。抑揚のきいた話しぶりと、よく通る声がしていたから、きっと、このアナウンサーには将来への不安は無いのだろうとも思った。
(俺も、女だったら良かったのだ。顔さえ、良ければ、きっと今頃は適当に上司の上で、腰を振り、冠番組でも持っていただろう。今、馬鹿みたいに明るく話しているこの女の給料は、きっと俺よりも高いだろう。穴で稼げる女は、有利だな)
七郎は急に不快になり、ラジオを消した。自分で考え出したことではあったが、まるで処女のように屈託ない話ぶりをするラジオの女性アナウンサーの声が、急に制服コスのオプションを付けられた老娼婦のように聞こえ始めた。朝からそんなものを聞きたくなかった。
しかし、ラジオを消してしまうと、七郎はもっと憂鬱になる気がした。嫌でも通勤ルートの道に集中せざるを得なくなり、職場まで刻々と近づいていくのが分かるからだろうと、七郎は思った。
(ああ、俺は出勤しているのだ。行きたくもない所に、やりたくもないことをしに、わざわざ朝早く起きて、出勤しているのだ)
七郎はまた耳をすませることにした。エンジンの音が大きく聴こえてきた。エンジン音はノイズのように重く濁った音で、釜で沸騰した水面のように落ち着かない。それは七郎の内面のようでもあった。
小山七郎は、田舎町の小さな配送センターに勤める男である。歳は今年で二十四になり、新卒で入った小売業の仕事を続けている。元々は店舗勤務だったが、人間関係でトラブルを起こし、一年で業務を配送に変えていた。
(何も悪いことはしていなかったはずなのに、なぜ、俺は配送に移されたのだろう。俺は、ただ、同僚の女の子を好きになっただけなのに)
七郎は生まれてから今までに恋人ができたことがなかった。しかし、それは彼が性的倒錯者だからとか、宗教上の理由とか、そういう「やむなしの理由」ではなかった。彼は異性愛者で、不具でもなかった。七郎はこれまでに何度も片思いの恋をしてきたにも関わらず、女性と相思相愛(たとえ、それが形式的なものであっても)になったことがなかった。彼はどこまでも一般的な、単なるモテない男だった。
(どうして俺はモテないのだろう。俺は女が好きだ。俺はネクロフィリアでも、ペドフィリアでもない。まア、女子学生は好きだし、確かにあの子はアルバイトの高校生だったけれど。でも、大半の男は年頃の若い女が好きなハズだ)
(どうして俺はモテないのだろう。町では俺そっくりの男が女を連れて歩いているのを見かけたことがある。なぜアイツに女ができて、俺には一人もできないのだろう。アイツがいなくなった隙に、俺が平然と女の隣に行って、「お待たせ、さあ行こうか」とでも言ったら、女は「ええ、そうね」と言って、多分ついてくるだろう。俺はどこまでも、「普通の男」のはずだ。どこの隣の男と比べても謙遜ない、立派な男だ)
七郎が店舗の仕事から移されたのは、彼が同僚の女性A(それは高校に通うアルバイトだった)に執拗に交際を迫り、トラブルを起こしてしまったからだった。
Aと七郎は同じ新入りということで、先輩社員から共に指導を受けていた。明るい性格のAは年上の七郎にも気さくに話しかけ、七郎は直ぐに彼女に恋をした。七郎は時間を見つけてはAに近づき、「ねえ、今日一緒に帰らない? 送っていくよ」、「土日は休みなの? 今週どっかに遊びに行こうよ」と毎日のようにAを誘った。
まもなくAはバイトに来なくなり、先輩社員が理由を聞いてみると、彼女が七郎の執拗な誘いに怯えていたことが分かった。七郎はAが店舗に来ない間も、「最近見ないけど、どうかしたの?」、「悩みあるなら相談のるよ?」とメールし続けていた。
(人事は俺に「執拗につきまとった」と言うが、俺は彼女が「また今度」というから、機会を見計らって誘っていただけのことじゃないか。メールだって、心配だから送ったのだ。それをストーカー呼ばわりなんて、どうかしている)
Aはバイトを辞めると同時にアドレスを変えた。七郎は新しいアドレスが彼女から届かないことを知り、ようやく俺は失恋したのではないかと疑い始めた。しかし、それから数日後、高校から下校するAの前に七郎が現れた。
「なあ、アドレス変えたみたいだけど、俺に送った?」
Aは恐怖で何も言えず、咄嗟にその場を逃げ出した。七郎が後を追うと、ついに悲鳴をあげ、近くの交番に避難した。七郎は交番の中までついていったが、Aが自宅に戻るまで、そのまま彼は警官に拘束されていた。
(まったく、あの子は他人に本音を言わないのが悪い。気さくなのは結構だが、脈がないのなら初めからハッキリとした態度をとるべきだし、何より俺は本気だったのだから、受け取る方も本気で返してもらわなければ困るし、フェアじゃない)
七郎は職場を店舗から配送センターに移された後も、Aのことを忘れることはなかった。交番で拘束されてからは、もうAの高校に押しかけたりすることは無くなり、接触をもつこともしなかった。しかし、それは勤め先から止められていたからで、仕方のないことだと七郎は言い聞かせていた。
(俺は、今でも夢にみるくらい、あの子が好きだ。でも、職を失ってまで手にする程の女じゃない。なに、運がなかったのさ。次の職場では、もっと上手くこなせる気がする。俺は「普通」なのだから、環境が異常だったら上手くいかないのは当然の事で、むしろ職場を移るのは、俺にとって幸運であっても不幸ではないのだ)
配送センターに配属になった初日、七郎はこのように考えながら通勤していた。しかし、それも最初の数日だけで、それからの七郎は、店舗での仕事の方が遥かに幸福であったことを、つくづく後悔することになるのだった。




