第一節 1⇒120へ…… 3話目
最初の町という話からあまり規模の期待はできなかったが、手塚の目に飛び込んできたのは石畳が足下に広がりとレンガの建物が並び立つという、それなりに発展した町の姿だった。
「雰囲気としては西洋のような、そうでないような……」
最初の町に来たということでチュートリアルが更新され、次に表示されたのは首長に挨拶しようという文言だった。
「首長へ挨拶ですか……」
今のところただのお使いクエストでしかないが、いつになったらのんびりスローライフを味わえるような自由時間を貰えるのか、と手塚が溜息をついていると――
「そこの男」
「ん? 私ですか?」
おぞましく加工された声に促されるように振り返ると、そこには明らかに重装備としか思えない怪しげな男が立っていた。男の顔は髑髏の仮面で隠されており、ぼろきれのような黒のローブを身につけたその姿は、まるで死神のようにも思える。
「そうだ。その初期装備のお前。お前が丁度いい」
そんな明らかに怪しげな男から、手塚は「丁度いい」と言われた。
丁度いいとはどういう意味であろうか。突然見知らぬ男に声をかけられた手塚は首をかしげながらも、呼ばれるままに素直に男の前まで歩み寄った。
「少し頼まれごとをしてくれないか?」
「ええ、構いませんが」
――この時に脊髄反射でオッケーを出してしまったがために、ゲームにおける運命が大きく変わってしまったことなど、今の手塚が気づけただろうか。
否、彼どころか誰も気づくはずも無いだろう。
彼に声をかけた、この男でさえも――
――男に言われるがまま町外れの野原までついて行った手塚であったが、男はその間一切何も喋らずに、真っ直ぐに目的地へと足を進めている。
「一体何の用でしょうか。私、実はまだチュートリアルも済んでいない――」
「チュートリアルなど受ける必要は無い。どうせ首長と挨拶した後、何もなしに放り出されるだけだからな。そこからどこかしらの国に所属する先行組からスカウトを受けるか、あるいは自力でどこかの国にたどり着いてどこぞの兵士となるかの二つしか無い」
その身につけた装備の通り、男はこのゲームにおける熟練者のようだった。表示されるレベルも120と、現時点では想像できない程の高レベルの人間である。
そんな男であったが、どこか疲れたような深い溜息をついて手塚に一つの頼み事をし始めた。
「――俺を、この場で抹消してくれないか」
「はぁ……?」
全くもって意味不明だった。見ず知らずの男にいきなり殺してくれと頼まれるなど、手塚の人生においても初めての経験だった。
「礼ならある。俺が死んだ後は全ての装備、財産がお前の物になる。更にこのレベル、120はそのままお前の経験値となって受け継がれる」
「ちょっと待っていただけますか? 全く話が見えてきません」
手塚のいうことはもっともだった。どうしてスローライフを望んでいる自分が、いきなり見知らぬ誰かを殺すは目に遭わなければならないのか。その理由を手塚は求めた。
「どうして貴方は死ななければならないのですか? このゲームで一体何かあったんですか?」
「…………」
男は息を漏らすばかりで、黙ったままだった。
男は迷っていた。目の前の初心者に真実を話したとして、果たしてこのまま願いが叶うだろうか。
しかし何も知らぬまま、ただレベルと装備だけが充実した初心者を生み出してよいものか。過去に“冷酷な死神”として恐れられた男は、迷っていた。
そしてしばらくの沈黙の後、男は意を決するようにして手塚に真実を語り始めた。
「……俺はもう、このデスゲームに疲れたのだ」
「デスゲーム……?」
男の言うことを繰り返すように、手塚はその意味深な言葉を口にする。
「もしや、正式版以降のプレイヤーにはまだ何も知らされていないのか? ……いや、それならば俺もある意味ではこの後幸せになれるだろう」
「申し訳ありません、デスゲームとは?」
「……この世界でゲームオーバーになった場合、つまりLPがゼロになった場合……ステータスはリセットされ、装備品及び所持金はその場にドロップ。更に地位剥奪煮加えて記憶のリセットというペナルティを受けることになる」
「ちょっと待ってください。記憶のリセットとは一体……?」
普通のゲームとは違う、並々ならぬペナルティのオンパレード。男の言葉を一つ一つ理解し飲み込んでいく中で、最後の一つにとてつもない引っかかりを覚える。
「勘が良いな。やはりお前に託すのが良いのかもしれん」
男は仮面の奥で不敵な笑い声を漏らしながら、更にこう付け加えた。
「記憶のリセット……つまり、この世界で過ごしてきた全ての時間の記憶を失い、まるで初めてこのゲームを遊ぶかのような状態に戻るということ。俺はこのゲームにおける全ての記憶を消し去りたいからこそ、お前に抹消を頼んでいる」
「記憶の抹消が目的……」
男の答えのせいで余計に疑問が増えていくが、手塚はただその中で記憶の抹消が男の目的なのだということだけを把握し、復唱する。
「そうだ。俺はもう、殺すのに疲れた。死神として、多くの人間を殺す殺し屋家業に疲れたんだよ」
手塚とはまるで正反対の、PVPに特化し戦闘を極めたプレイヤー。その末路が目の前に立っている。
争いを繰り返し、幾多のプレイヤーを抹消まで追いやった者の末路が、目の前に立っている。
「お前なら、俺とは違う道を歩める筈。お前なら、俺の装備を継いでも、否、継いだからこそ心折れることもなくこの世界を生きていける」
「待ってください! 私はただ――」
「いいか! 俺の持つ装備、物資、そして経験値があればお前の望みは殆ど全て叶う!! “死神”と呼ばれた俺の全てを、お前が受け継ぐんだ!!」
気がつけば手塚の手には短刀が握られ、そして“死神”と呼ばれた男の胸にあてがわれている。
「既に俺のLPは一桁だ……後はお前の一刺しで、全てが終わる……!」
「……一つだけ教えてください」
「何だ?」
ここまで来て、男の手を振りほどくことはできないだろう。それこそレベル120のステータスによって強く握られた手を振りほどくなど、不可能に等しい。
しかし手塚は腹をくくった上で、最後に男に一つだけ男に問いかける。
「……貴方の名前を教えてください」
「何故だ。知ってどうする。まさかリセットした後に装備を渡しに来るなんて馬鹿げた真似をするつもりか?」
「いいえ、ただこの場で死ぬにしても、誰にも名前も知られぬまま死ぬのは、可哀相過ぎると思ったのです」
一体どのような苦痛の末に、自ら抹消を選ぶ選択肢を選ばざるを得なかったのかは分からない。しかしそんな哀しみを背負った男のことを、手塚は心に刻むと決めた。
変な男だ、と死神は仮面の奥で笑った。そしてひと言こう告げた。
「――アーノルド。俺の本名でもある」
「……ありがとうございます」
次の瞬間、手塚の手に握られたナイフは、アーノルドの心臓を深く貫いていた――
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