序章 1話目 ぼんやりとした明かりの下で
「はぁ……ようやく……終わった……」
表向きはホワイトを騙るため、照明を落とされた社内にて、自分の疲れ顔がぼんやりと照らされる。
「……この束は、明日片付けましょう」
未だ目の前に山のように積み重なる書類が嫌になる。なまじ仕事ができるばかりに押しつけられることが、男にとっては多大なストレスに他ならない。
――猫の手を借りる前に手塚の手を借りろとは、この会社特有のことわざになりつつあった。事実何も文句も言わずに依頼を二つ返事で受けるような都合の良い社員など、誰もが利用するに決まっている。
手塚はシャットダウン中の画面を眼鏡に反射させながら、イスに腰掛けたまま背伸びをするように両腕を伸ばす。
「……さてと」
そして彼は一体何を思ったのか、ワイシャツの袖をまくってまるでその場に土下座をするかのように両手をつき始める。
「腕立て百回、始めますか」
手を借りるというのは何も技術的なものだけではなかった。なまじ鍛えあげているせいか、その他の男よりも一回り太い腕で重たい荷物を持たされるといったことも良くあることであり、ますますもって手塚という男がこき使われる要員でもあった。
しかし手塚は持ち前の性格の良さから断ることができず、結局肉体労働と頭脳労働の両方で重用され、今もこうしてルーチンワークをこなしながらもギリギリの生活を送っていた。
「ハァ……帰りにエナジー飲料でも買いましょう」
汗まみれになったシャツの中に自前のタオルをつっこんで軽く身体を拭き上げ、手塚は会社の入り口の鍵を閉めて外へと出て行く。
「…………」
思えば毎日がこのような生活。何一つ刺激などなく、ただひたすらに社会の歯車として回り続けるだけの人生。
それが好きというわけではない。ただ嫌いという言葉を使いたくなかった。それは手塚と呼ばれる男の持ち前の性格の良さが災いしていた。
「…………」
赤色の歩行者信号の前で立ち止まり、周囲を見回す。周りには同じく終電を逃すまいと信号の前で立ち並ぶ人々の姿が見える。
「…………」
横断歩道の向こう側を見ても同じ、死んでいるのか生きているか分からない、無表情の人形のような人間が大挙して一つの信号が青になるのを待っている。
「……しかし本当に、面白いのでしょうか」
向かい側の建物の壁についた巨大スクリーンに映し出されるとあるネットゲームの広告を見て、手塚は一人呟いた。
一月前まで同僚として共に会社で働いていた男が、体験版を知った途端に目の色を変えていた噂のVRMMO――『リベリオンワールド』。話に寄れば十年前にとある大きな問題を起こした会社が再度作り直してできた続編ということであるが、手塚のような一般人には脳波ジャックによる大規模犯罪に利用されたという程度でしか知らされておらず、同僚もその被害者だったということしか手塚は認識していない。
「今頃家に届いているでしょうが、果たして私の望んでいることもできるのでしょうか」
この都会の喧噪を嫌った手塚が密かに望んでいた夢――大自然の中でスローライフを過ごすというのも、今の近代化した日本では叶えるのが難しくなった。しかしこのVRMMOの電脳空間ではそれが実現できるどころか、まさにもう一つの世界を生み出したのだと全世界に向けて宣伝されている。
そして事実体験版の段階で大勢がどっぷりとハマっているというネット記事も、この一月の間に多く打ち出されている。
「巷ではPVPがメインのゲームと聞いておりますが、私には関係ないことです」
PVPだろうがなんだろうが、別世界でスローライフを過ごすことができる。それだけで手塚には十分だった。
「待ちに待った正式サービス開始……会社の皆さんも今日は定時退社の方が多かったですね」
その分のしわ寄せが見事に手塚に来ているわけであるが、手塚はそんなことを気にせずに更に帰る足が速くなる。
指折り待った発売日。今日がその日であったとなれば、普段は仏頂面の手塚も流石に浮き足だってしまう。
「ヘッドギアとのセットも届いているでしょうし、一風呂浴びたら早速ゲームを開始しましょう――」
HERE COME THE NEW CHALLENGER!! ということで、主人公手塚のゲーム生活が始まっていくことになります。楽しんでいただければ幸いです。
小説を楽しんでいただけた際には、恐縮ですが評価等いただければ幸いです(作者の励みになります)。(・ω・´)




